孤独のアル=ミラージュ
多くの賑わいを見せるフードコート。食堂のおばさんたちは忙しなく料理を作りお盆に設置していく。食券機には長蛇の列を成し、小1時間ほどシュミレーションを行った刃と姫野もその列に並んでいた。
時間は正午を少しすぎた頃。昼ご飯を求めて学徒たちが集まってきていた。姫野と刃も案内を中断して昼食を取りに来たのだが、思った以上に人がいてかれこれ10分ほど待っている。
「なあ、姫野。おすすめってあるのか?」
「アタシはいつもサンドウィッチセットを食べてるけど。男子たちは日替わり定食をよく注文してるわね」
「日替わり定食かあ。今日はなんだろうな!」
「ほんといつでもテンションが高いわね……。疲れないの?」
日替わり定食の内容が書かれている看板が遠いためよく見えない刃は、目を凝らしてどうにか見ようと試みる。
小さいため息を吐いて、ウキウキな刃を視線に捉えて呆れ顔になる。
姫野の言う通り、刃のテンションは朝からずっと高いままだ。それもそのはずで、刃はとある事情で山奥に引っ込んでおり、一生をそこで過ごすはずだった。夢にまで見た学園生活を手に入れて、喜ばないものはいない。加えて、極東第一学園は日本一の”アンダーワールド”攻略学園で、毎年優秀なプレイヤーを輩出することで有名だった。
つまり、刃にとって極東第一学園は自分よりも強いプレイヤーがわんさかいる遊び場という認識になっているのだ。
「そりゃあ、テンションも高くなるだろ! だって全部がゲームのためにあるんだぜ!? これ以上幸せなことがあるかよ!」
「やっぱり、あんたって変なやつ」
呆れ顔が一周回って笑顔に変わる。刃の前で姫野が笑ったのはこれが初めてのことだった。そんなことにも気がつかない刃は、一生懸命に今日の日替わり定食の内容を見ようとしていた。
ようやく列が進み、刃が注文を始める。今日の日替わり定食はハムカツ定食だった。真新しい機械で操作方法がいまいちわからなかった刃は首を傾げて動けなくなっていた。
それを見かねた姫野が仕方ないと横に入り操作方法を教える。
「食べたいメニューをタッチして、会計ボタンを押すのよ。支払いは学徒証をかざせば支払われるわ」
「……お、おう。そういえば、制服の中に学徒証とかいうのがあったな」
綺麗に畳まれている制服の中から刃の名前が書かれた学徒証を取り出す。薄いプラスチック素材だが、中には指紋認証機能まで詰め込んだ情報端末になる。
それをタッチして注文を完了させた。
料理ができるまで待合の列に並ぶ刃。それを見送ったあと姫野も自分の注文を始めようとする。
だが、それを邪魔するように3人の男子学徒が姫野を囲む。
「これはこれは。孤高の”アル=ミラージュ”様じゃないか。こんなところで会うなんて偶然だなあ?」
「……何よ」
鋭い視線がひとりの男子学徒を捉える。それに怯まない男子学徒は顔を近づけて挑発を繰り返す。
「なあ、姫野香織。そろそろあの話に乗る気になったかあ?」
「お断りよ。なんでアタシがあの話に乗らなくちゃいけないわけ。いいからそこを退きなさいよ」
食券機の前で揉め事が起こっているため、列の後ろではちょっとした騒ぎが起きていた。
注文の邪魔をする男子学徒3人は執拗に姫野の邪魔をする。
それに耐えかねた姫野が手を上げようとした瞬間、待ってましたと言わんばかりに1人の学徒が姫野の腕を掴んだ。
姫野の体は年相応のもので、筋肉質ではない。同年代の男子に強く腕を掴まれればなす術はない。
そのまま腕を高く上げられた。
「いたっ——」
嗜虐的な笑みを浮かべる男子学徒が姫野の右腕を掴んだまま、どこかへ連れて行こうと歩き始めた。必死に抵抗する姫野だが、現実の身体能力では、男子学徒3人に囲まれては身動きができなくなってしまった。
「アレクサンダーさんが呼んでるんだよ。いいから、こっち来い!」
無理やりに引っ張られ、痛みを感じた姫野はなされるがまま歩き始める。
誰も来ない。
いつものことだった。
だから姫野も、助けを求めようとはしなかった。
連れていかれる姫野の姿を見ても、誰も姫野を助けようとはしない。それどころか、また彼女だなどとコソコソ陰口を叩かれている。そんな耳に入れたくない姫野は視線を落とす。
姫野の表情が徐々に暗くなっていく。
なぜ、自分はこんなにも弱いのだろう、と。姫野が考え始めたとき、姫野を引っ張る手を誰かが掴んだ。
「——すまん。姫野は今日、俺の学園案内で忙しいんだ」
待ったをかけた人物に視線が移る。姫野の瞳に映ったのは黒髪をボサボサに伸ばした刃の顔だった。
邪魔をされた学徒が振り返って睨みつける。
「ああん? 誰だ、お前?」
「俺は不知火刃。今日からこの学園に通うことになった編入生だよ」
不思議に思っていた。明らかに面倒ごとであるのに、わざわざ声をかける必要があるのかと。誰も助けて欲しいなんて言っていないのに、助けに入る人物がどこにいるのだと。
ここにいた。ゲームが好きで、少し常識知らずで、レートなんて関係ないと思っている純粋な青年が。
刃の自己紹介に男子学徒の1人が姫野を見る。そうして、ニヤリと笑って憐れみの目を刃へと向けた。
「お前、この女の新しいパートナーか?」
「ああ。……って言っても今は仮だけどな」
「ははっ! そりゃあ可哀想にな!」
「……? 何が可哀想なんだ?」
やめて。
声にできない感情が姫野の中で響く。
しかし、現実は待ってなどくれなかった。姫野の手を離した男子学徒は両手を広げて高らかに叫ぶ。
「これまでこの女は50人ものパートナーがいて、全員が姫野の理想の高さに挫折した! 中には退学するやつまでいたんだ! 全部、この女が追い詰めたせいさ! まさに孤高の兎! 傲慢の暗殺者! 付けられた渾名は”アル=ミラージュ”! そんな曰く付きの女とパートナーを組んじまうなんてな! お前もつくづく運がねえなあ!」
そう。姫野はこれまで何人ものパートナーがいた。その誰もが姫野の高すぎる要求に挫折し、最後には姫野が悪いのだと離れていった。いつからか、学徒の間では孤高の兎”アル=ミラージュ”などと呼ばれるようになり、優秀な問題児として教師たちにも認知されてしまった。
目を伏せて、プルプルと姫野は体を震わせていた。
刃もきっと自分の下から離れていくだろう。実力が高いことは認めざるを得ないが、それだけでは”アンダーワールド”を生き抜くことはできない。
離れていくなら、早めにしてほしい。そんな願いを胸に秘めていた姫野だったが、思わぬ言葉が飛んでくる。
「……それで?」
「「「……は?」」」
視線を上げると、首を傾げたままきょとんとしている刃の表情が目に映る。
学徒たちは何を言っているのかわからないといった顔で、刃を見つめていた。
「姫野は強い。それは朝戦ったから知ってるよ。だから、パートナーに求める要求が高くなるのは当たり前だろ。それに挫折したなら、それはそいつの努力不足だ。自分の落ち度を姫野に被せるようなやつの言葉を信じるやつも悪いけど、これに関しては姫野は正しいだろ?」
「な……に、言ってやがる——」
「——ゲームも楽しめないやつが、ゲームを楽しんでるやつの邪魔をすんなよ」
刃の言葉に嘘はない。心の底からそう思っているのだ。ゲームは楽しむもの。ゲームを楽しんでやっている人を、ゲームに挫折した人があれやこれやと話にあげるな、と。怒気もなく、愛想もない。これが当たり前だと言いたそうに物語る。
刃にとってゲームはゲーム。さりとて大好きなゲームだ。その邪魔をされるのは耐えられないし、我慢するつもりもない。
刃の発言を受けて、怖気付いた学徒たちは互いに顔を見合わせる。
そこに合わせて周りの視線もあり、居心地の悪さを感じたようで。
「こいつ狂ってるのか……?」
「お、おい。もう行こうぜ」
「あ、ああ……」
足早に姫野と刃の前から立ち去っていった。
ふぅ、と。刃が小さく息をつくと、姫野に向き直って。
「なんともなくてよかった! でも、ああいう奴らはどこにでもいるもんだな。まったく、ゲームマナーのない奴らだぜ」
そうではない。どうして、さっきの話を聞いて姫野の味方になったのか。なぜ、助けたのか。
そのことがどうしても喉につっかえた。こんなことは初めての経験だったため、姫野はどのような言葉にすればいいのかわからなかった。
ただ、漏らすように言葉を発した。
「——あり、がとう」
「ん? なんか言ったか?」
あまりにも小さい声だったため、刃には届かなかった。
よく考え直して、羞恥心を持った姫野は首を大きく左右に振っていつもの覇気を取り戻す。
朱に染まった頬を隠すように踵を返して刃に背を見せた。
「なんでもない! さっさとお昼ご飯食べて、次行くわよ!」
ひらひらと揺れるスカート。風に靡いたラベンダー色の髪の隙間から、赤くなった耳が見え隠れする。
プンスカと怒って、刃を置いて歩き始める姫野の背を見て、刃はやれやれと首を振って歩き出した。




