俺がこのゲームをクリアする!
刃は今、民衆に見つかっては大事件になることを頭の隅で理解していた。だから、学長室へ向かうのも足早に、かつ見つからないように進んでいた。幸いにも刃はまだ寮にいると思い込んでいる記者たちのおかげで無事に学長室へと辿り着くことができた。
軽くノックをして、返事を待たずに学長室へ入る。
大量の資料のタワーが出来上がっている机を見て、それが自分のせいでないことを願うと同時に、なぜ呼ばれたのかハラハラしながら椅子に腰掛けている南奈を見る。
南奈も返事をする前に入室してくるのは稀なケースなため、すぐに刃が訪問してきたことを理解した。赤い右目が刃の姿を映す頃、南奈はそれは笑顔で刃を呼ぶ。
「やあ、待っていたよ」
「……その笑顔、怖いぞ?」
南奈とは浅からぬ関係の刃にはわかってしまう。これはもう怒られることは確定だ、と。
怒られる内容も見当はついている。というよりも、まず間違いなく使うなと言われていた”千灯籠”の使用についてだろう。
10年前ならば若気の至りとして冗談も通じただろうが、18歳になった刃はもう大人としての自覚が芽生え始めていなければならない。つまり、自制を覚える時期だった。
怒られる前に謝ってしまおうか、とも考えたが、そんなことをすれば火に油を注ぐようなものであると黙って南奈の言葉を待った。
さて、と南奈は腰掛けていた椅子から立ち上がると刃の側に歩み寄ってくる。右手が上がった瞬間、ああこれはビンタでもされるんだろうな、と心の中で諦め始めていた刃に、南奈は予想外のことをした。
「——グランドダンジョン”最も古き英雄譚”はどうだった?」
ぽん、と左肩に南奈の右手が乗る。
あれ、と思ったが、素直に感想を述べた。
「あ、ああ。楽しかった……ぞ?」
「そうか。それは良かった。何、私としても少し不安要素はあったんだ。まだ時代がお前に追いついていないのではないかとな。だが、それは杞憂だったな」
あっはっは、と南奈は刃の左肩を強く叩く。
思ったよりも怒ってないぞ? これはもしかして、ワンチャンスあるのではああああ……痛い! 南奈さん、細い指が肩に食い込んでま——。
「——それはそれとして。本当にやってくれたな、刃。昔からバカだバカだとは思っていたが、ここまで頭の回らない阿呆だとは思わなかった。いやあ、私が口を酸っぱくして使うなと言っておいたものを、よくもまあ、大衆の面前でぶっ放してくれたものだ!」
女性の力とは思えないほど強力に肩を掴まれて刃は悶える。
やはり怒っていた。それはもうお怒りだった。
よく見れば額に青筋が浮き出ている。さしもの観察眼を持っている刃でもピンチになればこうして見落とすことがあった。致命的とも言えるミスで、あわや左肩が脱臼するのではないか、と思われた瞬間、刃は南奈から解放された。
はあ、と息をつく南奈は近くのソファに腰掛ける。
いってえ、と小さく呟いた刃は居心地の悪さを感じて、南奈の前のソファへと腰掛けた。
「刃。別に私はお前を叱るためだけに呼んだわけじゃない。予想外ではあったが、お前のことだいずれどこかで我慢できずに使うだろうとは思っていた」
「じゃあ、怒るなよ……」
「それとこれとは別問題なんだが!? ——はあ。本当にお前といると疲れるな。ほれ、これにサインしろ」
そう言って、南奈は無造作に書類を刃へと投げる。うまくキャッチした刃は、その書類に目を通した。
内容はこうだ。
当方、不知火刃は目下、極東第一学園学長、南奈・リカルド・ルーデルファストおよび理事長、九頭竜蓮の監視下において厳重に身柄を確保するものとする。
難しい内容に刃は少し眉を上げた。
簡潔に言えば、学長と理事長が刃の学徒生活を担保する、というものだった。
それを刃が理解する必要はない。なぜ、書類にサインをしなければならないのか、というとこれが国および企業と南奈の妥協点だったからだ。国や企業としては不知火刃という存在を他国や他企業に持っていかれることは避けたい。逆に南奈はその両者にも渡したくはない。
その間を取って、不知火刃が学徒である場合に限り、他は不干渉でいてもらいたいというところで落ち着いた。
どうせ政治になんて興味ないんだし、読んでもわからないことはわからないんだから、さっさとサインしろ、と南奈は高そうなペンまで無造作に投げた。
「……つまり、あれか? 俺はとりあえず”アンダーワールド”を楽しめばいいってことだな!」
「……お前がゲームバカで本当に良かったよ」
「は!?」
案の定ゲームに関すること以外は理解能力がはるかに劣る刃では書類の内容までは理解できなかった。変に誤解を招くようなことになったらどうしようか、と不安要素もあった南奈はその心配すら必要なかったことを知る。
手早くサインした刃は書類とペンを南奈へと返した。
内容を確認して、南奈は映像型デバイスでその書類を読み込みとある御仁へと送信した。
ふと、疑問に思ったことを刃は聞く。
「——なあ、九頭竜蓮って、あのクズレンのことか?」
「ん? ……ああ、そういえばお前には言っていなかったな。先輩——」
「どおおおん、と登場してみたのじゃ!!」
激しい音を響かせながら学長室の扉を大きく開け放って幼女のような見た目の赤と墨色のルーツカラーのウルフカットが珍しい女性が現れた。
満面の笑み。ドヤッと腰に手を当てて大きく胸を張っている。
もはや驚くことすら忘れた刃と南奈は突如として現れた女性に目をやった。その声から微かに覚えていた記憶が蘇った刃が、女性に指を差して叫ぶ。
「おま……クズレンか!?」
「あっはっはっは。どうじゃ、驚いたじゃろ? 良い良い、皆まで言うな、照れるであろう。ほれ、存分に驚くがよい」
「小さい、小さいとは聞いてたけど、まじで幼女だな!?」
「誰がどチビ幼女体型じゃ! はっ倒すぞ、ジャリガキ!」
口の悪さは10年前とまるで変わってないな、と興奮する刃。
南奈、九頭竜の3人が揃う状況に感動すら覚えた刃は、懐かしそうに昔を語る。
「なっつかしいなあ! 昔、3人でアイテム採掘エリアに挑んだの覚えてるか!?」
「ああ、お前が突っ走って大変だったな」
「その度に余が悪戯をしたものじゃ」
「クズレンのせいで何度死にかけたことか!」
わずかな時間だが、3人の間で温かい空間が出来上がった。
だが、時間は有限である、と本題を九頭竜が話し始める。
「懐かしむのも悪くはないが、それは20歳になって余たちと酒を酌み交わせるようになってからでも遅くはあるまい。刃。この10年で余は極東第一学園の理事長に、そして南奈は学長にまで上り詰めた。全てはこの日のためじゃ」
「この日……?」
いまいち話が見えてこない刃に、両手を広げて九頭竜は告げる。
「ゲームバカの貴様が心の底から存分に楽しめる世界を用意する。そして、10年前——貴様の言った戯言を叶えさせる。どうじゃ、刃。覚えているか。10年前”千灯籠”を手に入れたあの瞬間、誰も言葉にすることができなかった言葉を」
忘れもしない。今もなお——いや、今は一層強く思っていることが刃にはあった。
まだ見ぬ強敵との戦い。新しい仲間たちとの挑戦。その果て——。
刃は目を輝かせて頷いた。
「覚えているさ。俺がこのゲームをクリアする、だろ!?」
荒唐無稽。根も葉もない戯言。だが、8歳児だった刃にとっては、夢でもなんでもなく、それが目標となった。
そも”アンダーワールド”はAIが人類から物理的な戦争をなくすために作られた世界規模のゲームであり、それを個人でクリアできるはずもない。
けれど、刃は思ってしまったのだ。史上初の戦闘系ユニークウェポンを手に入れたその瞬間、”アンダーワールド”をクリアしたなら一体どれだけの興奮があるのだろう、と。
見てみたい。感じてみたい。そんな衝動が抑え切れなかった8歳児が今の刃と同い年くらいの女性2人に向かって明るく言ってみせた。
——俺がゲームをクリアする。
その言葉に南奈と九頭竜がどれだけ度肝を抜かれたのか、刃は知る由もないだろう。
少なくとも、以降2人の進路を確定させてしまうほどの衝撃が、そこにはあったのだ。
「今もその気持ちは……聞くまでもなさそうじゃな」
「ああ。……ああ! 変わらないどころか、絶対にクリアしてやるって思ってるぜ! ……ああでも、少しだけ欲張るならちょっとした願いもできたけどな」
「ちょっとした願い?」
恥ずかしそうに目を伏せてから、刃は思ったことを言葉にする。
「叶うなら——」




