五
「昨晩、初めて仁親殿に打たれました。」
「ほう」
興味深げな目線を投げる東吾。風が二人の間をひゅうっと流れる。朝露をのせた草木の間を静かに吹き抜けてゆく。万物に通じるとされる風読み、風を掌るという点においては仁親と似ているが、風の中に立つ姿は全く別の印象を抱かせる。仁親が、花を手折る者を寄せ付けぬ嵐のような旋風なら、東吾は花を撫でる穏やかな恵風だ。まだ知り合って間もないが、胸の内すべてを打ち明けてしまいたくなるような不思議な力がこの男にはあった。
「お前に足りないものは何か考えろ、と言われました。多分、強さとか才能とか技術とか、そういうものとは別に、おいらには何かが欠けているんです」
冷たい地面に転がる自分に、竹刀を突きつけた仁親。凍てつくような視線と声が、打たれた腹の痛みよりも堪えた。
「毎日毎日、こんなになるまで頑張っても全然追いつけない。今日こそ一本取ろうと思っても、全く歯が立たない」
ユキは、この数か月で別人のものになったようなボロボロの手を見つめる。まめだらけの痛々しい手を見て、東吾は在りし日のとある子供の姿を思い出した。
「あいつはあいつで、孝信様にしごかれたようだからな。今のお前の比ではないほどに」
孝信とは萌黄郷当主の弟であり、花里姫の許嫁だ。郷守たちが盛んに噂していたのをユキも耳にしたことがある。郷民からの信望厚く、男っぷりの良い剣豪だとか。
「齢五つを過ぎた頃から、朝も晩もなく修行漬けの生活だ。ずっと花里様の為に、強くなるために生きてきた。見ているこちらが逃げ出したくなるような過酷な修練を、弱音も吐かず重ねてきた」
その光景を思い出したのだろう。苦い顔で続ける。
「孝信様は、萌黄郷の始祖再来と謳われるほどの腕前だ。あいつはそれほどの剣の達人に鍛えられたんだ、身も心も並の強さではあるまい……われらとは、覚悟が違うのさ」
黙って話を聞くユキ。姫君を守るために強くなると、あの日その御前で誓った。どんなに厳しい修行にも耐えると決めた。その覚悟と、一体何が違うのだろうか。
「多くは言わんぞ。簡単に答えをくれてやっては、お前の為にならんからな」
だからこれからも励めよ、と元気づけてくれる。しばらくぶりに人に優しい言葉をかけられて、ユキは涙を流しそうになるのを上を向いて必死にこらえた。




