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 郷屋敷の裏手からひっそりと飛び出す馬の姿があった。それを認めるや、黒い影がその後を追う。

 火の粉を背に駆けてゆく馬、その上には二人の姿。騎手の懐には姫装束、その身は男の大きな背中ですっぽり隠れているため後ろからは見えない。小さな手で裾をぎゅっと握りこみ、不安げな表情で前方の闇を見つめている。冷たい夜風が死の匂いを運ぶ。

 郷の花を失うかもしれない晩、緊張で冷え切る心肺は呼吸を忘れたかのようだ。腿から伝わる馬の体温と筋肉の躍動から、辛うじて生命の熱量を感じる。




 そろそろ飛燕雀が、姫君の将来の伴侶へ郷の危機を知らせた頃だろう。萌黄郷を治める冬守家の、若君・孝信のもとへ花里姫を連れていく。今は、冬守家の庇護を受けることが姫君の命を守る手段だ。何にも代え難い尊い命。仁親は左腕で花里姫を抱きしめ、右腕一本で手綱を取る。

 孝信の姉君・桜姫は、花里姫の兄君・道晴と将来を言い交した仲だった。しかし幸せなはずの婚礼の最中、道晴は黒夜叉集団の凶刃に倒れ、桜姫も後を追うように逝ってしまった。本来なら結ばれることのなかった孝信と花里姫、悲劇が二人の縁を結んだ。

 ひたすら天翔を走らせる。今はただ、二人だけの時間が流れていた。花里姫は仁親の鼓動を背中で感じていた。密着する身体、絡む腕、触れあったところから熱を帯びていくように、心の内までも伝わってしまいそうだった。互いに一言も発することなく闇路を急ぐ。

 只々、前だけを見つめる二人。未来を失うものかともがく二人。




 人間二人を乗せながらとてつもない速さで走る馬は、夕月郷の中央にある郷屋敷からあっという間に郷境の天王川へ辿り着いた。

 その昔、当時の夕月郷随一の刀守――後に冬守家の始祖となる――が、郷の花を狙う黒夜叉一族を追い詰めたのがこの天王川だ。夕月郷を治める月守家当主は、悪しき黒夜叉一族を殲滅させ姫君の命を救った英雄に敬意を表し、自分と対等の身分を与えた。つまり家名を与え、姫君の伴侶として認め、誉れある決戦の地からほど近い土地を譲ったのだ。

 因みに家名の由来は、刀守の読みが転じて“とうもり”となり、「冬はやがて春になる」「夕月郷に常春をもたらす」という意味を込めて“冬”という字を当てた。

 穏やかな大河、天王川。この大きな川に隔てられているが、大いなる歴史によって二つの郷は古から固い絆で結びついている。

「あの橋を越えれば、萌黄郷?」

 小声の問いに騎手は無言で頷く。懐から伸びた手が指差す先には、夕月郷と萌黄郷を繋ぐ大橋が架かっている。




 仁親の腕の中で花里姫が身じろぐ。いつかこんな日が来るかもしれないと、考えない日はなかった。敬愛する兄を失ってから、花里姫はまやかしの安寧の中で生きている心地だった。常春の郷の平穏は、姫君の寒心に堪えない日々と引き換えにもたらされている。心のどこかで、そんな自分の役回りを憎んでいた。いつも傍で守ってくれる仁親がいたから、諦観した人生の中でも自分の生きる道を見失わずにいられた。何より郷を愛しているからこそ、郷の花としての生に誇りを持っていた。

 仁親もまた、剣役としての役割が自分の生きる理由だった。幼い頃に両親を失った仁親にとって、大切な存在は花里姫をおいて他にいない。花里姫が自分の全てだった。

 己の使命を全うする。剣役は姫君の為に、姫君は郷の為に。

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