五
本物の仁親と花里姫は、人気のない街道をひた走っていた。花里姫の呼吸がだいぶ荒くなってきている。こうして長いこと早駆けするのは相当辛いに違いない。ましてやろくに外出の機がない、あっても姫神輿に乗せられているだけの花里姫に、山越えは酷だ。
仁親は心の中で算段をつけていた。風森村へ着いたら、山越えの前にあの隠れ小屋へ寄ろうと。仁親とシン太だけが知る秘密の場所へ。山に不慣れな花里姫をまず休ませる必要がある。兎に角、風森村にさえ着けばどうとでもなるはずだ。
その時、前方から何らかの気配を察した。天翔も何か感じるものがあるのか、フンっと鼻を鳴らす。行く手の闇を注意深く凝視しながら、しかし速度を緩めることなく先へ進んで行く。仁親の緊張が腕の中の花里姫にも伝わったのか、仁親の左腕を掴む両手に、ぎゅっと力が籠められる。
闇の中に大きな影の塊が浮かぶ。近づくにつれ、それが複数の人影であると見てとれた。
「伏せていてください」
仁親は天翔の速度を緩め、花里姫の耳元で早口に告げる。二人の前に、待ちぶせていた連中が立ちはだかる。
「「我ら、血より強き結束、血より濃き闇黒、血より赤き猛火を以て必ずや花を枯らさん!!」」
叫ぶや否や、黒夜叉集団は一気に襲い掛かってきた。姫君に向かってまっしぐら、しかし守護するは誉れ高き剣役。仁親は敵の動き出しと同時に右手を後ろに回すと、帯の間から素早く飛苦無を取り出し一気に放つ。一発必中、騎乗した三人が額から血しぶきをあげて一斉に落下した。続けざまにもう一投。乗り手を失った馬たちは、血の匂いに恐れをなしたのか、敵が止める間も無く遁走する。仁親たちに近づいてすらいないのに、敵は一瞬にして計六人の戦力を失った。しかしまだ、敵は倒した数の倍以上残っている。
これだけの人数が迂回路で待ち構えていた、ということは、どこかでこちらの情報が漏れたに違いない。仁親は、花里姫を傷つけないように腰をひねって器用に抜刀する。そしてもう一度、姫君を抱きすくめる。何人たりとも触れさせるものかと、心に誓って。
接近戦、まずは馬の目を狙って素早い突きを繰り出し、鋭い痛みに竿立ちになったところで脚を斬る。この一連の動きを、花里姫を庇いながらひたすら重ねて敵を攪乱させる。同時に、攻撃しながら天翔に両腿で指示し、敵が姫君の側へ寄らないように御する。敵は当然、攻撃はおろか馬の制御で手一杯になる。落馬すれば、馬は脱兎のごとく逃げ出す。落馬せずとも、斬撃に怯えた馬は言うことを聞かず、敵は混乱するばかり。
「ええい、狼狽えるな」
機動力を失った敵は、馬を乗り捨てた。連中の大半が諦め下馬したことを確認すると、仁親は攻撃の手を止めた。そして再び手綱を取ると、踵を返して元来た道を疾風のように駆け出した。
敵はさらに混乱を極める。一瞬呆気にとられた後、我に返って慌てて追い縋る。しかし仁親たちが騎乗する馬は、“天翔ける駿馬”と名高い天翔だ。みるみる距離が離れていく。
突如、ヒュンっとしなる音が聞こえた。直後、天翔が低く唸った。ちらりと振り返ると、天翔の後ろ脚に矢が刺さっている。
「耐えてくれ」
天翔は、仁親の言葉に応じるように一声嘶くと、矢傷を物ともせずに速度を上げて疾走する。暫くして、仁親は街道の途中で手綱を引き、道を外れて森へ分け入る。二人と一頭は、草が茂り木々が覆いかぶさるように叢生する、もはや道とは呼べない地帯を進んでいく。しかし当てがあるのか、仁親は迷いなく進行方向を示し、天翔も慣れた足取りで駆ける。花里姫は黙ったまま、仁親にしがみついている。
仁親たちを見失った黒夜叉集団は、一塊となって街道を走っていた。途中で一人が、血の跡を目聡く見つける。
「頭領、これを」
夜叉面をつけた男、通称黒夜叉が、部下が指差した方を見やる。
「奴ら、森に逃げ込んだか」
「追いましょう」
そのまま足を踏み出そうとした部下たちを、待て、と制止する。このまま全員で、土地勘のない森を進むには躊躇がある。そもそも、矢一本で天翔馬を抑えた気でいるのは早計だ。黒夜叉は冷静に、追いつく前提でいるのは危険な賭けと判断した。しばし熟考し、闇の中で目を光らせる部下たちを見渡しながら号令を下す。
「二手に分かれる。上手くいけば挟み撃ちだ」
黒夜叉は、側に控える腹心に声をかける。
「二人は俺と共に街道を戻って進む。残りは全員、このまま郷の花を追え。多喜治、そっちはお前が陣頭をとれ」




