一
朧月が儚げに浮かぶ夜空を、今宵も月見台に立って見上げる姿があった。郷の花たる姫君は、あまり外へ出ない。外界の穢れに触れてはならぬからだ。たとえ毎夜、その身を清めていたとしても。
ある日の朝、ユキは鍛錬場の隅で一人竹刀の素振りをしていた。周囲では、対になって剣を打ち合ったり、徒手で投げ合いをしたりと、郷守たちが稽古に励んでいる。
郷巡りの一件以来、ユキと行動を共にするものはいなくなった。姫御輿を襲った平七と一緒にいたユキも危険人物と見なされたようで、他の郷守たちに白い目で見られながら、その小さな体をさらに小さくするように過ごしていた。
よく一緒におしゃべりに花を咲かせていた伊助と弥助は、郷巡りのお役目に加わっていなかったことが幸いし、冷遇の憂き目にはあわずに済んでいる。そして両人は、自分たちに被害が及ばぬよう、ユキを避け続けていた。そのため、ユキは弁解する機会もなく孤独に過ごしていた。
あの騒動の詳細は伏せられたはずだったが、郷巡りに参加した男たちから少しずつ話が漏れ伝わっていた。姫御輿が襲われたこと、下手人が平七だということ、そしてユキが水車の刑に科せられたという話が、留守番組の男たちの耳に入っていた。一度罰せられた人間がお役目に復帰したということは、疑いが晴れたということを意味するのだが、事が事、郷の花の命にかかわる出来事なだけに、誰もユキと関わろうとしない。ただ一人を除いては。
「久しいな」
「由さん!」
声をかけてきたのは、真新しい装束に身を包んだ由ノ進だ。
「励んでいるな。どうだ、少し顔を貸さないか」
一人でできることに限界を感じていたユキは、喜んでその申し出を受けることにした。
二人は、人気のない屋敷の裏手の方までやってきた。鍛錬場の方から、男たちの掛け声がかすかに聞こえる。
「怪我の具合はもう大丈夫か」
「おう!ほれ、この通りさ!」
あの郷巡りの日、平七が仁親に斬られた後、ユキは姫御輿の右側に配置されていた刀守たちに取り囲まれた。姫御輿が死角になって、平七を止めようとするユキの姿が見えなかったばかりに、共謀者だと勘違いされたらしい。さらに不運なことに、姫御輿の正面にいた東吾が騒ぎに気付いて振り返った時、ユキが刀守に取り押さえられている様子を目にしてしまった。そのせいで水車の刑に科せられてしまったのだ。
努めて強がってみせるユキに、由ノ進は労わりの言葉をかける。
「とんだ災難だったな」
ユキと同じ側にも数人いたはずだが、彼らをはじめあの場にいたほぼ全ての郷守・刀守は、姫御輿から飛び出てきた姫装束に釘付けになっており、哀れな少年が捕まる姿など目に入っていなかった。
そんな中、由ノ進はただ一人冷静に事を見極め、伸びた平七を縛り上げていた。実際に手をかけたのは仁親だったが、由ノ進は下手人捕縛の功により、念願の刀守への昇格を果たしたのだ。
「すぐに助けてやれなくて済まなかった。気が付いた時には、お前が引っ立てられた後だったんだ」
「いいんだ。下手人を捕まえるほうが大事だ。由さんはお役目を全うしただけだろう」
平七を縛り上げて終わりかと思いきや、まさかユキまで捕まるとは思っていなかったと、由ノ進はすまなそうに言う。
「いや、謝らせてくれ。あの時、お前を疑う気持ちが全く無かったわけではないのだ。俺の位置からは凶行の瞬間は見えなかったんだ。……少しでもお前を疑ったこと、許してくれ」
言わなければわからなかったものを、由ノ進から律義に謝罪の言を述べられ、ユキは救われた気になった。鍛錬でも居場所がなく、見回りでも仲間たちに口をきいてもらえず、心細く過ごしていたユキには、自分を信じてくれる存在がいるだけで心強かった。
「ところで、新しいお役目にはもう慣れた?刀守ってどんなお役目なんだい?由さんの他にも双刀はいるのかい?」
刀守になったばかりで忙しいだろうに、居場所のない自分を案じて会いに来てくれたことが嬉しくて、ユキの声は自然と弾む。
「そういっぺんに聞くなよ」
由ノ進は今、郷の南西にある村々の管理を任されているらしい。各村の視察や郷守のとりまとめ、殿に納める作物の出来を確認したりと、なかなか忙しく過ごしているようだ。郷娘へのちょっかいは程々に抑え、至極真面目にお役目に励んでいるとは、本人の言だ。
「久方ぶりに郷屋敷へ参ったが、やはり落ち着くな」
今日は受け持ちの村々の状況報告をしに、顔を出したという。二人が顔を合わせるのは郷巡りの日以来だ。郷守時代は毎日のように一緒に過ごしていただけに、ユキも由ノ進も物足りない思いを抱えながら日々を過ごしていた。お互いあえてその名を口には出さないが、ある男の存在を意識せずにはいられないのだ。かつての仲間であり、あの騒動を起こした張本人の話題を避けるように、二人は思い出話に花を咲かせる。
「それにしても……ククッ……しかし」
新米の刀守は、思い出したように笑いを漏らす。
「『花の姫君』かと思いきや、お前が見惚れた相手が男だったとはな!」
「そっ、それは言うなよう!」




