ep.48[Side Y/現代]No Link-01(前編)
戻って来て、暫く動けなかった。
何も考えられない訳じゃない。
寧ろ、考えたくないことばかりが頭の中に残っていた。
呆然としていた。
でも、心は未だ胸の中にある。
シルヴィに持って行かれたままじゃない。ちゃんと返してもらった。
だから、大丈夫。
そう思おうとする。
胸の奥に手を当てる。
確かに、ここにある。
だけど……いや、だからこそ痛い。
傷付いた心が、僕の胸の中で確かに痛みを伴っていた。
咲希にLINEしようかと思う。
『ただいま』
そこまで打って、指が止まる。
送信ボタンが、妙に遠い。
代わりに、GatePairを開いた。
トーク一覧には、もう誰も居なかった。
お昼ちゃんも。
シルヴィも。
皆、綺麗に消えている。
iPhoneの時計を見る。
四月五日二十時四十九分。
スタバに行こう、と思った。
いつものルーティンに戻れば、いつもの顔が出来るカモ知れない。
そう思った。
そうでも思わないと、家の中でこのまま止まってしまいそうだった。
玄関へ向かう。
その時だった。
『どうするか決めた?』
咲希からのLINEだ。
画面を見下ろしたまま返す。
『どうするとは?』
『強制切断出た頃かな?って』
『何それ、美味しいの?』
『……もしかして、帰って来てる?』
『あたり前田のクラッカー』
『そっか……。どうだった?』
僕は少しだけ迷ってから、打つ。
『凄く、凄く良い子だった。だけど、長寿だった』
既読は直ぐに付いた。
少し間を置いて、咲希から返って来る。
『うん、そこでにいには引っ掛かると思ってた。相手の中で想い出として遺ることが、相手にとっての負担になるって思ったんじゃない?』
思わず、息だけで笑う。
『良く分かったな笑』
返すと、今度は間を空けずに続いた。
『うん。にいにの優しさは……多分、支配的だよ。相手の今の気持ちを汲まずに、未来に相手を苦しめると判断したら、それを自分の責任で引き取る。それは優しいけど……とても残酷だお』
その文章を見たまま、返事が出来なかった。
図星だと思った。
図星だと思ったから、直ぐに何かを返す気になれない。
ボンレス猫の『夏が奴をそうさせちまったのさ』のスタンプだけを送って、iPhoneをポケットに入れた。
玄関を出る。
工業街口駅前は賑やかだった。
車の音。
人の笑い声。
路上の弾き語り。
宗教のビラ。
中国語。
誰かの靴音。
世界はいつも、BGMみたいに流れて行く。
僕が傷付いていようが、誰かと別れた直後だろうが、そんなこととは関係無く。
ポケットの中でiPhoneが震えた。
取り出して見る。
『ぬるぽ』
反射で返す。
『ガッ』
直ぐに、また返って来る。
『そう言えば、異世界で十四日間過ごすと、強制切断の表示が出るよ』
助かる。
咲希は昔から、こういう時に追い詰めない。
返事に詰まっても、そこを掘らない。
別の話を置いて、こっちが戻るのを待てる。
だから、咲希の『ぬるぽ』には、躊躇い無く『ガッ』が返せる。
『強制切断って、どーゆーことだってばよ?』
『強制的に切断するってことだっ!!』
『なにーーーっ!?』
歩きながら、少しだけ眉を寄せる。
『GatePairは、リンクした後に……その異世界に残るか、帰るかを選ぶんだお』
『異世界に残る?ブロックしなかったら、ずっと異世界に居られるんでしょ?』
『違う。三十日間くらい居ると、強制切断されて元の世界に帰れなくなる』
『何それ、怖い』
信号待ちで立ち止まる。
向かいのガラスに自分の顔が少しだけ映った。
咲希から、もう一通。
『でも、異世界側からしたらそれってフェアじゃない?付き合ってる相手が、いつでもブロック出来るってなったら……何だか、それは『別れる別れる詐欺』みたいじゃん』
僕は思わず返す。
『ナニイッテダコイツ』
すると、直ぐに返って来た。
『自分だけが終わらせるスイッチを持ち続ける感覚、ってこと。相手からしたら、ずっと片手にナイフ持たれてるみたいなもんでしょ』
そこまで読んで、少しだけ納得してしまった。
『なるへそ。自分だけが終わらせるスイッチを持ち続ける感覚か……要するに、キラーパンサーの名前を『ゲレゲレ』にしない奴は、分かってねー奴ってことだな』
『なるほどワカラン。因みに私は『チロル』派だ』
『始まったな』
『何が始まるんです?』
『第三次大戦だ』
口元が少しだけ緩む。
こういう会話は、未だ出来る。
iPhoneの時計を見る。
二十一時二十一分。
──にいにぃ、か。
顔を上げる。
スターバックスの自動ドアが、静かに開いた。
スターバックスに入った瞬間だった。
──居た。




