第31話「約束された地獄」
王都に、雨が降った。
空から落ちてくるのは、ただの水ではない。
街に積もり重なった虚飾と欺瞞を洗い流すには足りず、
ただ石だけを冷やしていくような、冷たい雨だった。
灰を溶かしたような雲が低く垂れ込み、
石畳は雨粒を弾きながら、鈍く濁った光を返している。
通行人は皆、足早に去っていく。
濡れた外套を引きずり、視線を伏せ、
誰ひとりとして他人と目を合わせようとしない。
その中を、俺とフィーネは歩いていた。
三日前――
俺たちは、ギルドから提示された三つの依頼をすべて終え、
報告も、証拠提出も、形式上は完璧に済ませた。
だが王都ギルドは沈黙した。
呼び出しもない。
進捗確認もない。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
ギルドの前を通るたび、
冒険者たちの囁きが、雨音に混じって聞こえてくる。
「推薦状持ちだってさ」
「田舎から来たんだろ」
「上位職? 笑わせるなよ」
視線は鋭い。
だが、決して正面からは向けられない。
誰も挑まない。
誰も否定しない。
ただ――無視する。
存在を、空気に溶かすように扱う。
そのとき、理解した。
――王都という都市は、
敵意よりも無関心で人を殺す。
そして今日。
ようやく、呼び出しがかかった。
ギルドのカウンター。
外の湿った空気とは違い、
ここだけは不自然なほど乾いている。
「ようやく、お顔を見せてくださいましたのね」
マリアベルは、いつもどおり完璧な笑みを浮かべていた。
だがそれは、
幕が下りる直前の舞台女優のような、
役割を全うするためだけの表情だった。
「転職の件、内部処理が完了いたしましたわ」
一拍。
「推薦状のおかげで――
特例として、通りましたの」
胸の奥に沈めていた熱が、かすかに震えた。
(……やっと、“メイス盾”になれた)
魔王の影の下で、村を守ったあの日。
手遅れになるたび、拳を噛みしめた夜。
――二度と、手遅れにしない。
――死なず、死なせず、守る盾になる。
その決意が、
ようやく「形」として認められた。
だが。
余韻を味わう間もなく、
マリアベルは指先で机を軽く叩いた。
「ただし……これだけではございませんわ」
引き出しから取り出されたのは、深紅の封書。
辺境伯家の紋章。
封蝋は、異様なほど鮮やかだった。
「“上位職登録”と引き換えに――
特別任務が課されますの」
声は柔らかい。
だが、内容は冷酷だった。
「辺境伯領は現在、魔物の侵攻下にあります。
そこで――“能力未知数ながら、実戦で評価”を、とのこと」
要するに。
俺とフィーネを、
最前線へ放り込む。
「……試験、か」
「ええ♪ ご明答ですわ」
笑顔に、感情はない。
「拒否なさいます?」
俺が問うと、
マリアベルは楽しそうに目を細めた。
「その場合、上位職登録は――
“なかったこと”になります」
盾としての未来を、奪う。
制度とは、そういう刃だ。
横で、フィーネが小さく息を呑んだ。
震えてはいない。
だが、その静けさが胸に刺さる。
雨は止まなかった。
二人は安宿を出て、王都を離れる。
荷は軽い。
俺の背には、ひび割れたメイス一本。
フィーネの外套は、雨を吸って重たく垂れていた。
街外れの石段で、
彼女がぽつりと口を開く。
「……怖くないんですか」
声は小さい。
だが、その奥にあるのは恐怖ではない。
自分が信じられなくなることへの不安。
「怖いさ」
俺は正直に答えた。
「でも、この街に残っても、何も変わらない」
一歩、踏み出す。
「だったら――
変えられる場所で、戦う」
「……変えられる、場所」
フィーネはその言葉を反芻するように呟き、
歩幅をわずかに寄せてきた。
外套の裾が、俺の足に触れる。
それは、
彼女なりの“信頼”だった。
王都の外門。
雨に濡れた巨大なアーチの向こうで、
鐘が低く鳴った。
振り返ると、
ギルドの高窓に一つの影。
マリアベルが、こちらを見下ろしている。
唇が、小さく動いた。
「――どうかご無事で。
……なんて、建前ですけれど」
返事はしない。
誰も、生還を期待していない。
それが、この都市の論理だ。
俺はメイスを握り直す。
雨粒が柄を伝い、冷たい線を描く。
(来いよ、“地獄”)
(呑み込まれるかどうかは――
まだ、決まってない)
雨は止まない。
だが、歩みは止めない。
メイス盾として。
そして――
フィーネと共に、誰も生還を期待していない場所へ。




