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第63話「メイス盾、正式登録」

 カンブレーグ・ギルド本部は、外から見るとほとんど要塞だった。


 厚い石壁と鉄枠の扉が、訪れる者を無言のまま選別している。石壁は苔を拒むように乾ききり、鉄枠には無数の擦り傷が残っていた。そこに刻まれているのは装飾ではなく、何度も開閉され、何度も誰かを通し、何度も誰かを拒んできた“使用の歴史”だけだ。


 一歩、足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


 冷たい。

 乾いている。

 その奥に、古い紙と魔導触媒の匂いがごく薄く混じっている。


 紙の匂いは、記録の匂いだった。

 触媒の匂いは、測定の匂いだった。


 ここは戦場ではない。だが、戦場に出る前の人間をふるいにかけ、並べ、記録し、選別するための場所なのだと、ちゃたろ〜にはすぐにわかった。


 天井は高く、梁の先は闇に溶けている。

 灯りは最小限しかない。明るくしないのは節約ではなく、余計なものを見せないためだろう。その代わり、音だけはやけによく通る。声は吸われるのに、足音だけが乾いたまま石床に跳ね返ってくる。


 まるで、裁きを待つ聖堂だった。


 ちゃたろ〜は背を伸ばし、静かに歩いた。

 視線は揺らさない。

 揺らせば“見られる”。

 見られれば“分類される”。

 分類されれば、扱いが決まる。


「ダンジョン登録をお願いします」


 声は低く、抑えて出した。

 大きく言えば通るだろう。だが、通る声は余計な耳にも通る。ここはそういう場所だ。


 受付カウンターに立つと、若い受付嬢が顔を上げた。

 訓練された微笑。流れるような所作。視線は一瞬で木札へ落ち、その木目と刻印を確認し、次の手順へ移る――はずだった。


 だが、木札を受け取った瞬間、その動きが止まる。


「……Bランク。ジョブレベル三十八……」


 声が少しだけ小さくなる。

 確認というより、“読み上げることで自分の目を確かめている”声音だった。


 視線が、ゆっくりと上がる。

 木札から、ちゃたろ〜へ。

 数字と、目の前の人物とを一致させるように。


「……メイス盾、で?」


「そうだ」


 即答した。


 迷いのない返事は、ときにそれだけで相手を戸惑わせる。都市の常識は、たいてい“迷うはずだ”という前提の上に乗っているからだ。


 背後で、空気がざわついた。

 そのざわつきは波みたいに広がっていき、やがて小さな言葉の輪郭を持ちはじめる。


「三十八って……」

「嘘だろ」

「まだ残ってたのかよ」


 小さな声だった。

 だが、この空間ではよく通る。


 天井が高いからではない。

 “噂”が通りやすいように、こういう場所は出来ているのだ。噂は秩序を保つ。秩序は管理を楽にする。


 中途半端。

 不遇。

 時代遅れ。


 言葉にされなくても、意味は伝わる。

 そしてその意味は、言葉そのものより早く肌に刺さった。


 受付嬢も一瞬だけ視線を伏せた。

 戸惑いか、あるいは同情か。

 どちらにしても仕事には不要な感情だろう。だから彼女はすぐに仕事の顔へ戻った。


「失礼いたしました。こちらへどうぞ」


 通されたのは、薄い仕切りの奥だった。

 無機質な長机。並ぶ書類。きっちり揃った筆記具。整然としているほど、人間は“扱われる側”になる。


 説明は淡々と始まった。


「各層ごとに入場制限がございます」

「踏破ごとに通行証明が付与されます」

「原則、パーティ行動を推奨します」


 言葉は丁寧だった。

 だが含意は明確だ。


 ――一人で来るな。

 ――一人では生き残れない。

 ――例外は、例外として処理される。


 ちゃたろ〜は黙って聞いていた。

 従順だからではない。

 ここで反論しても制度は変わらないし、変わらない制度に言葉をぶつけるのは、ただの時間の浪費だと知っているからだ。


「……改めて確認します」


 受付嬢がそう言った時、その“確認”の裏に、最後の撤回を促す気配が見えた。

 引き返すなら今だ、と。


「メイス盾での登録ですね」


「そうだ」


 また指先が止まる。

 ほんのわずかに。

 だが、その“わずか”こそが、この都市の平均的な感覚なのだろう。


「……当都市では極めて稀です。近年はビショップ系が主流で……」


「知ってる」


 遮るように言った。

 感情で押したのではない。ただ、同じ説明を聞くたびに同じ偏見を吸うことになるのが面倒だっただけだ。


「辺境で実績は積んだ」


 短い。

 だが揺れはない。


 揺れのない言葉は、相手に“処理”を強いる。常識と現実の齟齬を、その場で飲み込んで整えなければならなくなるからだ。


 受付嬢は一度だけ瞬きをしてから、小さく頷いた。


「……承知しました。木札を、石板へ」


 黒い石板が差し出された。

 表面は鏡みたいに滑らかで、光を映すのではなく、むしろ飲み込んでいるような黒だった。


 木札をかざす。

 ひやり、とした感触が皮膚を伝う。


 それはただの石の冷たさではなく、“読み取られる”冷たさだった。


 次の瞬間、光が走った。


 淡い青白い線が木札の上を這い、刻印の溝をなぞり、木目の隙間へ入り込み、脈打つように魔力を読み取っていく。線は細い。細いほど正確だ。自分の内側にあるものまで、表へ引きずり出されるような気配がした。


 受付嬢が、息を呑む。


 珍しい反応だった。

 珍しいからこそ、周囲の視線もこちらへ寄る。寄ってきた視線が、さらに空気を硬くする。


「……照合、完了しました」


 小さく、しかし確かな声だった。


「登録を承認します」


 差し出されたのは、一枚の通行証だった。

 黒地に金の縁。紙ではなく、薄い板状の素材で、手に取るとしっかりと重い。


 重いのは材質だけではない。

 “これを持つ者は迷宮に入る”という決定が、そのまま重さになっているのだろう。


 これは、この都市の迷宮に入る権利であり、

 同時に、踏破が刻まれていく記録媒体でもある。


「これで、入れるのか」


「はい。初回は十階層までが目標となります」


「了解」


 即答した。


 目標、という言葉をちゃたろ〜は目標のままでは受け取らない。ここでの“目標”は到達の目安ではなく、選別の線引きだ。十階層で止まる者と、十階層を越える者。その差が、次の扱いを決める。


 受付嬢は少しだけ躊躇ってから、続けた。

 その躊躇いの中には、優しさと現実の両方が入っていた。


「……掲示板での募集も可能ですが……正直、メイス盾は……」


「問題ない」


 言葉が重なった瞬間、室内が一瞬だけ静まった。


 強い言葉は、空気を止める。


「技量を見せればいい」


 それだけで十分だった。

 説明を足せば言い訳になる。言い訳は弱さに見える。この街では、弱さは値札になりやすい。


 受付嬢の目に、また別の評価が宿る。

 好意とは限らない。

 ただ、“この男は退かない”という分類がひとつ増えただけだ。


「……ご質問は?」


「アクセサリーだ」


「深層産は確認されています。“耐性系”“属性系”ともに」


 ちゃたろ〜は頷いた。

 耐性も属性も、現場では命綱になる。命綱を欲しがる者が多いということは、それだけ奪い合いも起きる。


「闇のパーティは?」


 一瞬、受付嬢の表情が硬くなった。

 その硬さは、話題が“規約”だけでは処理できない領域へ触れたことを示していた。


「非公式集団です。専有、違法取引……危険です」


「……わかった」


 通行証を懐へ収め、木札も戻す。

 椅子を引き、立ち上がる。


 背筋は、最初から最後まで崩れていなかった。


 偏見でもいい。

 不遇でもいい。

 俺は――歩く。


 都市の壁も。

 噂も。

 制度も。

 全部、踏み台だ。


 踏み台にするなら、踏まれても折れない材質でいればいい。


 ちゃたろ〜は静かに出口へ向かった。

 扉の向こうの大広間のざわめきが戻ってくる。


 その喧噪は歓迎ではない。

 だが、入る資格は、もう手の中にあった。

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