第6話「薬草と毒牙と、冒険者の現実」
夕暮れが村の屋根を赤く染めていた。低く垂れた陽光は石畳に長い影を落とし、ゆっくりと夜へ向かう温度を孕んでいる。
ちゃたろ〜は汗の乾いた服のまま、薬草を詰め込んだ布袋を抱えて、ギルドの扉を押し開いた。
薪の匂い。煮込み料理の香り。木の壁を通じて響く人の声。
そして──
「……ちゃたろ〜さん!!」
カウンター奥で帳簿をめくっていたティナが、ぱっと顔を上げ、目を大きく輝かせた。
「よかった……ほんとうに、無事で……!」
その声には、安堵と驚きと、少しの緊張さえ混じっていた。
ちゃたろ〜は無言で布袋を差し出す。
ティナが袋の口を開いた瞬間、瞳がさらに大きく揺れた。
「これ……依頼の三倍どころじゃない……っ! 本当に……ひとりで採ってきたの?」
「採取中に“毒牙ウルフ”に遭遇した。やり過ごして、残りは急いで集めた」
淡々とした説明。だが名前が出た瞬間、ギルドの空気が、凍った。
椅子のきしむ音。酒瓶を置く乾いた音。そして、冒険者たちのざわめき。
「毒牙ウルフ……? この辺に出るはずねぇだろ……」
「東側って“安全地帯”だろ……誰が設定変えた?」
「いや設定とかじゃなくて……なんだこれ?」
ざわつきが波紋のように広がる。“安全地帯が安全ではない”という事実が、村全体を不安で満たしていった。
ティナの顔色も蒼くなり、慌てて帳簿に目を走らせた。
「依頼番号23……規定量の三倍……いえ、これは特別扱いにします! 報酬は通常の1.5倍で処理します!」
「助かる」
ちゃたろ〜は静かに銀貨を受け取った。冷たい金属の重みが、胸の奥に「生き延びた」という実感を落とした。
(これで……数日は持つ)
ティナが薬草を仕分けながら、ちらりとちゃたろ〜を見る。
「でも……毒牙ウルフを避けて大量に採るなんて……。やっぱりちゃたろ〜さん、ただの子供じゃないよね……?」
横で聞いていた冒険者が、ひそっと呟く。
「……十歳だぞ? 本当に?」
「ライトメイス選ぶなんて変人かと思ったが……戦略的だな」
「いや、“生き残るための選択”にしか見えねぇ」
評価と驚きが混ざる空気。その中心で、ちゃたろ〜は木札を指でそっとなぞった。
(毒牙ウルフが安全地帯に……)
本来なら“あり得ない”。
ゲーム時代の設定では、東側はチュートリアルゾーン──敵テーブルに登録さえされていない。
だが今この世界には、設定を管理する者はいない。
モンスターは“世界の理”によって動き、ときに境界を越える。より強い獲物へ、より濃い魔力へ、より深い混乱へ。
(……森が変質している。いや、この世界そのものが……動いている)
背骨をひやりと冷たい指で撫でられたような感覚が走る。
「ちゃたろ〜さん」
ティナが声を落として言った。
「……本当に、よく無事で戻ってきたね。もし……もう少しでも気を抜いてたら……」
その先を言わず、唇を噛む。
「だから……その……今日、生きて帰ってきてくれて、よかった」
言葉は震えていた。けれど、そこに嘘はひとつもなかった。
ちゃたろ〜は、軽く頭を下げただけだった。
「……ありがとう、ティナ」
ギルドの灯火が揺れ、外の風が少し冷たくなる。
生きて帰ることは、当たり前ではない。たった一歩の差で、死に飲まれる世界。
薬草採取は「初心者向け」だったはずだ。だがそこには、牙を剥いた“現実”があった。
(……これが、この世界の初歩か)
銀貨の重みを確かめながら、ちゃたろ〜はゆっくりと息を吐いた。
だが、この日の出来事はまだ“序章”に過ぎなかった。
毒牙ウルフが現れた背後には、森の奥で蠢く“もうひとつの異変”が、静かに芽を出し始めていた。




