第7話 イレギュラー
スヴェストル公爵邸のある一室。
その扉がノックされ、部屋の主であるエヴラールは声を返す。
「はい」
「失礼いたします」
そう言って入室したのは長年スヴェストル公爵家に仕える執事、トマ。
彼はいくつもの手紙を持っていた。
「今日もか」
手紙の束を見たエヴラールは困ったように顔を曇らせる。
深々と溜息を吐く彼の様子を見つめて、トマは品よく笑った。
「お坊ちゃまは人気者ですね」
「揶揄わないでくれないか。皆、欲しているのは俺の本質ではない。分かっている癖に」
エヴラールは机に置かれた手紙に手を伸ばし、差出人一人ひとりの名を確認する。
その殆どは大して付き合いもない、同年代の令嬢がいる家からのパーティーの招待状だったが、確認を怠ったせいで返事が必要な重要な手紙が紛れてしまってはいけない。
そのような理由から流れ作業のように封筒の表面だけを確認していたエヴラールの手紙を捌く動きはふと、ある封筒を前に止まる。
「坊ちゃん? 気になるお方でもいらっしゃいましたか?」
「……いや」
トマの問いに返事をするも、彼の視線は未だ一つの封筒を見つめたままだ。
差出人、『オレリア・ド・エルディー』。
数日前の晩、夜会で出会った令嬢の名であると認識すると同時、当時の記憶が彼の頭を過る。
まるで自分の考えを読み取ったような呟きを零し、突然話さなくなったかと思えば社交界のタブーを犯してまでダンスに誘う積極性と破天荒さを見せる。
おまけにダンスの途中で突然泣き出すと来た。
平たく言えば、変人である。
(初めは苦手意識でも持たれている中気を遣わせてしまっているのかとも思ったが、ダンスに誘われた事やこの招待状を見るに、どうやらそうではないらしいな。それに……)
初めてまともに言葉を交わした女性、オレリア。
彼女が涙を流した時の顔を思い返したエヴラールは上手く言葉では言い表せないような違和感を覚えていた。
純粋な緊張や感激から涙を流した訳でもなければ、不調から流れたものでもないような顔。
切なさ、悲しさ……そういった胸の痛みを抱えるような空気に似たものを、微量ながらにエヴラールは感じていたのだ。
当時の状況には不釣り合いな、ちぐはぐとした反応。
それが彼の興味を引きたてた。
エヴラールはオレリアから送られた封筒を開き、内容を確認する。
便箋に記されていたのはエルディー侯爵邸で開催される茶会への案内だった。
「おや、珍しい」
眼鏡の奥で目を細めるトマが呟く。
それを聞き流しながらエヴラールは思案するように顎を撫でた。
茶会の招待状には会場やタイムスケジュール等の詳細の他、それらを綴ったものとは別の筆跡で短い文章が添えられている。
『先日はありがとうございました。あの日お借りしたハンカチをお返ししたく、ご招待させていただきました。ご都合がよろしければ是非ご検討いただけますと幸いです』
(ハンカチは返さなくとも構わないと伝えたはずなんだが)
エヴラールはその出自と容姿から、幼い頃から異性のアプローチを受けて育ってきた。
それ故に恋愛経験はないが好意に鈍感という訳でもない。
つまるところ、オレリアのこの申し出が、単なる再会の口実である事を悟っていた。
そして同時に、恐らくは彼女が自分を好意的に見ているのだろうという事も。
「参ったな」
オレリアに対して嫌な印象を抱いている訳ではない。
寧ろ初対面時の会話から気が合うかもしれないという好印象すら抱いている。
だが、だからといって彼女の期待に応えられるような気はしないし、ここで招待に応じれば、それは思わせぶりな振る舞いになってしまうのではないかという懸念もあった。
出来るだけトラブルは避けたいし、意識しない場所で相手を傷つけることもしたくはない。
エヴラールは一つ息を吐くと、持っていた招待状を机に置いた。
「よろしいのですか?」
「ああ」
「そうですか。残念」
「どうしてお前が残念がるんだ」
「ああ、いえ、大した事ではありませんがね」
トマから微笑ましそうに見つめられ、むず痒い心地になったエヴラールは物言いたげに彼を睨む。
しかし幼少期から世話をしている相手に凄まれたとて、人生経験を詰んだ老人が恐れを抱くはずもなく。
トマは相も変わらず目を細めて笑いながら、机に置かれた招待状へ視線を移した。
「日頃は異性からの好意に抵抗感を見せる坊ちゃんが、今回ばかりは何か他事を気に掛けているようでしたから」
「他事、か」
トマからの指摘にエヴラールはハッとする。
彼の言う通り、これまで届いた山のような招待状や恋文を見る時は、どこかで聞き齧ったような内容の薄い口説き文句や、下心が透けて見える文章に辟易とする事ばかりだった。
だが今回は珍しくそうではない。
(どうしてだか彼女の場合は、その意図を理解していても不思議と嫌に思わないな)
オレリアに負の感情を抱いている訳ではない理由には、やはり第一印象が大きく絡んでいるのだろうと、エヴラールは考えた。
そしてトマの指摘と、これまでとは異なる自分の変化への気付きが、彼の中のオレリアという人物への興味をそそった。
エヴラールは一度机へ戻した招待状をもう一度手に取る。
視界の端で満面の笑みを浮かべる執事の気配を感じ、エヴラールは気恥ずかしさを紛らわす為に咳払いをした。
「トマ」
「はい、坊ちゃん」
エヴラールは椅子を引いて机の前に腰を下ろすと、トマへ向かって空いている手を差し出した。
「返事をする。便箋と筆を持って来てくれ」
「畏まりました。今すぐに」
彼の命に、トマは満足気に頷きを返すのだった。




