第5話 面影
「見て。エヴラール様よ」
「異性をダンスに誘うだなんて、珍しいわね」
声を潜める令嬢の視線を集める中、オレリアとエヴラールは手を取り合って踊り始める。
大広間の隅のオーケストラが奏でる美しい音色に合わせ、二人は体を揺らす。
(ダンスに誘ったのは私なのだけれど)
耳に届く囁きに肩身の狭さを感じたオレリアは、自分達へ向けられる視線を避けるように正面だけを見る。
すると彼女の視界には必然的にエヴラールの顔が映り込んだ。
「緊張していますか?」
「え」
「オレリア様の顔が硬いように見えて」
エヴラールの指摘は正しかった。
彼に好かれたいが、その為に事を急いたが故に逆に嫌われはしないか。
そんな不安が未だ彼女の中にあった。
しかしそんな彼女の意識もエヴラールからの言葉に傾き、僅かに緊張が解れていく。
(オレリア様、か)
ずっと名前だけで呼ばれていた彼女にとって、エヴラールに敬称で呼ばれる事には強い違和感があった。
オレリアは、少しだけ生まれた余裕の中でエヴラールに笑い掛ける。
「オレリアで構いません」
「え?」
「エヴラール様の方がご身分も高いですし、他の方から伺った話では年齢も私の方が一つ低かったかと」
「……そうなのか。なら俺の方も、エヴラールで構いませ……構わない。歳の一つや二つ、大した差ではないし」
「あ、ありがとうござ……ありがとう」
いくつか言葉を交わした後、オレリアとエヴラールは互いに口を閉ざしてしまう。
突然口調を変えろと言われても気恥ずかしさや違和感からすぐに切り替えられないのも、それ故に相手の顔色を窺ってしまうのも仕方のない事であった。
(私から言い出した訳だから、社交辞令だと思うけれど……流石に、気を悪くしたりはしないよね?)
「え、エヴ――」
自分の中に生まれる躊躇を振り払い、オレリアはエヴラールの名を呼ぼうとした。
しかしその最中、周囲で踊っていたペアと彼女の背中がぶつかりかける。
それに気付いたエヴラールは機転を利かせてオレリアの体に回していた手で彼女を引き寄せた。
「……っ!」
「すみません、オレ――」
オレリアとエヴラールの顔が近づく。
至近距離で見つめ合う最中、エヴラールは途中で声を切る。
そして何やら考えるように瞬きを繰り返してから困ったように眉を下げて笑った。
「――オレリア」
その微笑みと声、現在の状況が、オレリアの記憶の中のエヴラールと重なった。
『前回』と今の状況は既に異なっている。『前回』は今回のように踊る事はなかったので、彼から感じる面影の正体は今回のパーティーとは別の機会に踊った時のものだ。
だが過去の記憶と今の状況や関係が異なる中でも無意識的に懐かしさを追い求めてしまっていたオレリアの心を、この時のエヴラールは大きく揺さぶったのだった。
そして、エヴラールとは何度も踊ったダンスの記憶の片鱗を感じた瞬間オレリアは自身の目頭が瞬く間に熱を帯びるのを感じる。
(駄目よ、オレリア。耐えないと)
出会って間もない相手が突然泣き出せば、当然相手を驚かせてしまう。
そう思い、溢れそうになる感情を何とか押し留めようとするも、一度かつての面影を追い始めてしまえば、次々と幸福な記憶が呼び起こされていく。
そして感情を抑え込もうとする努力も虚しく、オレリアの瞳からは涙が零れ落ちた。
「……なっ」
彼女の涙に気付いたエヴラールは、オレリアを導きながら踊っていたダンスを止める。
周囲からも驚いたようなような視線が集まりつつあった。
「ど、どうしたんだ。どこか、不調でも……?」
「ち、違うの。ごめんなさい」
エヴラールは泣き出したオレリアに動揺しつつ、ポケットからハンカチを取り出す。
そしてそれでオレリアの頬を伝う雫を拭いながら、彼女と目線を合わせて言った。
「移動しよう。こっちだ」
エヴラールはハンカチをオレリアに握らせてから彼女の手を取り、人気のないバルコニーまで導く。
周囲の視線を振り払って外へ出ると、彼は備え付けられていた椅子にオレリアを座らせる。
「ごめんなさい、困らせて」
「いや、それは構わないが……」
エヴラールは再度オレリアに何も問題はないのかと聞こうとしたが、その言葉は途中で途切れる。
彼は元々、他者の事情へあまり深入りしない性格であった。
その為、オレリアが突然泣き出した事についても出会ったばかりの自分が詮索すべきではないと判断した彼はしつこく問う事を控えたのだ。
「今日のパーティーは人も多いし、疲れたのかもな。落ち着いたら今日は帰った方がいいだろう」
「……ええ」
流石に今の状況でまだエヴラールと共にいたいなどと、オレリアは言う事ができなかった。
しかし、エヴラールからの進言を素直に受け入れる彼女の胸の内はこれまで積み重なった彼への愛おしさで溢れている。
胸を刺すような切なさと苦しい程の愛情。
それらを秘めながら、オレリアはエヴラールの顔を盗み見る。
(次に会う時は、絶対に失敗しない。もっと完璧に、やり直してみせる)
エヴラールに『前回』の記憶がなく、自分のことを何とも思っていないとしても構わないとオレリアは強く思う。
彼が生きてくれてさえいれば、いくらでも関係の再構築の機は訪れるのだから。
(どんなに大きな罰を、女神様から与えられる事になったとしても――)




