3.口づけ
魔族の街見学はすごく面白かった。
魔族はみんな人型かと思っていたのだが、体の一部に魔物の特徴を持つ者もいたからだ。「怖くないか?」と聞かれたけれど、「なんか強そう」という感想しか出てこなかった。
人間よりも遥かに様々な特徴を持つ魔族たちのなかでも、魔王は間違いなく一番美しい。美形順で魔王が決まるのかと聞いてみたら、強さで決まると言われた。恐怖政治でもなく、強い相手には自然と従いたくなる習性があるようだ。
あと女性がいなかった。王宮だけかと考えていたんだけど、違ったらしい。街で子どもは見かけたから……いったいどうなっているんだろう?
子作りの方法なんてさすがに恥ずかしくて聞けなかった。こちとら色事とは長らく無縁だったのだ。
そして魔族の文化水準は街中でもすごかった。
手作業が普通だと思っていた洗濯は、魔力を原動力とした魔導機で全自動だった。娯楽はあっちじゃ酒と博打くらいしかなかったのに、こちらでは街中でも劇場があって魔法投影による劇が見られたり、大人数での音楽演奏なんかも聞けたりするそうだ。高級品のはずの本さえ、若者が読みながら歩いていた。
医者の役割も傷口を水で洗って押さえておくとか、それ以上は祈祷師に頼むのがエスメラルダでは普通だった。なのにシュピラールでは風邪も怪我も医者に行けば治癒魔法や魔法薬で治るというのが一般的な認識のようだ。
なによりもみんなにこにこと笑顔をこちらに向けてきて、俺も幸せな気分になった。躓いて転びそうになった俺を、結局魔王が抱き上げて歩いていたからかもしれないが。
でも街の雰囲気からして、ここでなら俺も上手く生きていけるかもしれないと感じた。
魔王城に帰り、部屋に到着するとほっとする。街でも生活できそうと考えながらも、今はここが俺にとって安心できる場所になっているのだから可笑しい。
湯浴みを終えてソファに座ると、また魔王が隣にぴったりと座る。膝の上じゃないだけましだ。
昼間のことを思い返していた俺は、切実な思いをため息に乗せた。シュピラールには聖女なんて必要なく、魔物の脅威に恐れずに済んでいることが羨ましかった。
「この国はいいな……俺も、魔族に生まれてたらよかったのに」
「人間は弱いものな。だが、ルイスはどこにいても愛されそうなほど可愛らしいぞ?」
魔族の人間フィルターは分厚すぎる。こんなおっさんを捕まえて何が可愛いのか。そりゃあ、種族が違うせいでこっちじゃ俺は小柄扱いで、年齢よりも若く見えるそうだけど……
俺が愛されるような人間なら、国を追放されることなんてなかったはずなんだ。
「俺は……誰にも愛されたことなんて、ない」
「私が愛してるじゃないか! 今だけじゃない。私は、前から……!」
「っぷ。あははは! エスクーロ様……ふふっ、優しいんですね。ありがとうございます」
「……!」
必死で反論してきた魔王に、俺は吹き出すように笑ってしまった。確かに愛玩してもらっている自覚はある。前からって、まだ出会ってひと月とちょっとなんだが。
魔王はぱか、と口を開けて俺を凝視している。そういえば久しぶりに笑ったな。……いつぶりだ?
魔王の前で大口開けて笑うのは失礼だったかと気づき、ようやく俺は口を閉じた。白い肌に朱が差している気がするけど、怒ってないよな?
それでも口角は上がってによによしてしまう。人に愛されるってこんなに胸の温まることだったんだな。ぽかぽかと幸せな気持ちになる。
珍しく間抜けな顔の魔王を見ていると、ふと、その顔が近づいてきた。隣り合って座っているから、元々距離はかなり近い。
(ん……? えっ)
黒く長いまつ毛が伏せられたな、と思ったときには、唇に何かが当たった感触があった。
経験はないけど、状況から判断することはできる。ふに、としたものが離れていって、今度は俺が顔を赤くする番だった。カッと顔が熱くなる。
「今日は疲れただろう。おやすみ」
魔王は俺の額にもちゅっと口づけを落として、去っていった。その耳が、俺の顔と同じく真っ赤になっていたことに気づくはずもない。
「えっ、なに……なんで??」
その夜は懐かしい夢を見た。聖女として辺境を巡り結界の壁を完成させ、二周目に入って誰もついてこなくなった頃――
俺は透ける壁の向こう側に、黒く美しい毛並みを持つ狼の魔物を見つけた。一瞬身構えたものの、その魔物の赤い目には理性があるように見え、不思議と怖いとは感じなかった。
魔物は基本的に人間を見ると餌だと認識して襲いかかってくるのだ。だがその狼は俺をただじっと見つめていた。
「……なんだ? こっちに来てもどうしようもできないぞ?」
しばらくすると、トテトテと近づいてきたのでつい話しかけてしまう。しかしその魔物が歩いた跡に、赤い血が点々とついていることに気づく。怪我をしているのだ。
よく見ると、足を獣罠で挟まれていた。かつて結界のできる前は、あらゆる罠で魔物を撃退しようとしていた名残だった。
「痛そうだな……外してほしいのか」
「クゥン……」
「わかった。でも俺を食おうとするなよ? 約束だからな?」
「ワン!」
犬みたいだな、と思ったが狼も似たようなものかもしれない。俺の話す内容を理解しているかのような鳴き声に癒やされ、素直に助けてやりたいと思った。
結界は魔物を通さないが人間は通す。俺は結界の外に出て、魔物の足元にしゃがみ込んだ。
二つの半円形の鉄の顎が、狼の前足を挟み込んでいる。外すことを前提に考えられていないため、凶悪な力が加わっているのが肉に食い込んでいる様子から分かった。
「ごめんな、痛いよな……」
俺は渾身の力で罠をこじ開けようとする。錆びた刃先は俺の指をも傷つけ、血で何度か滑ってしまったが、持っていたナイフの鞘を挟み込んだりしてやっと狼の足を解放することができた。
「っふー……よかった。動けるか? 動けそうだな! こっちに来ても結界があるからな、元いた場所に帰るんだぞ?」
血の出ている足を水で洗ってやりながら、言い聞かせる。可愛いけど魔物は魔物だ。人間と共存はできない。
俺は最後に血のついていない方の手で魔物の頭を撫でてやった。耳の後ろにコツンと小さな角がある。
(人懐っこくて変な魔物もいるんだなぁ……)
自分が魔物を助ける変な人間であることを棚に上げて、俺はしみじみと思ったものだ。
寝る前、俺は次に魔王に会ったらどんな顔をすればいいんだと本気で悩んでいた。しかし朝になってみると、朝食のワゴンを運んできたのはポルトただひとりだった。
ほっとした反面、毎朝「ご飯だぞ!」とやってくる人が来なかったら来なかったで気になる。俺は魔王城に来てから食べ慣れてしまった白くてふわふわのパンをちぎりながら、ポルトに話しかけた。
「なあ、エスクーロ様はなにしてんだ?」
「えす……? あっぶね、……魔王様ですね」
側近たちは魔王を名前で呼ばない。畏れ多くて呼べないというのが本音のようだが、それって寂しいことだよなと思う。
一番近い立場が宰相のヴェントで――専属主治医でもある――、彼でさえ名前では呼ばないのだ。
「確か人間の国が兵を挙げて向かってきてるとかで、朝から会議です」
「えっ」
思わぬ情報に、口に運ぼうとしていたパンがぽろっと唇に当たって落ちる。ポルトは「どうしたんですか?」と不思議そうな顔で、さっと落ちたパン屑を拾った。
シュピラールに向けて兵を起こしたのは、俺が元いたエスメラルダ王国? それとも他にもあるという人間の国だろうか。
ポルトに聞いても興味がなさそうに知らないと言われてしまう。魔族たちの戦闘能力が高いことは想像がつく。心配する必要はなさそうだけど……
「エスクーロ様のところに行く! 連れて行ってくれ!」
「わっ、サプライズですか……! 魔王様喜んで泣いちゃいますよ!? あと人間様にお供できるおれも嬉しい!」
食事を終えたあと、なぜか感激しているポルトと一緒に部屋を出た。なお抱っこは拒否して靴を履かせてもらっている。魔王以外にも抱っこされるなんて絶対に嫌だ。
まだ会議中ならここのはずだと連れて行かれた部屋の前にたどり着くと、ちょうど会議が終わったのか扉が開いた。邪魔にならないよう廊下の壁に沿って立っていると、先に出てきた人たちが俺に気づいて「人間様だ!」「可愛い!」とニコニコしてくるから苦笑いで手を振り返しておいた。
魔王はまだ出てこない。会議はどうなったのか、魔王も前線に立つことはあるのか確認したくて、俺はじりじりと待っていた。
「はあ、前からだがエスメラルダはろくな国じゃないな」
「密偵とは連絡が取れたんですよね?」
聞こえてきた母国の名前に、耳がぴくりと動いた。この角度から姿は見えないが、魔王とヴェントが会話しているようだ。盗み聞きはよくないと、思ってるけど……
「あぁ、もう結界が用を成してないからな。しかしあいつもまだまだだな。目障りな聖女なんてさっさと殺してくれればよかったのに」
「でもそうしていたら……会えなかったでしょう?」
「くそっ、そうなんだよな……。あいつの価値も分からないなんて、人間は馬鹿で、強欲で、どうしようもなく愚かだ」
頭から血の気が引いていく。ふら、と体が傾いで、よろよろと俺は踵を返した。ポルトが「どうしたんですか!?」と声を掛けてくるが、もはや走りそうな勢いで部屋まで戻った。
「ひとりにしてくれ」
「ええっ! 人間様~!?」
バタンと扉を閉じて、背中を扉につけたままズルズルと床に座り込む。頭の中に魔王の声がこびりついて離れない。
聖女なんて殺せばいい? 人間は愚か? じゃあ、聖女で人間の俺って……――
目眩がして、目の前が真っ黒に染まっていく。
(え? なんなんだ、これ……)
胸が苦しくて、上手く呼吸ができない。腹の奥に落とされた氷のような冷たさが全身に伝播する。心を引き絞られるような痛みに、自分が国外追放になったときより衝撃を受けていることを知る。
気づけば頬を伝ってぽたぽたと、絨毯に水滴が染み込んでいっていた。突きつけられた喪失感に、俺は魔王に心から甘えていたのだと気づかされる。
初めて無条件に優しくされ、甘やかされた。自分は誰にも愛される価値がない、信じても無駄だと頑なになっていた心はいつしか溶かされ、ほわほわとぬるま湯につかっていたのだ。
俺を聖女だと知らないからだとはいえ、なによりも魔王が俺を否定するような発言をしたことが悲しかった。
優しくしてくれるのはここにいるみんながそうだ。だけど全力で甘えても罪悪感を抱かない相手は魔王だけで。
俺にだけ名前を呼んでほしいと懇願して、あの美しい顔が名前を呼ぶだけでふにゃりと緩むのがたまらなかった。口づけをされても嫌悪感を抱けず、昨晩はずっとドキドキしてなかなか寝つけなかった。
今さら気づかなければよかった。俺は…………魔王のことが好きなんだ。
嫌われていると分かったことで恋を自覚するなんて、馬鹿みたいだ。
魔王は愚かな人間を飼うこと自体は楽しんでいるのだろう。でも、それは俺が聖女だと知らないからだ。闇属性の頂点である魔王にとって、光属性の強い力を持つ聖女は、憎みこそすれ愛するなんて不可能に違いない。




