生粋のゲーム好き
衝撃と共に前に倒れた刃の視界に映ったのは青と白の縞々の薄い布だった。
いてて、と。頭をさすりながら立ち上がるために手をつく。
ふにっ。
温かい。それでいて柔らかい。スベスベとした肌触りがみょうに手放し難く、何度か揉んでみる。
ふにふにっ。
「——ひゃんっ!?」
色っぽい悲鳴が聞こえた。いや、人によっては幼い悲鳴にも聞こえたかもしれない。それは今はあるいはどうでもいいことだった。問題だったのはなぜ聞こえてきたのか、だ。
ようやく状況が飲み込めてきた刃は、最悪の予想を考える。目の前にあるのは何が何でも女性もののパンツだった。道端に偶然そんなものが落ちているわけがない。まして、転んだ刃の目の前にあるはずがない。
これ、もしかしてだいぶまずい?
「どぅあああ!?」
稀に見る反射速度で立ち上がり、数歩後ずさって視点を変えて状況を見る。
幼さが残っているが綺麗な顔立ちで、少しパーマの入ったラベンダー色のショートカット。褐色肌に控えめに言っても貧乳の少女が、色っぽく股を開いて尻餅をついている。
最悪の予想がそのまま現実化したことを知る。さっきまで揉んでいた左手を見て、自分が何を揉んでいたのかを悟った。
何か弁明をしなければ。刃が弁明の文言を早口で。
「いやその不可抗力とか、避けられなかった過ちっていうものはあると思うんだ。でも俺が思うに今のご時世縞々パンツは流行らないと思うし、いや見られたことに関してはとてもありがたいとは思うけど。いやしかし君の綺麗な太ももを揉んでしまったことは心の底から感謝——謝罪をしたいと思っているのは確かだ。——ごちそうさまです!」
はて、俺は今、何を口走った?
言い終えて、刃の中で最初に浮かんだ疑問がそれだった。弁明をするはずが、言い訳、指摘、感謝、謝罪を練って無理やり固めたような言葉になってしまった。
これでは許されることは愚か、その逆まであり得る……。
スゥーっと。視線を少女の顔へと向ける。褐色肌でもわかるくらいに真っ赤になっており、その額には青筋が浮かび上がっていた。
刃の口元が引き攣る。少女を怒らせるつもりは微塵もなかった。ただ結果的にこうなってしまっただけで、刃には謝る準備はあったのだ。
数歩後方へと足を引きずって下がる。目を伏せていた少女が立ち上がり、プルプルと震えながらゆっくりと口を開く。
「い……いい度胸ね……。このアタシ……姫野香織に白昼堂々と痴漢するなんて!」
少女——姫野は声を荒げて刃を睨みつける。それに萎縮して、逃げ出す勇気も無くなった。
そもそもだ。どうして刃がこんなことに巻き込まれたのか。何も全て刃が悪いわけではない。刃はとある事情でかつての友人の下を訪れようとしていた。10年ぶりの都会に足を踏み入れたまではいいものの、あまりの変わりように迷子になってしまったのだ。
送られてきた地図データを持って、唸るように歩いていると、曲がり角で走っていた姫野と衝突してしまった。そうして出来上がったのが今の状況であり、落ち度は姫野にもあった。
それを棚上げされて、痴漢だなんだと言われる筋合いは刃にはない。
と、都会では声の大きいやつが勝つのかよ……っ!
「ち、痴漢!? おいおい、やめてくれよ! 確かに太ももを揉んだのは悪いと思ってるけど、ぶつかってきたのはそっちで——」
「じゃあ、アタシが悪いって言うの!? アタシのパンツを食い入るように見てたのに!?」
言い方よ……。
刃は呆れて何も言えない。項垂れるように肩を落として、怒り狂う姫野の暴走を見ているしかなかった。
幸いだったのは、今が道のコアタイムではなかったことだ。少し外れた時間帯で、大通りだというのに人は少ない。横切る人たちも仕事やら何やらで忙しいらしく、この騒ぎに群がってこない。
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にした姫野は、腰に手を当てて刃を指差す。
「警察に突き出すなんて生ぬるいことはしないわ! ここでアタシと勝負しなさい!」
「しょ……勝負……?」
「百鬼影でのシングルバトルよ!」
百鬼影——AIによって生まれた瞬間に脳のスキャンを行い、それぞれの個性を妖怪、モンスターに例えた仮想電脳世界”アンダーワールド”におけるアバターのことを指す。
世界から戦争を無くした根底のシステムは、現代社会において大きな意味を持つ。なぜなら、人にはそれぞれレートというものが割り振られ、今ではその高低差で社会的地位を表すかのようになっているからだ。
友人との待ち合わせもあるため、あまり時間をかけたくない刃は警察沙汰に巻き込まれるよりはマシだと、旧式のメガネ型デバイスを装着する。
そのデバイスが珍しかったのか。姫野は片眉をあげて首を傾げる。
「今時、メガネ型デバイスって……あんた田舎者?」
「わ、悪いかよ……。つい朝方まで山奥に引っ込んでたんだ。ここまで来るのに何本も電車を乗り継いで——」
「ははーん。じゃあ、レートも低そうね。ご愁傷様。アタシのレートは2500。あんたは……は? 400?」
姫野は耳につけている最新の映像型デバイスを起動してレートを確認する。その数字の低さに再び首を傾げた。
姫野が不思議に思うのも当然だ。現在の学徒の平均レートは1000。その半分以下の数値などほとんどお目にかかれない。まして刃の年齢ではまずもってあり得ないレートだった。
その事実に目を泳がせる刃を見て、何か訳ありだと悟る。しかし、どれだけ訳ありだろうと姫野が手を抜く理由にはならない。
気を取り直して”アンダーワールド”にログインし、自身の百鬼影であるスレンダーな兎を召喚する。両の手には胴体ほどもある長い爪が装備されている。
刃もログインし、10年ぶりの小鬼を召喚した。
「小鬼……まさかね。それにしても貧弱な武器。最初期の二丁拳銃じゃない」
「う、るさいなあ! 10年ぶりなんだよ、こっちは!」
「はあ? 10年って……まさか”バーツ”も使わないど田舎にいたわけ?」
バーツとは、現代世界で統一された仮想電子通貨の名称だ。
姫野の言う通り、刃は山奥で自給自足の生活をしていた。一切バーツを使わない生活をしてきたのだ。
「だ、だったらなんだよ……?」
「はんっ。これなら余裕も余裕で勝てそうね。あ、この勝負は生配信するから。あんたの負けっぷりをネットに流して恥をかかせてあげるわ!」
なんというどぎつい仕打ちだろうか。これが自らにも悪いところのある偶発的な事故を起こした者の発言だろうか。もはや笑えない状況になりつつある刃は乾いた笑いを漏らした。
早々に都会の洗礼を受けた刃は、都会怖えなどと心の中で叫ぶ。
すでに勝ち気でいる姫野を見て、続け様に百鬼影を観察する。
両手に凶器。スレンダーな姿からスピード特化型の百鬼影だと推測する。レート差を鑑みてもスピード勝負は刃の負けだろう。加えて言うなら、刃の百鬼影の小鬼が装備しているのは10年前に手に入れた汎用型の二丁拳銃だ。
誰がどう見ても戦力差がありすぎる。普通ならばここで諦めて、やっぱり警察沙汰に……というのがセオリーなのだが、刃の心の中ではある感情が燻る。
10年ぶりのオンラインゲーム。相手はNPCではなく、理性と感情で揺れる人間。生粋のゲーム好きである刃にとって、これほど興奮するものはない。
「ほら、来なさいよ。遊んであげるわ、田舎者」
姫野の余裕な態度とは裏腹に、刃の燻る感情に火が灯る。
今、刃の中にあるものは、目の前の対戦相手でどれだけ遊べるのか。どれだけなら壊れないか。という狂気だった。
1対1の勝負。互いの攻撃が相手のヒットポイントを削り切るまでを勝利条件としたシングルバトルだ。
キラキラと輝く瞳は、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のよう。
カウントダウンが始まる。
3……2……1……。
兎と小鬼が姫野の生配信の下でぶつかり合った。




