一
視界の中の月が霞む。感覚の鈍ったふくらはぎを擦りながら、重い足取りで郷屋敷への道を歩く。遠のきそうな意識を必死につかまえる。灯りを持たぬまま夜の山中を散々走りまわり、腕やひざには擦り傷ができていた。毎日身体のどこかに傷を作っては、治りかけたところにまた傷を重ねている。
仁親との鍛錬は常軌を逸していた。奥屋敷の庭先でひたすら打ち合う。しかし対等に打ち合えるはずもなく、ユキが打ち込んでは仁親がいなす、の繰り返しだ。何度打ち込んでもまともに一本とれず、かといって兵法の説明も助言も無い。言葉より身体で覚えろという方針らしいが、そもそもこの男に言葉を求めても無駄なのだと、花里姫がけらけら笑う。
ユキとて、郷守の端くれだ。基本的な剣術の型は、郷守になった当初に指南役から教わった。自分の体格や俊足を生かした攻め方も、由ノ進の手ほどきでそれなりに身につけている。平七との打ち合いでは、文字通り二人で打ち合っていた。そう、一本取ることも取られることもあったのだ。
しかし、というより当然のことだが、剣役の前では赤子も同然だった。そもそも獲物からして違う。ユキは木刀を、仁親は竹刀を握っている。郷守の鍛錬では、木刀が当たると大けがしかねないため、基本的に竹刀で打ち合っていた。慣れない木刀の重さに必死になりながら、ユキは何度仁親に突っ込んでも受け流され、最終的には地面に倒れるのだ。
郷守としてのお役目は、何一つ変わっていない。鍛錬場での修練も、郷屋敷周辺の見回りも、今までと同じようにこなしている。今までとの違いはこの後だ。午後の鍛錬の後は奥屋敷での打ち合い、加えて夜は屋敷裏にある山の中を走りこむ。眠っている他の郷守たちを起こさないよう、気配を消して郷守長屋に戻る。幸か不幸か、普段の鍛錬では誰もがユキを避けているため、傷を作ろうがへばっていようが、ユキの様子の変化に気が付く者はいない。
「ふふ、仁から一本取れそうかしら」
「お戯れを」
微笑む姫君と仏頂面の剣役。最初は秘密の修行に胸を高鳴らせていたユキだったが、あまりの過酷さに何度も音を上げそうになった。気合を発する声は枯れ、休みを知らない足はもつれ、木刀を握る手は血豆で滲み、重さと痛みに耐えながら気力だけでぶつかっていく。なんとか続いているのは、庭先で修行を見守る花里姫の存在があるからだ。郷の花を守りたいという意志が、ユキを突き動かしている。
今晩も、山を駆けてようやく屋敷に戻ってきたところだった。今宵は文句なしの満月。ちょうど、今日のような満月の日に初めて夜の山に放り込まれた。月明かりがあっても夜は夜、闇は闇。足場の悪い山道を駆けて無事でいられるはずがなかった。
ところが今日は、山中がいやに明るく感じた。今日だけではない。近頃、夜を暗いと思わなくなっていることに気が付いた。




