夕刻を照らせ
「——させねえよ」
暗殺者の得意とする奇襲。アレクサンダーは眼前に刃を捉え、一撃で倒す位置どりを得た。これには桜も追いつけず、せっかくの逆転の目を摘まれる瞬間でもあった。
しかし、刃の横を飛び出して、1匹の兎が雷獣に喰らいつく。
「姫野!」
準備を済ませた刃はもう動けない。目一杯首を動かして背後に迫ったアレクサンダーを単独で押し留める姫野を見る。
あと一歩。たった一歩だけの距離がアレクサンダーには永遠に見えた。まさか、姫野に邪魔されるとは思っていなかったアレクサンダーは叫ぶ。
「どうして邪魔をする!?」
「いい加減、あんたにまとわりつかれるのもうんざりしてるからよ!」
雷獣の咥える短剣と身の丈ほどもある鋭い爪を持つ兎が火花を散らしながら鍔迫り合いをしていた。
姫野にとってアレクサンダーは先へ進むために邪魔な存在。姫野のことをただの遺伝子だと思っているものだと思っていた。刃と出会い、自分がなぜ”アンダーワールド”を始めたのかを思い出した。刃と戦い、レートが全てではないと思い知らされた。ならば、レートで負けているアレクサンダーに負ける要素がどこにある。
負けていたのはアタシの心。腕も、足もまだ動く。それに……。
チラリと小鬼を見つめて思う。
あんなに楽しそうにゲームをされたら、こっちだって楽しみたくなるじゃない。
必死の攻防。絶体絶命の瞬間。諦めない心。刃は多くのものを姫野に見せた。最後には夢にまで見た奇跡をあと一歩まで見せつけられたのだから、本気を出さずにはいられない。
意識を戦闘へと戻し、対面するアレクサンダーを見る。以前までの恐怖はそこにはなかった。アレクサンダーは必死だった。では、その必死さは一体何に向けられたものなのか。
地団駄を踏みたくなるアレクサンダーは対面する姫野に言う。
「どうしてお前を独りにした奴らの味方をする! 俺様ならそんなことはしない! お前は優秀だ! 決して独りになっていい存在じゃない! 優秀な問題児と揶揄する奴らを見返せるほどに使ってやる!」
「——」
姫野は勘違いしていた。アレクサンダーが自分のことを遺伝子だけの存在と思っているのだと。姫野自身を見てはいないのだと。
しかし、現実は違った。アレクサンダーは誰よりも姫野のことを見ていた。その特殊能力から独りにならざるを得なかった境遇を知り、その強さを知り、あまつさえ勿体無いと思っていたのだ。
もし、アレクサンダーが別のアプローチをしていたのなら。もし、姫野がアレクサンダーの真意に気がつけていたならば。こんな戦いは起こらなかっただろう。姫野は独りになんてならなかっただろう。
アレクサンダーの姫野への気持ちは本物だった。しかし、その気持ちを相手の意思を無視して押しつけたことが全ての元凶だったのだ。
互いに距離を取り、アレクサンダーは手を伸ばす。
「お前の隣にいるべきは俺様だ! そこのイかれた小鬼にお前の何がわかる! 一体何を理解する!? 俺様ならお前をわかってやれる! 世界が敵になろうとも、俺様ならお前の隣を歩いていける! だから、俺様のものになれ、香織!」
切実な願いを述べたアレクサンダーを見て、姫野はそっと胸を撫で下ろす。今更に本当のことを知っても遅い。姫野はもう知ってしまったのだ。世界には自分よりも強い人間がいて、誰よりも”アンダーワールド”を楽しむものがいる。
たとえ、アレクサンダーの言葉がずっと姫野の欲していた言葉だったとしても、もう振り回されることはない。姫野にはすでに心に決めたパートナーがいるのだから。
兎は微笑んで。
「ありがとう。でも大丈夫よ。アタシはもう独りじゃない。独りぼっちの”アル=ミラージュ”は最高のパートナーを手に入れたんだから」
「——そうかよ。……ずっと想ってきた俺様より、ぽっと出の小鬼を選ぶのか。なら仕方ねえ! その選択が間違いだったってことを思い知らせるしかねえよなあ!?」
雷獣は雷に変化し、移動を開始する。標的は身動きのできない小鬼だ。アレクサンダーの勝利条件は現状小鬼を沈黙させることにある。それさえクリアできれば、あとは逃げに徹するだけでこの場を制することが可能だった。
それをわかっているから姫野の行動も早かった。すぐに刃の下へと走り、なんとか雷獣の一撃を防ぐ。
姫野は信じている。自分が選んだ刃なら、言葉にできないしがらみを一緒に変えていけるのではないかと。そのためなら自分はどんなに高い壁だって乗り越えてみせる、と思う。
姫野とアレクサンダーの剣戟を聞きながら、刃は最後の準備を整える。
銃弾は装填できた。……あとはあいつを射程に入れるだけだ。
問題は雷の姿になって縦横無尽に移動するアレクサンダーをどのようにして射程に捉えるか。”千灯籠”はその性質上連発はできない。次に使えるのは24時間後になってしまう。つまり、一撃でアレクサンダーたちを吹き飛ばさなければ刃たちの勝利ではない。
あの素早い動きをどうにかするしかないが、今の刃にできるのはアレクサンダーが射程に入った瞬間を見逃さないことだけだった。
姫野とアレクサンダーは互角の戦いを見せている。上手いのは”千灯籠”の姿を見てあれが砲台であることを見切り、その射程に入らないように立ち回っていることだろう。加えて、姫野の特殊能力の影響を受けているのを計算に入れて鈍った体で最高のパフォーマンスを維持し続けていることだ。
だが、アレクサンダーが失念していたことは、桜の存在だった。
「——桜を忘れちゃ困るの」
白い一閃。頭を狙った横薙ぎに雷獣は一瞬早く気がつき後ろへと飛ぶ。姫野の攻撃だけを考えていたせいで避け切ることはできなかった。ただし、その一撃で倒されるようなヘマもしなかった。
代わりに負った代償は両目の負傷。一気に視界がブラックアウトする。追撃をかけようとする姫野を九尾の狐の尻尾が掴み、刃の下へと投げた。
「ちょ——」
「あとは任せるの」
視界を失っても、直前まで見ていた地形を元にアレクサンダーの脳は瞬時に周囲10メートルの地形を正確に描き出す。視界が見えなくなった雷獣は一か八かで雷の状態へと変わろうとする。けれど、それは叶わなかった。
逃げようとする雷獣を九尾の狐は尻尾で四肢を掴み、大きく跳ねる。
その着地点は”千灯籠”の射程範囲だった。
「もういい! 離れろ——」
「今回はおまけなの。桜ごと撃てばいいの」
「そんなことできるわけが——」
「——刃。これは絶好のチャンスなの。桜が離せばこのワンコは逃げ出すの。だから、これは貸しなの。またいつか返してもらうの」
確かに、メロンパンのお礼にしては仕事をしすぎていた。余剰分はきっちりとあとで請求すると九尾の狐は笑う。
アレクサンダーが連れてきた弓兵および槍兵はすでに射程圏内。アレクサンダーも桜が捕まえているおかげで射程内に入ってはいたが、刃は迷った。
仲間ごと撃つべきか。それとも別のチャンスを狙うべきではないのか。隣に飛んできた姫野に相談することも考えた。でも、それはしなかった。
確かに桜の作ってくれたこの状況は最高だ。でも、桜を犠牲にしていいのか……。他に何かあるんじゃないか……。これを姫野に決めさせるわけにはいかない。俺が決めなくちゃ2人に失礼だ。
すでに桜も、姫野も十分に仕事をしてくれた。そのお礼をする番なのではないか、と刃は考えたからだ。
そのお礼とはすなわち勝利。全身全霊の本気の一撃を見せることこそが、刃ができる最大限のお礼なのだ、と自分を奮い立たせる。
トリガーを握る手が強くなる。隣にいる姫野を抱き寄せ、特等席で世界が覆るところを見せようとした。
「な、なに——」
「——離れるなよ?」
笑う小鬼を見て、姫野は頬を赤らめた。
そして、10年前の世界が覆った瞬間をその目に焼き付ける。
「揺らぐ陽炎の灯火よ——夕刻を照らせ」




