五
――夜の仁親を見てみるがよい。
山中の走り込みを終え、いつもなら郷守長屋へまっすぐ寝に帰るところ。有難い風読みからの助言を決行せんと、今宵のユキは奥屋敷の庭に向かって歩いていた。
東吾の言っていた通り、花里姫が毎夜祈りをささげる月見台の前に剣役は立っていた。姫君はとうに眠りについている刻限、誰もいない月見台に光が淡く差し込んでいる。
ユキは気配を消してそっと近づき、木の陰に身を潜めた。やがて仁親は、腰に差した剣をするりと抜くと、静かに飛び上がった。着地と同時に軸足で回転し、両手で剣をさっと突き出す。月明かりに青白く映える着衣、月光を反射して閃く刀身。仁親の周りで遊んでいるように、風に乗って木の葉が翻る。それはユキの知っている型稽古ではなかった。まるで舞のように華麗で、それでいて力強い身のこなしだった。
向き合う相手のいない鍛錬のはずだが、目の前に敵がいるかの如き動き。近づこうものなら殺されかねない、そういう恐怖があった。射るように鋭い蒼い瞳の、その殺気を湛えた眼光が、離れた場所にいる自分を刺し貫いてしまいそうで気圧された。その美しさと恐ろしさに囚われたかように、ユキは夢中で見入っていた。
夜も更けた頃。見えない相手との死闘を終え、こちらに背を向けたまま仁親が口を開いた。
「何をしている」
(やはり、気づかれていた……!)
急に声を掛けられて焦ったユキは、木陰から身を出して頭を下げる。
「申し訳ございません!盗み見るような真似をしてしまって」
ましてや仁親相手に二度目の覗きだ。ここは下手に言い訳をしない方が良いと判断し、ユキは文字通り平身低頭して許しを請う。しばらくそのままでいたが相手が何も発声しないので、上目遣いで伺い見ながらそろそろと頭をあげる。闇の中にいる仁親の表情がよく見えず、怒っているのか不安になってきた頃、仁親がようやく口を開いた。
「東吾の入れ知恵だろう」
ぎくりと身を震わせる。流石剣役、何でもお見通しのようだ。東吾との約束がある手前、ユキは肯定も否定もできずに狼狽えているばかり。
「……少し離れようか」
それだけ言うと、仁親は先ほどまでユキがさんざん駆け回った裏山に向かって足を進めだした。ユキは慌ててその後ろを追う。
「これからお前を襲う」
「へっ!?」
山麓に着くやいなや、物騒なことを言い出す仁親。勿論修行だとわかっているが、今までの打ち込み稽古では自分が向かっていく一方で、仁親の側から仕掛けてくることがなかったため、ユキは面食らってしまった。
「俺から逃げ切って山を下りるか、俺に一撃入れるかするまで追い続ける。俺は木刀を取りに戻り、小半刻後に山に入る。行け」
相変わらずのぶっきらぼうなものの言い様で、ユキに有無を言わせず山へ向かわせる。
自然というのは不思議な力を持っていて、夜と昼では見せる顔が違う。ユキは、死にそうな思いで森を駆けた二年前の恐怖の一夜を久しぶりに思い出して、身体が震えた。
(大丈夫、大丈夫。落ち着くんだ)
腰に下げた木刀の感触を確かめ、深く息を吸って吐く。早まった鼓動が少し収まると、ユキは山中へ向かって一目散に駆け出した。




