四
風森村の北の果て。小高い丘の上に、二つの墓標。ここに眠るは、かつて夕月郷を支えた二人だ。郷を愛し、郷のために生き、その果てに命を落とした若い命。その墓前で初老の男が手を合わせている。
「ここは変わらないな」
「……シン太か」
背後から声を掛けられた男は、前を向いたまま答える。大徳利を抱えた男は、初老の男の隣に並んで手を合わせる。そして懐から小ぶりな酒器を2つ取り出すと、大徳利から酒を注いで墓前に供える。
「先日、初物の酒が手に入ったんでね」
「お二人とも、酒は嗜まなったはずだが」
にかっと歯を出して笑うシン太に、初老の男はあきれ顔で指摘する。
「ほんじゃ、俺たちで飲みましょうや」
さあさあ献杯、と杯の一つを差し出す。男二人はいける口のようで、ぐびぐびっと杯を空にしてはお互いの酒器に注ぎ、飲んでは注ぎ、を繰り返す。
「相変わらず飲んだくれてるのか」
「ここんところはそうでもねえです。先達て三夏村でひでえ水害が起きて、その始末で忙しくしてたんで。堤防を立て直したり、駄目になった田畑の代わりに新しく開墾したりと色々手伝ってやったのさ。この酒はその時の礼で貰ったもんです。久方ぶりに良い酒が入ったんで、昨夜は大宴会と洒落込んでみたというわけで」
「見た目は破落戸のくせして、立派に普請屋をやってるんだな」
初老の男が褒めると、シン太は照れくさそうにはにかんだ。
「師範のお陰で丈夫に育ったんだ。それに、郷の役に立つことをしてねえと、いつかあいつに合わせる顔がなくなっちまう」
そう言って笑う顔は、数十人の舎弟を抱えているとは思えない程穏やかだ。血気盛んな男たちを統べる頭領も、師範と仰ぐ男の前では違う一面を見せる。その弟子の表情の中に、男は何か言いたげな様子を見て取った。
「何かあるのか」
「あるかもしれねえって話で」
よくぞ聞いてくれましたとばかり、懐から折りたたまれた一通の手紙を取り出す。
「あいつが飛燕雀を寄越してきました」
「文にはなんと」
シン太は手紙を丁寧に開くと、初老の男にそっと差し出した。差し出された方は、何度も読み返されたとわかるほどに皺が濃くはっきりと浮かび上がっているそれを、大事そうに一文字一文字指でなぞる。その様子を横目でちらりと見てから、シン太は話を続ける。
「姫君の守りに力を貸せと。婚礼が近づいてきて、流石のあいつも焦っているんでしょう。……未だに奴らを捕らえられていないから」
「あの忌々しい集団か。今の風読みは何をしとるんだ、情けない。奴らをのさばらせおって」
初老の男は、手紙から顔をあげて憎らしそうに言い放つ。
「はは、厳しいな師範は」
小さな岩が二つだけ並んでいるばかりの墓を見つめて、シン太がぽつりと呟く。
「ここに来たら、このお二方が助けてくれるような気がして」
「そうか」
海から吹く柔らかな風が、二人の男を記憶の旅路へ連れていく。目の前の小さな墓、そこに眠る二人が生きていた頃。男たちは、仲睦まじく寄り添う一組の若い夫婦に思いを馳せていた。十数年の時を経て、シン太には淡い記憶として残っている。初老の男にとっては、癒えない傷を抱えて生きてきた年月だ。やがて風がやむと、二人の男に幻を見せていた風の魔力も消えた。
「そろそろ行きやす。黒夜叉集団に襲われた村々に向かわせた仲間が、戻ってきてると思うんで。何か掴んでいるといいんですが」
シン太はそう言いながら空の酒器を懐にしまうと、よっと手をついて立ち上がる。その顔は既に、強気な若頭の顔に戻っていた。
「急いては見えるものも見えなくなる、慎重にな」
弟子に忠告しながら、手紙を丁寧にたたみ直して返す。
シン太を見送ると、初老の男は再び墓標に向き合う。
(あなたがたの息子は、立派に務めを果たしているようですぞ)
記憶の中でいつまでも幼いままの姿を思い浮かべ、そういえばもうすぐ二十歳だったと気が付き、一人で笑う。先ほど会った若者と同じ年頃なのだから、もう自分が知っている頃の子供ではないのだとわかっていても、どうにもしっくりこない。最後に見た仁親は数えで九歳だから、声変わりもしていなかった。
ひとしきり余韻に浸った後、「また来ます」と言い残して初老の男も立ち去って行った。




