1.聖女の追放
「この国に聖女は二人も要らない」
エスメラルダ王国の第一王子は、俺の顔を冷たい目で睥睨し言い放った。
王宮の謁見の間には金箔の施された柱が等間隔に並び、頭上ではシャンデリアがまばゆく輝いている。そんな空間で、後ろ手を縄で拘束された俺は粗末な服を着せられている。
「陛下、聖女はパトリツィアひとりで十分です。能力も、清廉さも、愛嬌も、この男より優れている。神に愛されし彼女を妬んだ彼の行動は、許されるものではありません。どうか私に、この男を処断する許しをいただけますか」
「よかろう、お前の好きにするが良い。聖女予算も限られているから、ちょうどよい間引きになろう」
国王はあっさりと王子の奏上を認めた。膝をついている俺に、側近たちの敵意に満ちた視線が突き刺さる。
どうでも良さげな国王と、ひっそりと口角を上げているパトリツィアを除けば、聖女を傷つけた俺のことをこの場にいる全員が憎んでいた。
初めて会ったとき、キラキラとした目で「国を救ってくれ!」と頼んできた第一王子は、あの頃の面影もなく低い声で沙汰を下す。
「ルイス、お前は国外追放とする」
「…………」
「魔物のはびこる国外で、せいぜい生き延びるんだな」
何を言っても無駄だと分かっていたから、俺は黙っていた。純白の衣装を纏ったパトリツィアが去り際、耳元で俺に囁いていく。
「おじさんが聖女だなんて、私の国に相応しくないもの」
嵌められた。いや、彼女がこんなことをしなくても、いずれ俺の居場所はなくなっていたに違いない。
十二歳も年下の聖女が現れた瞬間から、その兆候はあったのだから。
常に魔物の脅威と闘っているエスメラルダ王国では、こんな言い伝えがある。
『強き光魔法の素質を持つ者が、聖女となり国を救う』
人間は誰もが魔法の五要素、火・水・風・土・光のうちひとつの素質を持って生まれる。それらは生活魔法として、人々の暮らしに根付いていた。
生活魔法は自然に習得できるもので、火打ち石を使わず火を熾したり井戸に頼らず水を生成したりと、日々の暮らしに活かされている。光魔法も決して珍しいものではなく、蝋燭代わりに周囲を照らすのが一般的だ。
十四歳になって神殿で成人の儀礼を受ける際、聖女であった場合にだけ神殿内にまばゆい光が満ちると言われている。だが俺は田舎の農民のせがれだったから、成人礼とは無縁だった。そもそも男も聖女になり得ると知らなかったのだ。
それに山を越えて隣町の神殿まで行くのが面倒で、村の誰も行っていなかったと思う。信心深さより生活が大事だった。
国には聖女のいる時代と、いない時代がある。聖女なき時代、国は国境に軍を配備し魔物と戦う。もっとも魔物は強く、時に人の力を凌駕した。
俺が十八のときは、長引く戦いと多大な犠牲により軍は疲弊しきっていた。国境の民は家を捨て、難民が溢れかえる。そんな絶望の中で、国を挙げての聖女探しが始まった。
そうして、ようやく見つかったのが――俺だったというわけだ。
着の身着のまま王宮に連れてこられ、どうして成人礼を受けなかったんだと神官や王族にきつく非難された。俺の印象は最初から良くなかったと言えよう。
唯一同い年の第一王子だけが俺の味方で、それは彼が聖女という存在に大きな期待を抱いていたからだ。二人で国を救おうと言われ俺は頷いたが、聖女の仕事はとても地味で、なおかつ過酷だった。
まずは神官から聖女教育と光魔法の指南を受けた。俺は字も読めなかったから、めちゃくちゃ呆れられた。寝る間も惜しんで詰め込まれ、なんとかひと通りの教育を終えた。
すぐに国境付近へ向かい、光魔法を使って結界を張る。その輝きの内側にいる限り俺には魔物も近寄ってこられないが、結界の外側は別だ。共に向かった王子は危険にさらされた。
結界を張る魔法には時間を要する。軍の国境警備隊に守られて見ているだけで何もできないことが、王子にとっては不愉快だったらしい。
次第に王子は王宮で仕事があると言い訳して付いてこなくなり、俺は黙々と結界を張り続けた。
結界は柱状になっており、一定の間隔で張ると繋がって壁となる。放っておくと弱まるため、定期的に光魔法での補強が必要だ。
そのため俺は何年も何年も、国の国境をぐるぐると回る日々だった。環境も、聖女の勤めもつらかったけれど、国境警備隊や付近の村の人からは大いに感謝されたからまだ耐えられた。
しかし一旦国を囲う結界が完成すると国境警備隊は不要となり、村の人も平和に慣れてしまった。俺はひとりになった。
王宮には俺に与えられた部屋があったものの、帰りたいと思えなかった。親は早々に死んでいたし、出身の村にも未練はない。
淡々と聖女の仕事をこなし、年に一度報告のために王都へ向かうだけの変わりない日々。けれど二年前、俺が二十四歳のときに変化が訪れた。
「もうひとり聖女が現れた!」
王都で成人礼を受けた、十四歳のパトリツィアが聖女だったと騒ぎになった。二人目の聖女は貴族出身で、若く可憐な女性だ。周囲は愛嬌もあるパトリツィアに夢中になった。
彼女は聖女教育や光魔法の習得も早々に終え、俺よりも短時間で結界を張って見せた。俺の存在はもはや消えかけた灯火だ。でも六年もひとりで担ってきた役目から解放されるなら、それでいいと思っていたのだ。
だが第一王子はパトリツィアを正妃にすると宣言し、彼女は王太子妃教育や社交に忙しくなってしまった。そこで結局、俺が結界を補強し続ける役割を担うことになる。
忘れるなら綺麗さっぱり忘れてくれればよかったのに!
元の日々に戻った俺は諦めて辺境を巡った。パトリツィアの張った光の結界は弱るのが早く、結局張り直した。
魔物が一匹でも国に入れば、責められるのは俺だ。いっそ結界を全部消して国を滅ぼしてやろうと考えたこともあった。
その考えを、あのとき実行してしまえばよかった……
俺はやってもいない罪――誰もいない場所で、パトリツィアを害そうとしたらしい――を被せられ、国外追放となった。聖女かつ未来の王妃だ。死刑になってもおかしくなかったが、聖女殺しになる勇気を誰も持たなかったようだ。
まあ、国外は魔物の巣窟だ。追放すれば勝手に死ぬだろうと丸投げされたのである。
ガタガタと足元の悪い道を進んだ馬車はエスメラルダ王国国境へとたどり着いた。誰もいない国境の向こう側は、鬱蒼と木が生い茂った森だ。
森の向こうには魔物の国シュピラールや、さらに遠くには他にも人間の住む国がある、と聞いたことはあるが真偽は定かでない。エスメラルダ王国はその立地ゆえ他国との交流を持たなかった。
「降りろ。二度とこの国へ足を踏み入れるな」
見送り役に任命された軍人は嫌そうな顔を隠しもせず、俺に命令した。素直に従うと、すぐに馬車の扉が閉まる。そして俺が国境となっている川をじゃぶじゃぶ歩いて渡ったことを確認した直後、御者が馬を走らせた。
結界が張ってあっても、国境付近は怖いと感じる人が多い。動物もそうだ。馬車はまるで何かに追われているかのように姿を消した。
「…………」
別に最後まで見送ってほしかったわけじゃないが、清々しいほどに淡白だ。俺がこっそり戻ってきて国内に留まるとは考えないのだろうか?
……戻ったって居場所なんてないけどさ。
しばらく森の中を進むと、さっそく魔物に出会った。体表が赤く、人よりも大きい蜘蛛だ。いつだったか、第一王子は見ただけで卒倒していたなぁと思い出しながらも、俺は気にせず歩みを進めた。
なぜなら自分の周囲に狭い結界を張ることくらい朝飯前だからだ。むしろいつも自分に結界を張りながら国境用の大きな結界を構築していたから、意識しなくとも自分を守ってしまう。
案の定、蜘蛛の魔物は俺に近づくなり「ギャッ」と鳴いて逃げていった。なんだか魔物も見慣れすぎて、慌てて逃げていくさまはちょっと可愛く思えてくるんだから不思議だ。
聖女教育で習った言い伝えでは、魔物でも上位になると人型をとるそうだ。その頂点に立つのが魔王で、恐ろしい異形で見た者を恐怖の底に突き落とすという。残虐性の高い性格は、恐怖で魔物たちを支配するにふさわしい。出会えば誰もが死を覚悟する……って、じゃあ誰が言い伝えたんだと脳内でツッコんだ記憶がある。
しばらくすると、向かい側上空からでっかい蝙蝠の魔物がやってきた。俺をかぎ爪で掴もうとしたものの「ビィンッ」と鳴いて逃げていく。
「魔物に襲われて簡単に死ねるなら、とっくに死んでるっつーの」
俺はひとつの計画を立てていた。
これまで結界で対抗してきた魔物に自らを差し出すのは、これまでの努力を踏みにじるような気がして躊躇われる。だって八年もひとりで頑張ってきたのだ。
だけど相手が魔物を統べる魔王なら?
きっととんでもなく強いに違いないし、俺が結界を張ろうが負けて死ぬに決まってる。人間やその辺の魔物に殺されるのは嫌だけど、魔王になら殺されても後悔はないと……不思議にも感じているのだ。
魔物しかいないシュピラールはどんな国だろうか。辿り着けたら少しでいいから観光したい、というのはのん気すぎるか?
エスメラルダの人々は閉鎖的で、外の世界に興味を持たない。けれども長らく国境付近にいた俺はずっと国の外のことが気になっていた。あの川の向こう、森の向こうはどこまで広がっていて、なにがあるのだろうと。
――結論から言うと、俺は国の外に出た一時的な高揚感で楽観視しすぎていたらしい。
数日歩けばシュピラールの国境が見えたりとか、人型の魔物に出会って「すみません、魔王様はどちらにお住まいですか?」と聞くことができるかな~なんて……のほほんと考えていた過去の自分を殴って目を覚ましてやりたい。
森の中を歩き始めてすぐ、大雨が降った。慌てた俺は休めそうな洞窟を見つけ、濡れた服や靴を脱ぎ、追放されるときにこっそりと準備した食料に手をつけようとした。
乾パンも、節制すれば二週間分はあるだろう。俺はどんな条件下でも逞しく生き延びるほど強くない。畑を耕すことはできるが、森の獣を自ら狩って調理したりなんてできない。
この先は食べられそうな木の実や果物も森の中で採取するつもりだった。二、三週間も歩けばどこかに行きつくだろう。元いたエスメラルダだって、王都から国境までそれくらいの距離だったのだから。
「ヴウ~~ッ」
「うわ!? ぎゃあっ。あっ、取るなって!」
よーしご飯だ! とパンを口にしようとしたとき、洞窟の奥から唸り声が聞こえてきた。振り返れば、大きな狼の魔物が飛び出してきて、俺の結界の外にあった荷物をかっさらう。
俺は驚いてひっくり返ってしまったが、荷物はあれしかないのだ。すぐに起き上がり、何も考えずに洞窟の外へ走っていった狼を追いかけた。
俺は馬鹿だ。魔物にとって苦手な光魔法の結界を纏った人間が追いかけている時点で逃げられるのは当然だった。狼の足は当然のごとく速い。頑張って走ったけれど、すぐに見失ってしまった。
「……あれ、ここ、どこだ……?」
気づけば、元いた洞窟の方向さえ分からなくなっていた。服は乾かすために脱いでいたから下着しか身に着けていない。靴も脱いでいたため、足の裏はボロボロで痛かった。
食料もなく、体ひとつで森のなか。初日で完全に詰んでいた。
ここで火魔法でも使えたらまだ良かった気がする。光魔法というのは本当に役に立たない。
もしかすると他にも光魔法の使い道はあったのかもしれないが、俺は周囲を照らす以外には結界の張り方しか教わっていなかったし。
がんばって洞窟を探そうとしたけど、森は深くて全く方向感覚が掴めなかった。どうやら俺は方向音痴だったようだ。
それでも、どうにか一週間は生き延びていた。人間、水さえあればなんとかなる。けれどちゃんと食べなければどんどん弱っていくわけで。俺はあっという間にやせ細り、薄着で動き回ったせいで体も傷だらけだった。
そんなときだ。やけに魔物が多いエリアに入ってしまったなと思ったときにはもう、魔物に取り囲まれていた。囲まれるとさすがに恐怖がにじり寄ってきて、逃げたくなる。こんな骨と皮しかない人間を食べたって美味しくないだろうに……
俺は最後の気力を振り絞って一点突破した。走ろうにも力が湧かず、体がひたすら重い。
走って魔物に出会って逃げてを繰り返し、ようやく誰もいない場所に辿り着いたと思った先は、崖だった。
身長の倍くらいの高さを転がり落ち、微妙な傾斜があったせいで岩に何度も体を打ち付けた。即死じゃないのがつらい。でも、もう起き上がれない。
「うう、俺はこんなところで死ぬのか……」
なんて情けないんだ。人間の国から見捨てられ、魔王には出会えず、魔物からは逃げられるか逃げるしかできず、ぼろきれみたいになって死ぬのか。
俺が愛される聖女だったら、違う未来が待っていたのかなぁ……。でももう、あの国を守りたいという気持ちは湧いてこない。結局俺は聖女としての資質が足りなかったのだろう。
(来世は、誰かに愛されたいな……)
眦から涙がひと筋こぼれ落ちる。俺は最期、血のように赤い夕焼け空を視界に映して、目を閉じたのだった。




