第4話「はじめての依頼と、ギルドの裏事情」
朝のギルドは、昨夜とはまるで違う場所に見えた。
薪がぱちぱちと爆ぜる音。焼きたてのパンの甘い香り。外気より少し暖かい空気が、扉を開けた瞬間に頰へ触れる。
木の床に射し込む光は柔らかく、長い影を伸ばしている。冒険者たちの声は低く、ざらついた笑いと、昨夜の酒の話、今日の仕事の話――生活の音そのものだ。
(……いいな、この感じ)
“生きた場所”の空気だった。ただそれだけで、胸の奥にまだ熱の残った安心が広がる。
だが、安心に浸るのはまだ早い。俺には仕事がある。今日から本格的にこの世界で“冒険者”として動き出すのだ。
カウンターには、昨日と同じ少女――ティナが立っていた。今日の彼女は、昨日よりも少しだけ大人びて見える。
いや、違うか。
彼女の「俺への見方」が、昨日と変わってしまったのだ。
「おはよう、ティナ」
軽く手を上げると、ティナはびくっと肩を揺らし、慌てて背筋を伸ばした。
「お、おはようございますっ! ……ちゃたろ〜さん」
緊張が声に乗っている。十歳の“子ども”だと思って応対していた相手が、気づけば自分よりずっと落ち着いた雰囲気で立っている――その違和感が彼女の中で処理しきれていないのだろう。
(無理もない)
俺の中身は成人のまま。落ち着いて見えるのも当然だ。
ティナは自分で自分に「落ち着け」と言い聞かせるように深呼吸してから、笑みを整えた。
「今日は、依頼を受ける前に……ギルドについて、少しお話しておこうと思って!」
ティナはカウンター下から紙束を取り出す。手にする仕草は丁寧で、書類も角が揃えられていた。
「ギルドでは“依頼をこなして報酬を得る”のが基本ですが、達成数や内容によって“ランク”が上がっていきます」
「昇格すれば、受けられる依頼が増えるわけだな」
「はい。でも……」
ティナは声を潜めた。
「そのランク制度、表向きはちゃんとしてるんですけど……ギルドによっては“形だけ”ってところもあるみたいで。ポイントが溜まれば、ほぼ誰でもランクが上がっちゃう支部とか」
(だろうな……)
NPCに“ズル”なんて概念はなかったはずだ。だがこれは、もう“ゲーム”ではないのだ。
人間の都合が入り込む以上、制度も歪む。
「うちのギルドは……たぶん、真面目な方だとは思います」
ティナは微苦笑を浮かべた。それは若さゆえの無力感というより、現場を知る者の静かな諦めに近かった。
(やっぱり、彼女……ただの受付じゃないな)
言葉の裏に、経験と注意深さが見える。ティナがこの村でどれだけの「脱落」を見てきたのか、ふと考えてしまう。
「それから、“上位職”についてなのですが……」
ティナはもう一枚紙を取り出した。
「上位職になるには、各支部で正式に試験が必要です。これは、適当にはできないみたいで」
「ふむ……」
「実地試験と、あと……面接」
「面接?」
思わず眉を上げると、ティナは照れたように笑った。
「はい。ギルドによっては“協調性があるか”“村に問題を起こさないか”とか……そういう、人柄を見るそうです」
(……そんな仕様、実装してなかったぞ)
だが、これは現実の組織なら当然かもしれない。力だけあって、問題を起こす冒険者が増えれば村が困る。
「つまり、上位職はギルドの“推薦”がないと受けられない、か」
俺が言うと、ティナはわずかに目を見張った。
「……そう、です。よく分かりましたね」
「だいたい想像できる」
十歳とは思えない声と視線。ティナは困ったように、でもどこか楽しそうに笑った。
近くの冒険者たちが、ひそひそ話し始める。
「なぁ、あの子……本当に子どもか?」
「いや、あれは……なんつーか、大物の空気だろ」
「ライトメイスで登録したって聞いたが……面白ぇな」
適度な興味と、気の早い期待。
悪くない。
「じゃあ、そろそろ──最初の依頼を紹介しますね!」
ティナは書類の束を手に取り、数枚を並べ始めた。
「護衛とか、家畜の世話とか、荷物運びとかありますけど……ちゃたろ〜さんには、これが良いと思います」
差し出された紙。
──『薬草採取』。
「初心者向けで、森の東側。安全地帯に指定されています」
「薬草……か」
「はい! 薬草は回復にも使えるし、調合にも役立ちます。生き延びるには、とても大事な知識になりますよ」
(……死ににくくなる、ってことだな)
昨日の森の感触を思い返しながら、俺は静かにうなずいた。
「それでいこう。薬草採取を受ける」
ティナがぱっと笑顔を浮かべた。
「はい! じゃあ──これが、登録木札です」
彼女は慎重に木札を取り出し、両手で差し出した。
手のひら大の木の板。表面に魔力が染み込み、淡く脈動している。
刻まれた文字──
《グレイハウス支部》
《ちゃたろ〜》
《ライトメイス》
同時に、掌にかすかな温度が伝わる。心臓の鼓動のように、木札の中心がわずかに震えていた。
(……これが、この世界で“生きている”証か)
持った瞬間、胸の奥にずしりとした重みが生まれた。
「木札は身分証にもなります。なくすと再発行が大変なので、首から下げておくのが安全ですよ!」
「気をつける」
俺が木札を紐に通して首にかけると、ティナの表情が和らいだ。
「薬草採取の場所は森の東側。基本的には安全ですけど……十分に注意してくださいね」
「わかってる」
俺が背を向けようとしたとき、ティナの声が追いかけてきた。
「ちゃたろ〜さん!」
振り返ると、ティナは両手で書類を抱えたまま、こちらをまっすぐ見つめていた。
「……がんばってください。ちゃんと、帰ってきてくださいね」
その声音には、昨日とは違う、“冒険者として扱う”まっすぐな期待が込められていた。
俺は短くうなずいた。
「必ず帰る」
ティナはほっと息をついたように笑い、仕事に戻っていった。
こうして俺は、初めての依頼へと足を踏み出す。
だが──“初心者向け”とされる森の東側には、俺の知っているマップデータには存在しなかった“異物”が潜んでいることを、まだ知らなかった。
それが、後に大きな分岐となることも。
このときの俺は、まだ気づいていなかった。




