時雨のように
ゲームは楽しむもの。勝ちも、負けもそこに目的と達成感があればどんな戦いだって楽しいものだ、と刃は考えている。ゆえに、ゲームには命を賭ける意味があるという考えに繋がる。
本気を出し渋って負けるなど、刃の信条が許さない。たとえ、本気を出したことで大事件になるのだとしても、そこに後悔はない。そもそも、極東第一学園に編入したその瞬間から、刃は遠くない未来でアレを使うことになるだろう、と思っていた。それがこんなにも早くに使わなければならなくなるなどとは思っても見なかった。
ただそれが早まっただけだ。南奈には悪いと思っていても、やはり刃は根っからのゲーマーなのだ。目の前の強いプレイヤーを倒したい。仲間と一緒に困難を乗り越えたい。感情は理性を乗り越える。好奇心は何よりも優先される。刃の選んだ未来がどのように変化するかなど、今に至っては関係のはない話。今はただ、目の前の強いプレイヤーを倒したい、それだけだった。
白い刀身の刀を握り、桜はアレクサンダーへと駆ける。時間稼ぎを任された以上、桜はその仕事を全うする。普段は面倒臭がり屋の桜でも、自分に期待してくれた刃の言葉を信じたい気持ちが上回る。
「——ちぃ! てめえら”時雨”の相手は俺様がする! 弓兵の半分は俺のサポートに回れ! あとの奴らはあのイラつくやつと香織をやれ!」
素早く指示を出し、アレクサンダーはあまりにも早い九尾の狐と対峙する。桜の袈裟斬りを咥えていた短剣で受ける。想定よりも重い一撃に雷獣の足元の地面に亀裂を生じさせた。
なんだ……この威力は!?
明らかに驚きを隠せないアレクサンダーに桜は無表情で応える。桜の持つユニークウェポンは9分の1でしか抜くことができない代わりに、桜の全ステータスを100パーセント引き上げるという単純にして強力な能力を持っている。普段の桜を見ている者ならば、その威力に驚くのは仕方のない話だった。
防がれることを想定していた桜はもう一度刀を振り上げ、袈裟斬りを行う。しかし、今度は先ほどよりもゆっくりな振りだった。
ワンテンポ遅れてやってきた袈裟斬りをどうにか短剣で受け止めたが、アレクサンダーの心の中は怒りが沸々と湧き上がっていた。
それからも一方的な桜の攻撃が行われるが、どの攻撃もなんとも読みづらい変速の攻撃だ。
陣形を整え終わった弓兵がアレクサンダーの支援を行う。その攻撃を桜は横目で見ただけで、全ての軌道を読み器用に9本の尾を使って弾いてみせた。
「クソ……たれえ!!」
アレクサンダーも反撃に出るが、それより早く桜は半歩後ろに下がって簡単にアレクサンダーの攻撃を回避してしまう。再び弓兵の攻撃が桜へと飛ぶ。少しばかりの意識を割いて丁寧にそれを処理する桜だが、ポロリと本音をこぼす。
「——本当に邪魔な矢なの」
見た限りでは桜が押しているように見えるが、実はそうではない。桜は攻めることでアレクサンダーの自由を奪わなければならず、その合間に背後からの弓の攻撃にも注意しなければならない。
さしもの1位でもこの数的不利は拮抗状態を作るだけで手一杯だった。
中継映像から、アレクサンダーの特殊能力に察しがついていた桜は移動する隙を与えないように攻め続ける。変速的な攻撃はまるで通り雨のよう。これこそが桜が”時雨”と呼ばれる所以だった。
気まぐれな攻撃は確実にアレクサンダーを虜にしていた。
業を煮やしたアレクサンダーは強引な手段で戦況を変えようと試みる。アレクサンダーは特殊能力を使う際に、移動ルートを考える必要がある。なぜなら雷の姿に変化すると視界が光に包まれたように白くなってしまうからだ。そのため移動距離、角度をゼロコンマゼロイチ秒単位で計算し、割り出した秒数であらかじめ決められたルートを時間で移動する。
だが、その縛りは本来はない。ただこれをしなければ、雷のような速度で壁や地面に激突し、反動ダメージをひどく負わなければならないだけで、時間で移動ルートを考えているのはゼロコンマゼロイチ秒単位で計測することができるアレクサンダーの生まれながらの才能によるものが強い。
それを今、捨てる覚悟を決めた。
アレクサンダーの脳内に周囲10メートルの地形が描かれる。”アンダーワールド”をプレイして12年。培われたその類稀なる才能はゼロコンマゼロイチ秒でどれだけの距離を移動できるかを正確に体へと染み込ませた。
ぶっつけ本番だがしゃーない! この化け物を倒すには今、ここで成功させるしかねえ!
桜のわずかに遅くなった一振りのタイミングを見逃さず、アレクサンダーは雷の姿へと変化し視界を介さずして移動を開始した。後ろに1歩。桜を中心として半円を描くように4歩。完全に桜の背後を取る。
雷の状態を解いた瞬間、アレクサンダーの頭に脳内麻薬が一気に流れたような快楽を覚えた。完全な奇襲。上位プレイヤーへの圧倒的勝利感。ガラ空きの首筋に雷獣の咥えた短剣が突き立てられようとしていた。
「——それは、ちょっと危ないの」
見切っていたわけではない。移動時間わずかゼロコンマイチナナ秒を頭で考えて行動できるほど、桜の反応速度は高くない。ゆえに経験に基づく死角からの攻撃で最も狙われる部位を反射反応で優先的に尾で防御した。
確実に倒せるはずだった攻撃を防がれたアレクサンダーの表情が歪む。
「この……化け物が……!」
「心外なの。桜は化け物じゃなくて——1位なの」
踵を返した九尾の狐の鋭い視線が雷獣を捉える。大きく振りかぶられた太刀を見て、雷獣の体が再び雷へと変化を開始するが、ほんの一瞬時間が足りない。
アレクサンダーが1人で戦っていれば、ここで桜に切り伏せられておしまいだっただろう。けれど生憎とこれは集団戦。桜には遠く及ばずとも意識を逸らすことができる優秀なプレイヤーが5人もいる。5体の弓兵が一斉に矢を放つ。
それに気がついた桜は瞬間的に意識を逸らしてしまった。膨大な選択肢を前にして桜の脳は最適解を導き出せなかったのだ。
雷獣の雷化は成功し、わずかに九尾の狐にダメージを与えて離脱した。弓兵たちの矢も無視できないダメージを負わせる。一本の矢が九尾の狐の右目を掠めたのだ。そのせいで視界が半分に減少する。
これは……相当まずいの……。
自由を手にした雷獣は目で追うには早すぎる。縛りとして移動中に攻撃ができないことを考慮したとしても、半分の視界ではハンデがありすぎた。
広くなった死角から雷獣は短剣による刺突を行った。
「堕ちろ……”時雨”え!」
アレクサンダーの叫びと共に飛び込んだ雷獣の攻撃がヒットしそうになったその瞬間。大きな物音が雷獣の背後で鳴った。あまりにも無視できない音にアレクサンダーは振り返ると、そこには直径100メートルもの大きさを誇る琥珀色の筒状の何かが現れていた。
「——んだ……ありゃ……」
戦闘開始から5分弱。
桜の時間稼ぎは半分成功していた。その成果こそがあの巨大な砲台。そのトリガーを握るのはなんの変哲もない、特殊能力も存在しないただの小鬼。この場で最も優先順位の低い存在だった。
桜には確信に近い期待があった。自分が刃に感じた違和感は本物であるという確信が。その結果があれなら、それは想像以上の結果だったと言わざるを得ないだろう。
だからこそ、桜は微笑んだ。心の中でワクワクした気持ちが膨れ上がる。気のせいではなかった。やはり自分の慧眼は正しかった、と桜の心は舞い上がる。それはまさしく、新しいおもちゃを手に入れた子供のよう。
その場にいる誰もが思う。あれは危険だ。あれはおかしい、と。刃の優先順位がぐんと上がる。アレクサンダーを支援していた弓兵でさえターゲットを刃に変え、今後訪れるかもわからない1位を倒す絶好のチャンスを得たアレクサンダーも標的を変えざるを得なかった。
皆の注目を浴びる中、小鬼は静かに告げた。
「篝火を灯せ——”千灯籠”」




