2.キラキラ魔王様
熱い。俺は燃えている森の中を彷徨い、何かから逃げていた。どこか行きたいところがあるはずなのに、一向に目的地に辿り着けない。
低い話し声が聞こえてきて、意識が浮上した。ああ、夢だったんだ。
いったい何から逃げていたのか、どこへ行こうとしていたのかも分からない。夢ってそんなものだけど、もやもやする。
体が熱いのは夢じゃないらしい。どうしてこんなにも熱いのか、いまは火の季節じゃなかったはずだ……
「ああぁぁぁ可哀想に、こんなに汗をかいて……脱水で死んじゃわない?」
「死ぬかもしれませんね。冷えた果実水を飲ませましょう」
知らない声が二つ、会話をしている。しかし体が鉛のように重くて、瞼を上げることすらできない。
夢と現実の間をふわふわと揺蕩っていると、口元に冷たく細い何かが押し当てられた。唇が濡らされた感覚に思わず舐めると、甘くて冷たい飲みものだと気づく。
もっとそれが欲しくて、俺はそれに吸いついた。
「お〜〜〜ヨシヨシヨシ、上手でちゅね〜! 見ろヴェント! 可愛い!!」
「っう、ゴホ! 痛……っだ…………」
「馬鹿じゃないですか魔王様!? 寝ているのにそんな一気に飲めるはずが……あああ死んでしまう!」
仰向けだったせいで飲み物が気管に入り、ゴホゴホと咳が出る。反射で動くと、全身に激痛が走った。
労わるように肩を撫でられ、力を抜くと少し楽になる。顔や体を濡れた布で拭われて、汗まで拭き取られる心地よさにため息がこぼれる。
たったそれだけで疲れた俺は、再び眠ってしまった。変な夢だな、と思いながら。
「よかった……息してる……」
「はあ。人間のか弱さを、我々はもっと勉強せねばなりませんな」
やけにすっきりと、パチ!と目が覚めた。俺はぬくぬくとフワフワで包まれていることに気づき、「ああ、ここが天国か」とやけに納得した。
少し身じろいでみても、恐ろしく肌心地がよい。信じられないほどすべすべのシーツと、フワッフワの毛布。暑くも寒くもない空間で、着ているものも着ていないみたいに肌に馴染んでいた。
俺は首を動かして「天国」を見渡した。透ける天蓋の向こうにだだっ広い部屋が見え、王宮よりも立派だなと思う。そもそも寝台が大きい。
動けそうな気がしたので、俺は寝台の端へと移動した。ボロボロで死んだからか、まだちょっと体のあちこちが痛い。やけにリアルだ。
高さのある寝台の端から足を下ろし、立ちあがろうとしたときだった。
――ベシャッ。
動かそうとした足に思ったような力が入らず、即転げる。
「ぎゃっ」
魔物みたいな声を出してしまったな……と思っていると、寝室の片隅から人の叫び声が聞こえた。
「に、ににに、人間様が起きたぞー!!」
「……人間様?」
顔を上げたときにはもう、叫んだ人は扉から去ったらしく姿は見えなかった。
人間様ってなんだ? 俺のことか? じゃあそっちは……誰?
ポカンとしていると、すぐに人がやってきた。真っ先に目に入ってきた男の姿に、俺は再びポカンとする。
なぜなら、見たこともないほど――絶世の美男だったからだ。
長身のシルエットは手足が長く、同じ人間とは思えないほどスタイルが良い。長い漆黒の髪に白皙の肌。目鼻立ちはくっきりとしていて、無駄な余白が一切ない。
特筆すべきは血のように赤い瞳の色と、頭に生えている髪と同じ色の角が二本……
「わ〜〜〜っ落ちちゃったの? 大丈夫でちゅか!? おいヴェント、脚が折れているかもしれん、診ろ。ポルトはどこ行った!? 見守り隊に立候補しておいて怪我させたら死刑だからな!」
「…………」
気のせいだろうか。絶世の美男が俺に向かって赤ちゃん言葉を使った気がするのは。
俺は両脇の下に手を入れられてヒョイッと持ち上げられ、寝台の上に戻される。すぐさまヴェントと呼ばれた男が美男の影から出てきて、俺に「痛いところはありませんか?」と聞いてくる。
ちなみに影から出てきた、というのは比喩じゃなく本当のことだ。にゅるりと影から人が出てきた。
ヴェントは灰色の髪が鳥の巣みたいになっている、小柄な老年の男性だ。医者っぽいガウンを着ているから医者なのかもしれない。ただしガウンの色は灰色だが。
「足に力が入らなくて……」
「一ヶ月も療養されていますからね。か弱い人間なら当然のことです」
「い、一ヶ月!?」
俺は死んでなかったということか? あの小さな崖の下で、誰かに助けられてここへ来たのかもしれない。
ここはどこだろう。想像上の天国みたいに立派な場所だし、目の前には捻れた角が生えた美男と、影から出てきた男がいる。
まさか、とひとつの可能性が出てきた。
「そんなやわなあんよで歩いたら、足に傷がついてしまうだろう! ああ、フカフカの絨毯を用意しなければ……」
「むしろ歩かせない方がいいかもしれませんね。外は人間にとって危険でいっぱいでしょう」
「そうだな、私が運ぶ!」
「魔王様がそうおっしゃるなら」
ま、魔王……目の前の美男が魔物を統べる魔王なのか!? 俺はギョッと目を見開き、改めて魔王と呼ばれた男をじっくりと見つめた。
想像と全く違う。恐ろしい異形って、どこがだよ、角か? むしろ似合ってるし。
でもきっと、強いんだろうな。俺は思い出したように結界を発動し、魔王と呼ばれた男に頼んだ。
「魔王、俺を殺してくれ」
「ほ〜ら〜〜〜! 人間って弱いくせにすぐ死のうとする! ――もうおねんねしましょうね? ……って、あれ、触れないぞ! なんだこれ、結界か!?」
「え。まさか、破れないのか……?」
結界に弾かれた魔王の手を見て、ぱかっと口を開けてしまう。どうやら俺の結界は、魔王にも効果があるようだ。
だが魔王が本気を出せば、おそらく破られるはずだ。魔王にその気が全くないだけで。当の本人は「せっかく手に入れた人間に、嫌われた……」と、しくしく泣いている。
ヴェントが憐れむように魔王を見、俺に頼んできた。
「魔王様が泣くので、結界を消してもらえませんか? あなたを拾ってきてから毎日楽しそうで、お世話も必死にされていたんです」
「…………」
魔王のイメージがガラガラと崩れていく。よく分からないが、俺は魔王に好かれているらしい。
到底殺してもらえそうにないし、そもそもここに来て死ぬ以外の選択肢が出てきている。一旦頭の中を整理したかった。
「少し……考えさせてくれ」
「ご飯、食べる?」
「……食べる」
「そうか!」
そういえばお腹が減っているな、と感じて反射的に返事をすれば、魔王はぱああっと美しい顔を輝かせた。眩しすぎて目を逸らす。
心臓がドキッドクンッと変な動きをしている。俺が他人から純粋な好意を向けられたのは……本当に、いつぶりだろうか。
俺は部屋の中で少しずつ動く練習をし、ひとりでもちゃんと歩けるようになった。そもそもやせ細って大怪我をしていたところから一ヶ月寝たきりだったので、体力が底をついていたのだ。魔族たちに「人間って弱い!」とイメージづけられても仕方がない状態だった。
魔王や医者のヴェント、侍従みたいなことをしてくれる部屋付きのポルトたちは魔族というらしい。魔物が人型をとったというのは間違いで、同じ闇属性というだけで別の種族なんだそうだ。
俺は倒れていたところを魔王に拾われ、魔族の国シュピラールの魔王城に運ばれた。彼らは弱すぎる人間という生き物に庇護欲を感じるようで、たまに死にかけの人間を拾ってくるらしい。しかしここは人間の生きる国と比べて魔素が極端に濃いため、数日と経たず死んでしまうのだという。
魔素は魔物や魔族が生きるための酸素みたいなものだ、と言われたがよく分からなかった。俺は光属性の魔力をふんだんに持っているから平気みたいだ。
初めて死なない人間がやってきたということで、みんな……特に魔王は浮かれている。
「ルイス! 今日のご飯を持ってきたぞ!」
豪華な食事を乗せたワゴンが部屋に運ばれてくる。今日も麗しい魔王は、黒のシルクシャツに細身の黒いパンツを履いている。ブーツまで黒いから、肌の白さと赤い目と唇が際立つ。……やけに色気があるんだよなぁ。
ちなみに赤ちゃん言葉は即刻やめてもらった。お世話されていた一ヶ月はさぞかし……うん、記憶がないからなかったことにしよう。
俺がテーブルの前に置かれたソファへ移動すると、魔王がいそいそと隣に座ってくる。
ワゴンを引き継いだポルトがテーブルに食事を並べると、魔王はスプーンでスープを掬って俺の口元に持ってきた。
「はい、あーん」
「魔王様、何度も言っていますが俺は自分で食べられます」
「エスクーロだ」
「……エスクーロ様。んぐ、」
魔王は名をエスクーロと言う。誰も彼のことを名前で呼ばないから俺も遠慮したいのだけれど、毎回訂正されるからそろそろ諦め気味だ。
この「あーん」だっておかしい。ほとんど寝たきりだった頃に、「腕が疲れるだろ!」と言われて受け入れてしまったのが駄目だったんだ。
それ以来自分で食べようとすると魔王も側近たちも絶望的な表情をするから、なぜか俺が悪者になってしまう気がして受け入れる羽目になる。
今だって名前を呼べば自分で食べさせてくれるのかと思いきや、開いた口にスプーンを突っ込まれただけだった。当の本人は満足気にニコニコしていて、また俺は絆されそうになる。くそ、顔が良すぎるんだ。
風呂だってひとりだと何もできないと思われているのか、数人がかりのサポートつきだ。体と顔と髪で使う石鹸が違うことにも驚いたし、その後に保湿やらマッサージやら複雑な工程が毎日おこなわれる。気持ちいいからされるがままになっているが、羞恥心は早々に死んだ。
服の着替えだって数人がかりでされる。麻のゴワゴワした服に慣れているから、あてがわれる服の上質な生地にはいつも戸惑う。
ボタンのひとつさえ自分で留めさせてもらえず、それどころか毎日違う服を着せられ「美しい!」「可愛い!」と絶賛の嵐だ。どちらの形容詞も俺には当てはまらないと思うんだけど。
ただ、この至れり尽くせりの生活で、俺の見た目は前よりも遥かにマシなものになったと言えよう。
くすんでいた金髪は艶々さらさらになったし、肌にも血色が出てきた。痩けていた頬とやせ細っていた体にも肉がつき、健康的になってきた。
正直、エスメラルダの王族よりいい生活をしていると思う。俺は田舎出身の庶民だけど、王宮での生活も知っている。
だけど食べるものも身につけるものも部屋にある調度も、全て今のほうが質がいいのだ。みんなが使っている魔法のレベルも高く、生活水準が違いすぎる。
シュピラールが人間の国よりも遥かに豊かで発展していると、誰が想像しただろうか?
「ルイスはなんて可愛いんだ。特にその目がいいな。世界中からアメジストを集めたって、この瞳には叶うまい」
「ええ……? エスクーロ様の目だってルビーみたいに綺麗ですよ。角も強そうでかっこいいし」
俺の言葉に、魔王は「そうか?」と嬉しそうだ。毎日のように褒められて、否定すると悲しそうな顔をされるため、逆に褒め返すことにしている。
何をやっているのか自分でも分からないが、魔王は褒めるところしかない見た目をしているおかげで苦でもない。
魔王も王様なんだから忙しいはずなのだけれど、必ず朝晩と会いに来てくれて俺の世話を焼いていく。
魔物から連想する恐ろしいイメージに反して、魔族はみんな優しいし人間とそう変わらないように思える。ここでは俺が聖女だと知られていない上、できることもないから、仕事をさせられるわけでもない。
言うなれば……愛玩動物とか、お気に入りのお人形に近い。
俺は死ぬ意味も見いだせず、ただ生かされている。赤ん坊相手みたいだとはいえ、魔王やその側近たちに甘やかされると、心の奥底で凍てついていた部分が溶けそうになっているのを感じる。
彼らが俺に飽きてまた外に放り出されたら、生きていけるんだろうか。魔族の国で、まだ魔王城の中のことしか知らないのは不安だ。
「エスクーロ様。俺、外に出てみたいです」
「ん? 城の周りは面白いものなんてなにもないぞ……?」
「街中にも魔族の方たちが住んでいるんですよね? どんな風に生活しているのか、見てみたくて」
「そ、そんな危ないことを……!? ルイス可愛さに、誘拐されたらどうするんだ!」
「だめ、ですか……?」
「ぐぅ、可愛い」
魔王は意外と俺のお願いに弱い。名前を呼ぶこととかお世話に関しては譲らないことのほうが多いけど、それ以外の望みは大体……条件つきで叶えてくれる。
部屋を出たいと言えば、抱っこ移動だったが城の中を案内してもらったり、仕事がしたいと言えば魔王の膝の上で一緒に会議を聞かされた。
……お気づきだろうか。俺は未だに靴をもらえていない。部屋には分厚くて毛足の長い絨毯が敷かれ、足にはモコモコの靴下を履かされている。
多分助けてもらったときに足の裏がボロボロだったから、歩かせては危険だと考えられているのだ。
ちなみに体の怪我はエスメラルダとは異なる人間の国の、ポーションという魔法薬で治してくれたらしい。シュピラールの薬は闇属性の魔族向けだから使えないようだ。
その人間の国も、エスメラルダより遥かに進んでいることは推察できる。他国との交流がないエスメラルダは文化水準が低かったことを、俺はここに来て初めて知った。




