”今日は”最強
突然現れた白い獣。胴体と比べて長い9本の尾。綺麗な毛並み。すらっとした胴体に狐の顔。とても普通とは思えない存在感が、刃の思考を停止させていた。
「……九尾の……狐?」
右頬を蹴られ壁まで飛ばされたアレクサンダーが土煙を払って姿を現す。一体誰が自分の邪魔をしたのか、せっかくのチャンスを棒に振った元凶を確かめるために視線が白い獣へと向けられる。
その獣を視線に捉えた瞬間、アレクサンダーは明らかな驚きを持った。
「……おい。おいおいおい。なんでてめえがここにいやがんだ”時雨”! てめえはグランドダンジョンに不参加のはずだろうが!!」
”時雨”という言葉に聞き覚えがあった刃は記憶を辿る。確かその名前は、と刃はハッとした。
「おま、桜か!?」
「そうなの。桜は桜なの」
聞き覚えのある声。おっとりとした喋り方は正しく桜のものだった。極東第一学園の第1位とは聞いていたが、まさかこんなにも存在感があったなんて思ってもいなかった刃は、目を丸くしていた。
アレクサンダーの言う通り、桜はグランドダンジョン”最も古き英雄譚”に不参加の意を表明していた。それなのに、こんな場所に現れるなんて考えられない。何が目的なのか、一切わからない状況だが、桜に助けられたことだけは確かなので、刃はとりあえず感謝の言葉を言う。
「さ、さんきゅな。おかげで死なずに済んだよ」
「当然なの。そのために来たんだから、死なれたら困るの」
「……ん? 助けに来たってことか?」
いまいち目的ははっきりしない言い方に刃は問いかける。
九尾の狐は表情を変えずに首をこくんと縦に振って肯定の意を示す。
なぜ、桜が刃を助けたのか。不参加を決めたはずのグランドダンジョンに飛び込んだのか。色々と聞きたいことは多かったが、それを邪魔するようにアレクサンダーが叫ぶ。
「ふ、ざけんな!! てめえ、誰に断ってこの俺様の邪魔をしやがる! ……もういい。弓兵! こいつらを——」
「きゃんきゃんうるさいの」
九尾の狐はそこら辺に落ちている小石を拾って雷獣目掛けて全力で投げた。学園第1位のステータスは群を抜いている。たとえ攻撃力のない小石であってもその投擲は大砲の一撃に匹敵するものだった。
その攻撃を雷になって回避したアレクサンダーはただの小石の威力に絶句する。
少し静かになったのを確認してから、九尾の狐は両足が切断されている兎を刃の近くに放り投げた。
「いったあ! もうちょっと丁寧に扱いなさいよね!」
「姫野!? ど、どうして……」
「どうしても何も、アレクサンダーたちがあんたに夢中になってるのをいいことにアタシをピックして、あいつの横っ面を蹴り飛ばしたのよ」
本当に刃を助けに来たらしい桜は、姫野の救助もついでに済ませていた。その扱いはぞんざいだが、刃にとっては嬉しい誤算だった。
すぐにアイテム欄を開き、欠損部位回復アイテムをふたつ取り出して自分と姫野に使用した。これで足を取り戻した2人は各々立ち上がる。
回復したのを確認して、桜は不敵な笑みで刃へと問う。
「——本気は出さないの?」
ビクッ、と体を硬直させる刃。姫野は何を言っているのかわかっていなかった。桜の言葉はあまりにも刃を動揺させるのに十分なもので、小鬼の瞳に九尾の狐が試練を与えているように見えた。
まさかバレてる……? いやでも、桜が知ってるはずないし……。
刃は全力を出していた。それは戦闘の始終を見ていた姫野でもわかるものだ。プレイング、装備も確かに全力だ。だが、本気を出していたかと言われれば悩ましいものだ。
刃には隠し玉がある。それを使っていない状況を本気でないとするならば、桜の言う通り本気を出していないことになる。刃は迷っていた。どうにかしてこの場を切り抜ける方法はないだろうか、と必死に頭を回転させるが、アレクサンダーとの戦闘で疲弊していた脳が十分に動くわけもなく、結局は桜の言葉に立ち返る。
凛とした桜の視線は刃の答えを待っていた。姫野も困惑した表情で刃を見つめていた。
答え次第では桜はここで戦闘を終えようと考えていた。桜は刃にシンパシーを感じている。初めて出会ったあの瞬間から、刃には何かがあると思っていた。それがなんなのか。このグランドダンジョン”最も古き英雄譚”で見極めようとしていたのだ。
だと言うのに、本気を出していない刃を中継で見て、もどかしく思った桜は、助けると称して間近で判決を下そうとしている。
「劣勢に見えて、どこか余裕を感じさせるプレイングだったの。これは桜の思い違いなの?」
「……何かを隠してるとして……隠してる理由があるとは思わないのか?」
「ハイライトで刃の戦いを観てたの。すごく楽しそうだったの。刃はたぶん”アンダーワールド”ってゲームを誰より楽しんでると思うの。そんな人が本気も出さずに負けを認めるなんて……本当にできるの?」
刃はハッとなる。桜の言葉は刃が自らにかけていた無意識のブレーキを明らかにさせた。
刃はこのゲームを楽しんでいる。まだ見ぬ景色を見てみたい。まだ見ぬ強敵を攻略したい。自分より強いプレイヤーと戦ってみたい。そんな欲求があった。だが、それは全力を尽くした戦いだけでは不十分だ。やるならば圧倒的に。公平な戦いをするなら、刃は本気を隠しているなんてつまらなすぎる。
そう……だよな。すまん、南奈。アレを使わせてもらうぞ。
決意が固まった。刃が姫野を一瞥すると、まだ困惑しているようだが、刃の行動に合わせるといった表情だった。
刃はアイテム欄を開く。その奥深くに凍結されたファイルを見つける。
解凍開始の選択肢を選び、刃は告げる。
「——そういえば、メロンパンの貸しがあったよな」
「あったの。どうするの?」
ニヤリと笑う九尾の狐がまるでその先を知っているかのように問い返す。
「その貸しを今ここで返してくれないか?」
「——桜は何をすればいいの?」
「……10分。時間を稼いでくれないか。そのあとは全部俺に任せてくれ」
10分。数的不利を背負ったまま、刃を守りつつ立ち回るなど桜1人では不可能だ。しかし、ここにはもう1人、姫野がいる。
小鬼は兎を見て、手を差し伸べる。
「姫野も手伝ってくれないか」
「……勝てるのよね?」
「ああ。絶対に勝つ。だから力を貸してくれ」
こくんと頷く兎。伸ばされた手を取り、共に戦う意思を表す。
やることは決まった。あとは時間の問題だけだ。ファイルの解凍に5分。それから5分かけて刃の隠し玉の準備が完了する。
前にはイライラを隠せない雷獣が十分な時間を使って陣形を立て直していた。
「相談は終わったかよ。今更1人増えたくらいで状況が変わるわけがねえだろ」
「弱い犬ほどよく吠えるの。1位を前にして雑兵をいくら集めても無駄ってどうしてわからないの?」
「ならやれんのかよ。ええ、1位様。レートはてめえに届かずとも俺様の先鋭はそこらのパーティーより強えぞ?」
たとえ1位が相手になろうとも、自分たちが勝つ、と言い張るアレクサンダー。その自信はこれまで困難な戦いを生き抜いてきた実力から来るものだった。
弓兵は弓を弾き、槍兵は槍を構える。戦闘準備は万端で、今にも始まりそうな空気の中、桜は9本の尾の1本から刀を取り出す。
そして、冷たい視線でアレクサンダーを見つめ……。
「本当に運がない人たちなの。今日の桜は最強なの」
白と黒の鞘から抜かれた刀は異様な雰囲気を醸していた。
銘を”白玉金時”。世界に9個しか存在していない戦闘系ユニークウェポン。1日1回しか引くことのできず、9分の1の確率でしか抜くことのできない桜専用であり、桜が極東第一学園で1位を取ることができた所以がその姿を現した。




