3章 第27話「王都の冷たい空気」
王都の空は――
遠くから見たときよりも、はるかに濁っていた。
灰色というより、磨きすぎた金属の色。
光を反射するが、熱を持たない空だ。
村では、風が吹けば土の匂いがあった。
陽が照れば、草の影が揺れた。
そこでは、世界がちゃんと呼吸していた。
だが、ここでは違う。
石で塗り固められた街路は、どれほど陽が射しても温度を帯びない。
高い塔が落とす影は、まるで街全体に“日陰”を固定するために存在しているかのようだった。
空はある。
光もある。
だが――温もりが、ない。
(……思っていたより、ずっと冷たい)
それが、王都の第一印象だった。
行き交う人々の足音は、すべて速い。
誰もが誰かを追い越し、
誰もが誰かを押しのけ、
立ち止まること自体が“規則違反”であるかのように歩いている。
視線は交差する。
だが、そこに敵意も親切もない。
あるのは――
関心の欠如。
見えているのに、見ていない。
そこに存在しているのに、存在として数えられていない。
豪奢な建物の装飾も、
鮮やかな衛兵の制服も、
すべてが背景として整えられた“舞台装置”のように見えた。
(ここに、俺の居場所はない)
その考えは、自然に浮かんだ。
拒絶されたわけでも、追い払われたわけでもない。
ただ――最初から想定されていないだけだ。
(……だが、それは理由にならない)
胸の内にしまった“推薦状”。
紙一枚。
だが、村で積み重ねた“死にかけた経験”の重みが、確かに詰まっている。
それを頼りに、足を止めずに歩いた。
王都ギルドは、巨大な石殿のような建物だった。
扉を開けた瞬間、
無数の声が、音としてではなく“圧”として押し寄せる。
依頼の受付。
素材の納品。
金貨のやり取り。
協会員の怒号。
それらが混線し、整理されないまま流れ続ける――濁流。
村のギルドとは、根本的に違う。
あちらは、木の匂いと人の気配で満ちていた。
ここは、石と金属の摩擦音がすべてを支配している。
人が集まる場所なのに、
人の温度だけが、どこにもなかった。
俺は、受付窓口へ足を進めた。
「……次の方。そちら、まだでしたの?」
真紅の巻き髪を揺らし、
磨き抜かれた宝石のような瞳を向けてきた受付嬢――マリアベル。
その笑顔は完璧だった。
目元は涼やか。
口元の角度は、教本どおり。
だが、美しさより先に感じたのは――冷却された合理性だった。
彼女の視線は、客を見る視線ではない。
人を“評価し、仕分ける”ための目だ。
「推薦状、これ」
差し出した封書に、
マリアベルは、ほんのわずかに眉を上げた。
「……まあ。“メイス盾”ですこと」
一拍。
「ずいぶんと、珍しい職ですね。
王都では、まず見かけませんわ」
声は柔らかい。
言葉遣いも丁寧。
だが、そこに含まれるニュアンスは明確だった。
――不要品の確認。
「お名前を……あら、失礼。
登録は済ませているのですね」
視線が、名簿をなぞる。
「てっきり、見学者かと思いましたわ」
見学者。
つまり、“冒険者として数に入っていない”。
刺す言葉だが、胸は波立たない。
村で浴びた生死の視線に比べれば、これはただの空気だ。
「推薦状の確認、終わりましたわ。
――ですが」
一瞬、声の温度が下がる。
「王都での正式登録には、“実績”が必要ですの」
「……実績?」
「ええ。依頼を三つ達成していただき、
その報告をもって初めて《メイス盾・登録》となります」
笑みは変わらない。
だが、その瞳ははっきり語っていた。
――ふるい落とす。
王都は、人を拒まない。
ただ、残さない。
そのとき、少し離れた窓口で、小さな影が動いた。
書類を落とし、慌てて拾う小柄な少女。
年齢は十歳前後。
外套は体に合わず、袖口から覗く手は細い。
「フィーネ。急いで。
あなたも“特殊任務”が控えているでしょう?」
マリアベルの声音が、わずかに変わる。
苛立ちと、時間に追われる焦燥。
少女――フィーネは、
怯えたように肩をすくめながら頷き、
一瞬だけ、こちらへ目を向けた。
その目。
光が、薄い。
焦点が、微妙にずれている。
まるで――
世界を一段深いところから見ているような視線。
(……普通じゃない)
胸の奥で、言葉にならない確信が震えた。
交霊士。
ミーディアム。
すでに失われたはずの素質。
だが、口には出さない。
ここは王都だ。
“特別”という言葉は、
弱者に最初に向けられる刃だから。
フィーネが去ったあと、
俺はマリアベルに視線を戻した。
「三つの依頼……受ける」
「ご決心、素晴らしいですわ」
完璧な笑み。
だが、その奥で彼女の瞳は、こう告げていた。
――あなたを、試しますわよ。
それでいい。
落ちると思うなら、思わせておけばいい。
拾われるつもりはない。
最初から、その気はなかった。
夕方。
ギルドの外へ出ると、王都はさらに喧噪を増していた。
誰ともぶつからず、
誰とも話さず、
誰も立ち止まらない。
気づかれない。
知られない。
存在していることすら、認識されない。
(……無関心)
それが、この街の“温度”だ。
敵意よりも。
差別よりも。
ずっと、深く刺さる。
安宿の部屋。
薄いベッドに腰をかけ、
ひび割れたライトメイスを手に取る。
柄の裂け目に触れた瞬間、
戦闘の記憶が、熱として蘇る。
「村では……俺を見てくれる人がいた」
名前を呼んでくれた。
言葉をかけてくれた。
存在として、数えてくれた。
「でも、ここじゃ……名前すら呼ばれない」
それでも、口元に小さな笑みが浮かぶ。
「いい。名前がなくてもいい」
握ったメイスが、わずかに軋む。
「誰にも拾われない盾なら……
自分で、自分を拾い上げるだけだ」
王都の風は冷たい。
だが、この覚悟だけは奪えない。
誰よりも長く、
誰にも見られなくても、
立ち続ける。
それが――
この街で生きるための、最初の条件だった。




