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外伝『焼き菓子そして、あの家の三人』

 ミーナは村でいちばん“人の気配”に敏い女だった。


 別に特別な力があるわけじゃない。

 ただ、窓を開けた時の空気の入り方とか、道を歩く足音の速さとか、買い物かごの中身とか、そういうものでだいたい分かるのだ。


 誰が疲れてるか。

 誰が喧嘩したか。

 誰が恋をしたか。

 そして――誰がちゃんと飯を食ってないか。


 そんなミーナの最近の関心事は、村外れのあの家に住みついた三人だった。


 一人は、やたら若いくせに妙に落ち着いたメイス持ちの少年。

 一人は、静かすぎるくらい静かな白髪の女。

 もう一人は、最初は影みたいだったのに、最近ちょっとずつ人間の顔をし始めた小さな女の子。


「……気になるのよねぇ、あの家」


 焼き上がったばかりの小麦菓子を鉄板から外しながら、ミーナはひとりごちた。


 ちなみに“気になる”の意味は八割が善意で、二割が野次馬根性である。

 人間としては正常だった。



---


◆第一節:焼き菓子を持っていく理由は、だいたい善意


「おかあさん、また行くの?」

 娘が呆れたように言う。

「またとは失礼ね。今日は様子見よ」

「昨日も一昨日も“様子見”って言ってたよ」

「その時その時で見るべき様子が違うのよ」


 ミーナはふんと鼻を鳴らし、籠に焼き菓子を詰めた。

 砂糖を少し控えめにした丸い焼き菓子。腹にたまりすぎず、でもちゃんと甘くて、疲れた時にちょうどいいやつだ。


「ほら、あの子。サナちゃんだっけ? まだ細いし。おやつって大事なのよ」

「ちゃたろ〜さんの分も?」

「いるでしょ、ああいう子は。絶対『大丈夫です』とか言いながら雑に食べるタイプよ」

「ヴィリスさんは?」

「……あの人は、いらないって顔で断ってから一番きっちり食べるタイプ」

「おかあさん、失礼だよ」

「観察よ」


 そうしてミーナは、たいへん失礼かつだいたい正しい予想を胸に、村外れの家へ向かった。



---


◆第二節:予想を超えてくる少年


 あの家の扉を叩くと、出てきたのはちゃたろ〜だった。


「こんにちは。これ、焼き菓子。よかったらどう?」

「あ、どうも。助かる」

「助かるって、もうちょっと他に言い方ないの?」

「うまそう」

「まあ、そうだけど」


 ミーナは思った。

 この子、言葉を飾らない。

 飾らないくせに、妙に角が立たない。

 ずるい。


「ちゃんと三人分あるからね」

「三人分?」

「あなたと、サナちゃんと、ヴィリスさん」

「……ヴィリスも食うかな」

「食べるわよ」

「なんで断言できるんだ」

「女の勘」

「雑だな……」


 そこへ、家の奥からすっと白い影が現れた。

 ヴィリスである。

 いつも通り姿勢がよく、いつも通り顔色が白く、いつも通り感情が読みづらい。


「来客ですか」

「焼き菓子持ってきたの。よかったら」

「お気遣いなく」

「ほらきた」

 ミーナが即座に言う。

「……何がです?」

「その“お気遣いなく”って言った人が、あとで一番ちゃんと食べるやつ」

「心外です」

「じゃあ食べない?」

「それは失礼でしょう」

「ほら」

「……理不尽では?」


 そのやり取りを聞いて、奥のほうで小さな音がした。

 ふたりがそちらを見ると、廊下の陰からサナが半分だけ顔を出している。


「サナちゃん、こんにちは。今日はね、ちょっと焼き色がいいの」

 ミーナができるだけ軽く言うと、サナは焼き菓子とミーナの顔を交互に見て、それから小さく頭を下げた。


「……こんにちは」


 その声が前よりずっとはっきりしていて、ミーナは心の中で小さくガッツポーズをした。


(よし。今日は当たりの日だわ)



---


◆第三節:ヴィリス、焼き菓子を計測しようとする


「お茶、淹れるか」

 ちゃたろ〜が言って台所へ向かう。

 サナもついていく。

 ヴィリスは焼き菓子の皿を前に、なぜかじっと見ていた。


「……どうしたの?」

 ミーナが聞くと、ヴィリスは真面目な顔で答えた。


「大きさが、微妙に違います」

「そりゃ手作りだもの」

「均一ではないということですか」

「そうよ」

「焼きムラによる水分量の差も出るでしょう」

「出るわね」

「味のばらつきも」

「あるかもね」

「なるほど」


 そこでヴィリスは、どこからともなく細い定規を取り出した。


「ちょっと待って」

「計測します」

「なんで?」

「比較検証です」

「焼き菓子を!?」

「最適個体を見つけるために」

「焼き菓子に個体って言わないのよ普通!」


 ちょうどそのタイミングで、茶を持って戻ってきたちゃたろ〜が一言。


「……やっぱり定規出した」


 ミーナは目を見開いた。

「え、前科あるの?」

「ある」

「料理にも使うの?」

「使う」

「嫌だわこの人」

「俺も最初そう思った」


 するとサナが、控えめに、でもたしかに笑った。


 口元が少しだけ上がる。

 音にはならないけれど、笑ったと分かる表情。


 ミーナはその瞬間、焼き菓子の焼き加減だの水分量だのを全部どうでもよく思った。


 なぜなら今、この家でいちばん大事なことは、

 サナがヴィリスの奇行で笑ったことだったからである。


「……サナちゃん、今笑った?」

「ちょっと」

 ちゃたろ〜が即答する。

「笑いましたね」

 ヴィリスまで真顔で頷く。

「本人の前で確認するのやめなさいよ!」


 サナは少し耳を赤くしながら、焼き菓子をひとつ取った。

 そっとかじる。

 甘さが口に広がったのか、まばたきがゆっくりになる。


「……おいしい」

「でしょう?」

 ミーナは胸を張った。

「焼き菓子はね、ちょっと不揃いなくらいがいいの」

「なぜです?」

 ヴィリスがまだ定規を持ったまま聞く。

「そっちのが、人が作った感じするから」

「曖昧ですね」

「曖昧でいいの。お菓子だもの」

「……料理分野における再現性の否定」

「違うのよ、そうじゃないのよ」


 ちゃたろ〜が肩を震わせて笑っている。

 サナはまた小さく笑った。

 ヴィリスだけが、まだ納得していない顔で焼き菓子を見ていた。



---


◆第四節:いちばん食べたのは誰か


 数十分後。


 皿の上の焼き菓子は、きれいになくなっていた。


 ミーナは満足していた。

 とても満足していた。

 だが、同時にひとつ確認しなければならないことがあった。


「……で」

 腕を組んで言う。

「誰が一番食べた?」


 ちゃたろ〜は湯呑みを持ったまま目を逸らした。

 サナは素直にヴィリスの方を見る。

 ヴィリスは一拍おいて、静かに答えた。


「私ですが」


 ミーナは天を仰いだ。


「ほらあ!!」

「効率を考えれば、糖分摂取は妥当です」

「そういう問題じゃないのよ!」

「では何の問題です?」

「断ったくせに一番食べたことよ!」

「結果的にそうなっただけです」

「しかも言い訳が下手!」


 ちゃたろ〜がついに吹き出す。

 サナも肩を小さく揺らした。

 ヴィリスだけが最後まで本気で困惑していた。


「……そんなにおかしいでしょうか」

「おかしいわよ」

「だが、美味でした」

「そこだけ妙に素直!」

「事実ですので」

「そういうとこよ!」


 家の中に笑い声が広がった。


 囲炉裏の火は静かに燃えていて、

 窓の外では風が畑を撫でている。


 この家へ最初に来た時は、もっと空気が張っていた。

 息をするにも、音を立てるにも、どこか気を使っていた。

 けれど今は違う。


 まだ不安はあるだろう。

 まだ傷は残っているだろう。

 それでも、笑う隙間ができていた。


 ミーナは空になった皿を見て、ふっと息を吐く。


「……ま、よかったわ」


「何が?」

 ちゃたろ〜が聞く。


「ちゃんと“家の音”がしてきたこと」


 その言葉に、ちゃたろ〜は少しだけ黙った。

 サナは焼き菓子の欠片を指先でつまみながら、意味を考えるみたいに首を傾げる。

 ヴィリスだけが、ほんの少しだけ目を伏せた。


 家の音。


 食器が触れる音。

 茶を飲む音。

 誰かが笑う音。

 少し呆れた声。

 小さなつっこみ。

 そういう、戦いには何の役にも立たない音のことだ。


「……そうかもな」

 ちゃたろ〜が言う。


 ミーナはそれ以上、余計なことは言わなかった。

 こういうのは、言いすぎると逃げるのだ。

 焼き菓子の湯気みたいに。


 だから立ち上がって、空の皿を抱える。


「じゃ、私は帰るわ。また様子見に来るから」

「それ、もう通う気満々じゃない」

「違うわよ。観察よ」

「俺、前にも同じこと聞いた気がする」

「気のせいよ」


 玄関へ向かう途中、サナが小さく言った。


「……また、来て」


 ミーナは足を止めた。

 振り返ると、サナは少し照れたみたいに視線を落としていたけれど、ちゃんとその場に立っていた。


 その一言だけで、今日はもう大勝利だった。


「ええ、もちろん」


 ミーナはにっこり笑った。


「次はもっと焼き色そろえてきてあげる」

「別にそこはそのままでいいのよ」

 ちゃたろ〜が言う。

「不揃いのほうが、人が作った感じするし」

「……曖昧ですね」

 ヴィリスが真面目に返す。

「だからそういうとこだってば!」


 最後にもう一回、笑いが起きた。


 それを背にして家を出ながら、ミーナは思った。


 ああ、よかった。

 あの家は、ちゃんと少しずつ、暮らしになってる。


 そのことが、なんだか自分のことみたいに嬉しかった。

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