極限まで命の価値を下げた戦争
「放課後、空けておきなさい」
時間は進んで放課後。昼休みの一件を経て、桜と別れた後にそんな言葉を刃へと投げかけた姫野は、答えを聞かずに講義室へと戻ってしまった。とはいえ、講義室でも隣の席であるため話す機会は何度もあったが、一貫して外の景色をぼんやりと見つめる姫野に、刃は声をかけることができないでいた。
そうして迎えた約束の時間。刃は一度男子寮に戻って支度をしてから待ち合わせ場所であった学内中央に設置されている噴水前までやってきた。
そこにいたのは姫野で間違いはなかった。ただ、服装がいつもとは違う。白のブラウスに紺色のフレアスカートを着こなした姫野に、刃は一瞬見惚れてしまった。
パッ、と顔を上げた姫野が刃を見つけた。
「遅い!」
一喝。
意識を取り戻したかのように顔を振って、刃は後頭部を掻く。
「ご、ごめん……でも、正装か、なければ制服だなんて注文をしたのは姫野の方だろ?」
「レディとの待ち合わせで女性を待たせる男がどこにいるのよ!」
突然の引越しと編入でまだ荷物は届いていない。寮にあるのは初めから設置されていたベッドと制服、シャツの替えくらいだ。実は編入の件で田舎の祖父母と少しいざこざがあったが、最終的には成人したお前を信じるとして、祖父母が折れる形でことなきを得た。
そんな刃に正装を買いに行く時間があるはずもなく、一応シャツだけは着替えて制服で待ち合わせ場所へとやってきていた。
そう言って姫野が近づいてきたかと思えば、刃の胸元に顔を近づける。
スンスン。
姫野は顰めっ面で刃の胸元を嗅いだ。
どうしてか恥ずかしく思った刃は、咄嗟に後ろへ下がる。突然の行動に困惑と羞恥を感じる刃だったが、まあ及第点といった顔で姫野が顔を上げる。
「とりあえず、臭くはないわね」
「い、一応、シャツは取り替えてきたからな」
「ま、それが普通なんだけどね。アタシと食事に行くんだから最低限のマナーは守ってもらわなくちゃ」
「……ちょっと待て。食事ってどういう——」
「ほら行くわよ」
刃の言葉を遮って姫野は歩き出す。またこのパターンか、と刃は酷く肩を落として呆れながら姫野の横に立って歩く。
時間にして18時。少し辺りが暗くなり始めた時間帯。それとは正反対にレストラン街は華やかに輝き始める。
極東第一学園には多くのレストランや雑貨店がテナントとして入っている。よくあるチェーン店から、個人店までそのテナント数は120を超える。放課後の時間帯は一般人も学内に入ることができるため、巨大なショッピングモールのようになっているのだ。
刃のいた山奥にはこんなに大きなショッピングモールは近くにはなかった。改めて新鮮な景色を見て、刃の心は踊っていた。
慣れた足取りで進んでいく姫野の横で、刃は目に入る店をウインドウショッピングしていた。
と、とある店の前で姫野が止まる。
「着いたわよ」
言われて姫野の視線の先を見る。外から見ただけでもわかる高級感のある店舗。店名は”ノワール”だった。
店の前にはスタンド看板が設置されており、そこに書かれていたのは高級料理の品だ。値段も他のチェーン店と比べて桁が違う。
「お……おい。なんか高級すぎないか……?」
「だから、最低でも正装か制服で来るように言ったでしょ?」
確かに言われたけどさあ……。
まさかこんな場所に連れて来られると思ってもいなかった刃は、場違いな自分の服を見て困惑する。今からでも遅くはない、と店の変更を試みる。
「な、なあ。別の店にしないか?」
「大丈夫よ。学生も利用するレストランだし、思ってるよりも場違いじゃないから。それに予約もしてあるから、今更変更なんてキャンセル料のバーツが勿体無いじゃない」
などと言って、姫野は店の扉を開く。深呼吸をして、初めての高級レストランに向けて、気を引き締めて刃も後を追う。
扉を潜ると、目の前に広がったのは豪華な店内だった。決して大きくはない店内だったが、シャンデリアや高そうな家具で彩られたものは目を見張るものがある。
田舎者感が出ないように、キョロキョロしないことを決め込むが、どうあっても初めてなものに目が移ってしまう。好奇心と戦っている刃の前に燕尾服を着た背筋のいい痩せた老人が迎える。
「いらっしゃいませ」
「予約してた姫野よ」
「姫野様ですね。個室の方をお取りしております。こちらへどうぞ」
姫野はよくこのレストランを利用する。と言っても食事をするためではなく、新しいパートナーへの洗礼やあまり公にしたくない話をする時だけだ。今回、このレストランを予約したのは仮ではあるが新しくパートナーになった刃をもてなすため。そして、気になったことを解消するためだった。
導かれるがままに店の奥へと通される。途中、学生服を着た男女の学徒が刃の目に映る。それも1組ではなく何組も。
デートスポットとして金銭に余裕のある学徒はここを利用する。ただし、その多くが名家の生まれで一般の学徒は店を知っていても利用しようとは考えない。
案内されたのはこの店に2部屋しかない個室だった。防音完備、空調も個別で設置されており、挙句室内BGMまで変更可能だった。ここまで至れる尽くせりなのはどう考えてもおかしすぎる、と刃が恐る恐る姫野に問う。
「この個室って……実際いくらなんだ?」
「そうね……SRアイテムが3つ買えるくらいかしら」
「それって下手したら100万を超えるんじゃ……」
頬を引き攣らせる刃に姫野は涼しい顔でいた。
実際問題、姫野にはそれだけの財力があった。実家が日本有数の名家であること。姫野自身もアイテム採掘エリアを度々攻略していること。さらに極東第一学園のトップ10に与えられる毎月200万バーツの待遇がこの店に通えるだけの財力の担保だった。
呆気に取られている刃をそのままに、姫野は席に着く。
「あんたも座りなさいよ」
「——お、おう」
言われるがまま、姫野の対面に座った刃は室内をぐるりと見回した。豪華すぎる。刃には心臓に悪い空間と言えるだろう。
刃が田舎者であることを知っている姫野は、その反応を見て当たり前だ、と考えていた。そう。刃は田舎者だ。その田舎者に姫野は敗北した。それどころか南奈とも関係を持っており、人と接することが極端に少ない桜ともいつの間にか仲良くなっていた。
これらの事実は十分に姫野を困惑させていた。レートで順位が決まる現代。自分よりもレートの低い刃が高レートの人たちと仲良くしているのはあまりにも異質だった。
刃は普通ではない。何かが絶対的にズレている。姫野がこの店に連れてきたのは、真実を知りたかったからだった。
ファーストドリンクが届くと、軽い乾杯をしてソワソワしている刃に姫野は告げる。
「あんた……何者なの?」
「へ? 何者って……俺は不知火刃だぜ? それ以外に何かあるのか?」
「そうじゃなくて、ルーデルファスト学長といい、桜・ウォーターフィールドといい。どうして高レート帯の人たちと渡り合えるのよ」
渡り合う……渡り合う、かあ……。
そんなことは考えたこともない刃は頬を掻いて考える。
南奈とは10年前に出会ったただのゲーム友達だと思っているし、桜に関しても気が合う友達だと思っている。別に渡り合った記憶は刃にはなかった。
だから、姫野の欲しい言葉が刃にはわからなかった。
「2人は……ただの友達だよ。ゲームは1人でやるのも楽しいけど、みんなとやった方がもっと楽しいだろ?」
「友達……冗談でしょ。みんな戦争をしてる。極限まで命の価値を下げた戦争をね。それでもあんたはゲームだと思うの?」
姫野の認識は間違っていない。AIによって管理された命の軽くなった戦争で勝ち上がるため、各国は”アンダーワールド”の攻略を目指している。
だが、刃だけはそう思っていなかった。
「ゲームはただのゲームだろ。どうしてみんなそんな難しく考えるんだ……?」
その考えは、姫野の常識とはかけ離れすぎていて、思わず姫野は奥歯を強く噛んだ。
「なら……あんたにとっての”アンダーワールド”ってなんなのよ!」




