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姫君の剣-ひめぎみのつるぎー  作者: アイク
風使いのジン
20/49

「先ほどの話だが」

 ふいに話しかけられて、ユキは我に返った。

山吹村(やまぶきむら)からここまで駆けてきたのか」

「はい。走ることは昔から得意で。……むしろ、走ることしかできなかった」

 賊に立ち向かう力があれば、親や村の皆を助け出せたかもしれない。もっと身体が大きくて腕力があれば、せめて母親を背負って一緒に逃げることもできたかもしれない。しかし実際は、己一人が逃げのびることで精いっぱいだった。

「そうか」

 空模様と同じく暗く沈んでしまった少年の様子に、仁親(まさちか)は話を切り上げることにした。


「そろそろ暮れる。郷守長屋(さともりながや)まで送ろう」

「い、いえ!方向を教えていただければ、自分で歩いて帰れます」

 有難い話だが、自分よりはるかに身分の高い者に送ってもらうなど、畏れ多いことこの上ない申し出だ。

「おかげさまで、だいぶ衣も乾きましたし」

 常春の夕月郷は、日が沈んだ後も空気にぬくもりを感じるほど、温かな気候をしている。

「水車に縛られ回されていたやつが何を言う。自力で起き上がれもしなかったのだ、強がることはない」

 衣服が乾いて水分の重さがなくなったとはいえ、満身創痍のユキのどこにも、歩いて帰る余力など残っていなかった。当然仁親は、それを見抜いている。それでも、郷守としてのなけなしの矜持がユキにも残っていた。

「しかし、剣役の御方に背負ってもらうなんて申し訳が立たないです。姫様でもないのに」

 恐縮しきりのユキに仁親は、案ずるな、と一言呟くと指先を口元に近づけた。まもなく、軽快な足音が近づいてきた。


(なんだ……?)


 夕闇の中姿を現したのは、鬣をなびかせながら走る、筋骨隆々とした馬だった。

「すげえ。おいら、こんな立派な馬初めて見ました」

 村で見かけるのは、荷馬車を引く驢馬か、せいぜい行商人が連れている壮年を過ぎた馬くらいだ。若々しく、細身ながらも鍛え抜かれた肉体、それを支える四本の逞しい脚。平民の生きる世界ではお見受けできないお宝だ。

 仁親の傍らに足を止めた馬は、大きな体をそっと主へ寄せる。仁親曰く、この馬は“天翔ける駿馬”だという。どんなに遠い所へでも、疾風のごとく駆けてゆける天翔馬(てんしょうば)。立派な異名を持つ馬は、主人に呼ばれ見るからにご機嫌な様子だ。仁親は愛馬を一撫ですると、まずユキの腰をつかんで馬の背に押し上げ、自分もその後ろににすっと飛び乗った。重力を感じさせないような、軽やかな騎乗だった。

「落ちないように気をつけろ。ゆけ、アマト」

 そう言って、仁親がトンっと馬の腹を蹴ると、馬はゆっくりと前進しだした。


 “天翔ける駿馬”と聞いて、一体どんな速さで駆けるのか恐々としていたユキの心配をよそに、仁親は馬に乗り慣れないユキに合わせて、緩やかな調子で馬を進める。

 それでも最初はおっかなびっくり、馬が歩みを進めるたびにお尻が浮いて戸惑うユキだったが、次第に余裕が出てきたようで、背後の仁親に声をかける。

「“アマト”と呼んでましたけど、それがこの馬の名ですか」

「ああ」

 頭上から返事が降ってきた。

「アマトかあ。素敵な名前だ」

「そうか?」

「おいらなんて、雪の日に生まれたからユキって名付けられたんです。こんなに温かな郷なのに、雪が降ったなんて信じられないですよね」

「……そうだな」

 それきり仁親は何も話さなくなった。


 馬の闊歩する足音はまるで子守歌、馬上の揺れの心地良さはさながらゆりかごのようで、次第にユキを眠りへ(いざな)ってゆく。

 仁親は、己に背をあずけて寝息を立てる少年の腹を片手でぐるっと抱え込むと、もう片方の手で手綱を握る。そうして愛馬の腹部をもう一蹴りすると、馬は待ってましたとばかり、速度を上げて走りだした。

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