一
暁の空に月が燦然と輝いている。
郷守長屋では男たちが寝静まり、時折いびきや寝言が聞こえるが誰も意に介すことなく眠っている。連日の鍛錬に加えて内通者の取り調べに立ち会っているユキも例外でなく、薄布団を被って熟睡していた。そんな男たちを眠りの世界から一気に現実に引き戻す鐘の音が、突如郷屋敷の敷地全体に響いた。ぱっと飛び起きたユキは、敷布団の下に隠していた木刀を取り出す。誰一人として状況が飲み込めない中、目覚めた者は未だ眠っている者を起こし、男たちは互いに声を掛け合いながら外へ飛び出す。
「おい、見ろ」
最初に外へ出た男が、西の空を指差した。上半分は真っ暗闇、下半分はほんのりと明るい空模様。
「なんだ、朝っぱらから騒がしい」
「馬鹿、日が昇るのは反対側だ。あっちは……」
(奥屋敷!)
真っ先に頭に浮かんだのは、奥屋敷で眠る姫君の安否だった。ユキは騒然とする群衆をかき分け、着の身着のまま片手に木刀だけを握りしめ、一目散に駆けつけた。既に火の手は奥屋敷全体に廻っており、邪払いもおざなりに先へ進んでゆく。夜を遮るように赤々と燃える炎、ぱちぱちと爆ぜる木片が黒煙に乗ってユキの行く手を阻む。
奥屋敷は四つの間で構成される。渡殿を突っ切り一度も立ち入ったことのない姫君の寝所までたどり着くと、帳がめくられていた。
(誰もいない……?)
あたりをきょろきょろ見回すと、煙がくすぶる中から人影が浮かび上がってきた。身構えながら、ようく目を凝らす。
「おお、ユキか」
聞き覚えのある声に構えを解く。全身煤だらけの高虎が何かを抱えて近づいてきた。
「姫様はどちらに」
「御身は無事だ。ついて参れ」
高虎に促され庭へ降り立ち、火の手の及んでいない池の方へと向かう。高虎は急ぎ足で、折り重なる布のようなものを抱えながらひょいひょいと、歳の割に軽い足取りで飛び石を渡る。ユキも、苔生した岩肌に足を取られないよう慎重に後を追う。更に先、庭を突っ切って奥屋敷から遠ざかった所まで進むと、仁親と花里姫が待っていた。
「高虎!」
駆け寄ろうとした花里姫を仁親が制する。高虎は姫君の手前で立ち止まり、両手の荷を下ろす。
「なんとかこれだけ運べました。途中、ユキを見つけたので連れて参りました」
「よくぞ来てくれました」
花里姫は涙目でユキの手を握る。無事を確かめ安心するも、いつも勝気な様子で笑っている郷の花の怯える姿にユキは戸惑いを隠せない。動揺して目を泳がせると、姫君の肩を抱く仁親と目が合った。
「萌黄郷へ逃れる」
仁親は姫君の肩から手を離すと懐紙を取り出した。そこに焦眉の急を書き付け、傍で大人しく控えていた飛燕雀の足に結ぶ。目の前でなされるその一連の動作を、ユキはどこか遠いところから見ている気分で見つめていた。
(萌黄郷って、姫様の許嫁がいるところだよな)
飛燕雀に文を託し、萌黄郷に飛ばす。四人はこの先待ち受ける困難に思いを巡らせながら、夜闇に飛び立っていった鳥の姿を見送る。
仁親が歩み出て、空を見上げるユキの両肩を掴む。肩にかかる圧力が、熱の篭った両掌が、これは現実なのだとユキに知らしめる。
「花里様の為に命を懸けるんだ、ユキ」
仁親の真剣な眼差しを受け、ユキはごくっと喉を鳴らして頷いた。




