無邪気な喜び
姫野の後を追う形で学内を進む刃は、目の前に広がる建物の森を見て目を輝かせていた。
学内は昼休みが近いためか大勢の学徒が楽しそうに談話しながら歩いている。
「あっちが講義棟。授業は基本的にあそこでやるわ。で、あっちがフードコート。奥にはイートインできるレストランもあるけど、夕方からしか開いていないからお弁当か食堂で済ませるわね……って、聞いてる?」
夢にまで見た学園生活に胸を躍らせていて心ここに在らずの状態の刃に気がついて、姫野が腰に手を当てて聞いてくる。
山籠りしていた刃にとって明らかな都会は新鮮そのもの。目に入るものが全て真新しく興味をそそる。10年という歳月で社会は随分と様変わりしており、浦島太郎状態の刃は姫野の解説が頭に入ってこない。
そんな状態で怒られたものだから、ハッとなって姫野に謝罪する。
「すまん! なんかこう……人間ってすげえんだなあって思ってさ!」
「スケールが大きくない? ……まあ、10年以上前のメガネ型デバイスなんて使ってたらそう思うのもわからなくはないけど」
ため息をついて、キョロキョロとしている刃に呆れていた。
姫野にとって刃は異常者だった。変態という意味ではない。レートと実力が、あまりにも釣り合っていないのだ。
初見で相手のリーチを見破って攻撃が当たらないギリギリの距離を保つ間合いの取り方。必然的な隙を作り出して避けられない攻撃を繰り出す戦闘センス。このアタシと戦ってまぐれじゃない絶対的な勝利をもぎ取るなんておかしすぎる。
見るからに田舎者の格好で、しかも旧式のデバイスを使って姫野に勝利するなど普通ならばあり得ない。だからこそ、姫野は怒りを抑えられないでいた。
もし、刃がもっと早くに周知されていれば、日本はかつての栄光をそのままにできたかもしれないのに、と。
姫野は幼い頃から「お前は将来、日本を背負う人間になれ」と教え込まれてきた。日本における姫野とは製薬会社から傭兵事業まで幅広く事業を展開する名家だ。将来の日本を支えて行かなければならない重要な人物である。その教えを小さい頃から培われてきたことから、姫野は常に日本の明日を考えて行動している。
残念ながら、その思いをわかってくれる同年代の人間から賛同は得られていないが。
嬉しそうにビル群を見つめている刃を人知れずキッと睨みつけて奥歯を強く噛んだ。
「さっさと来なさい。この調子だと夕方になっちゃうでしょ!」
「ああ……いや。すごいすごいとは聞いてたけど、本当にすごいんだな。……香織。あれはなんだ?」
刃が気になった建物を指差して姫野に聞く。
姫野もその指の先にある建物を見て、説明をしようとしたのだが。
「あれは……って、人の名前を気安く呼ばないで!?」
「え? ……じゃあ、香織ちゃん?」
「そうじゃない! 姫野って呼びなさいよ、バカ!」
ペシッと刃の頭を平手打ちする。勢いが凄かったこともあってジンジンと痛む頭をさすって痛みを和らげる。
刃は同年代の人間と接する機会があまりにも短かった。今日までの勉強も山奥で教師と1対1で行っていたので、同級生という概念が薄いのだ。かろうじて同級生がいた時代は刃が8歳のとき、つまり小学校時代にまで遡る。
小学校時代まで許されたちゃんづけは、18歳になった学園生活では許されないことを知り、刃は自分の中で情報を更新した。
気を取り直して、姫野が刃の気になった建物の説明を始める。
「あれはスタジアム。まあ、体育館みたいなものね」
「デカくないか!?」
「そりゃあ大きいわよ。なんて言ったって観戦席まで用意されてるんだもの。ちなみに、有名なプレイヤーの対戦やグランドダンジョンの攻略映像もあそこで中継されるわ」
さすがは日本一の学園だ、と。刃は頷く。
そんな説明をされている最中、刃の映像型デバイスから通知が届く。テキスト見ると、ダウンロード完了の文字が書かれていた。なんのことだろうと少し考えて、刃は南奈からもらったアイテムのことを思い出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
次に行こうとする姫野を呼び止めて、もらったアイテムの確認を始めた。百鬼影での戦いで使用できる回復アイテムが多数。中には欠損部位の復活薬まであった。これだけでも売ればかなりの金額になるはずだ。
極め付けは多数の装備だった。どれもがSSRで南奈の魔改造が施されている。中でも刃が気になったのは真紅の二丁拳銃で、効果は。
「リロード時間2.5秒で、リロード時間短縮50パーセント。装弾数25発に防御貫通!? 南奈のやつめちゃくちゃなものを送りつけてきたな……!?」
刃が欲しい性能そのままを練り込んだ南奈チョイスの二丁拳銃だ。防具も軽さ重視で刃の戦い方に合っている。それらを早速装備させ、着替えた百鬼影を見て、変態的な笑みを浮かべる。
試したい。
そう思うのは必然だった。
ブルブルと首を振って、今はそんなことをしている場合じゃないと邪念を振り払う。しかし捨てきれない好奇心は膨れ上がるばかりで、その上限を知らない。
刃の様子を見ていた姫野は呆れ顔になり、ある場所を指差す。
「あっちに修練場があるわよ。どうせ、あんたのことなんだから、そのもらったばかりのおもちゃを試したいんでしょ?」
「ふへっ!? い、いやいやいや! 案内されてるのにそんな……ちょっとだけいい?」
少しだけ刃という人物がわかってきた姫野は、不知火刃を変態的天才プレイヤーという認識に更新した。
うへへ、と。気持ち悪い笑いをしながら紹介された修練場へ向かって、早速武器防具の性能を試し始めた。その姿を見て姫野は思った。
アタシも昔はあんな風に純粋に”アンダーワールド”——ゲームを楽しむだけの子供だったなあ。
もう戻ることのできない面影を思い出して、姫野は少しだけ表情に影を落とす。
ゲームを心の底から楽しんでいる刃は姫野の重責を知らない。姫野の立場をわかっていない。ただ”アンダーワールド”というAIの作り出したゲームを攻略したい、楽しみたいと思っているだけ。まさに好奇心が人の皮を被ったようなものだ。
だが、今の”アンダーワールド”はただのゲームではない。仮想電脳世界の土地を奪い合い、アイテムというデータで売買が成立する世の中。高レート帯が幅を利かせ、低レート帯は頭を垂れるレート主義社会。その本質を知った時、果たして刃はそれでも子供のように目を輝かせて笑うことができるのだろうか。
刃の実力を知り、その心の表面を知った姫野はいずれ刃も自分のようになると考えた。挫折し、見えない怪我を負いながら日本のために心を擦り減らすようになると。
物思いに浸っていると、向こうから姫野を呼ぶ声がした。
「おーい! 姫野お! すんげえぞこれ! 南奈のやつ化け物みたいなもの送ってきたぜ!」
底なしの明るさで、表情に落ちていた影が晴れる。
まるでもう友達とでも思っていそうな刃に、姫野は頭を悩ませる。姫野にとって刃は自分のプライドを傷つけた張本人であり、否定したい相手であり、きっとライバルなのだ。それがこんなふうに仲良しこよしをしている今が考えられないのだろう。
仮にもパートナーになることを選んでしまったため、悩ましいが歩き出すことにした姫野。ようやく動き出したところを見て、刃が急かす。
「おーい! 姫野ってばー!」
「わかったからアタシの名前を何度も連呼しないでくれる!? ちょっとは待ちないさいよね!」
大きな声で名前を連呼され、恥ずかしさを覚えた姫野は足早に向かう。
その様子を多くの学徒が見ていて、ヒソヒソとあらぬ噂が走り始める。




