第22話「残される者たち」
村に、奇妙なざわめきが生まれたのは、ちゃたろ〜が試験に合格した翌日からだった。
彼の姿は変わらない。
朝の軒先で薬草を揉み、昼に治療所で《ヒール》を施し、夕暮れに森へと足を運ぶ。
しかし、村の人々の目は変わっていた。
「上位職だってよ。十三で」
「もはや子どもじゃないな」
「いや……村を出るんじゃないか? こんな小さな集落に収まる器じゃないだろ」
期待、不安、誇り、寂しさ――同じ言葉の中に、まったく違う情が混ざっていた。
ちゃたろ〜は、そのどれにも反応しない。
ただ、土を触り、風を嗅ぎ、薬草の葉を観察し続ける。
(……ここは、俺の“いま”の居場所だ。でも……それだけだ)
彼の眼差しは、どこか遠くを見ていた。
ギルド支部の裏手。
帳簿の山とインク壺に囲まれた小さな机。
ティナはペンを走らせながら、ふと動きを止めた。
「……ちゃたろ〜、本当に行ってしまうのね」
ぽつ、と落ちるような声だった。
この三年ずっと見守ってきた少年が、自分の手元から離れていく。その実感が、胸にじわりと広がる。
ルナが同じ机で書類を束ねながら、目を上げた。
「寂しい……ですか?」
ティナは一瞬だけ微笑み、それから窓の外へ視線を投げた。
夕陽が村の通りを茜に染め、子どもたちの影が長く伸びている。
「そうね。……寂しい、わ。同時に、嬉しいの。あの子、本当に強くなったから」
「でも……引き止められたら、きっと……」
ルナの声は震えていた。
自分の中の何かが寂しがり、何かが叫び、何かが諦めている。
ティナはそっと首を振る。
「だめよ。引き止めちゃいけない。私は“ここに残る人”だから。どこへ行っても帰ってこられるように……この場所を整えるのが私の役割」
その横顔には、揺れと覚悟が同時にあった。
(……やっぱり、勝てない)
ルナは胸を押しつぶされるような痛みに気づき、言葉を飲み込んだ。
そのとき。
ギルド支部の窓の外から、ひょっこり覗く影があった。
ウソヤクである。羽飾りが西日を浴びて揺れている。
「青春ってやつだな……」
小さく呟いた彼は、次の瞬間には影の中へ消えていた。
数日後。
推薦状が発行された朝。
村の入口で、ちゃたろ〜は小さな荷物とライトメイスを背負って立っていた。
いつもと同じ表情なのに、周囲の空気だけが違って見える。
ティナ、ルナ、その他の村人たちが彼を見送っていた。
「……気をつけてね、ちゃたろ〜」
ティナの声は落ち着いていた。けれど、その強さの奥に震えがあった。
「なるべく迷子にならないようにする」
「迷子って……ふふ。ほんと、変な子」
ティナは笑う。それ以上言葉を続けなかった。
彼を困らせたくなかったし、自分が崩れないようにするためでもあった。
ルナが唇を噛み、言葉を探す。
「ちゃたろ〜さん……えっと……その……」
しかし声は続かず、ただ小さな拳を握りしめるだけになった。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。またね」
ちゃたろ〜はゆっくり歩き出す。
土を踏む足音が、朝の空気に淡く響く。
ちゃたろ〜の背中は、村を出る一本道をまっすぐ進んでいく。
その姿は少しずつ小さくなり、朝靄に溶けていくようだった。
それでも――完全には消えない。
遠く、道の先に、小さな影として確かに残っている。
ティナが静かに息を吐いた。
「……行っちゃった、ね」
「……はい」
ルナは目を伏せ、胸にわずかな痛みを抱えたまま答える。
「私たち……残される側なんですね」
ティナはすぐには返さなかった。
けれど、少しだけ微笑んで言う。
「でも……まだ見えてる。あの子は、簡単に“消える”ような行き方をしないわ」
ルナはその言葉に目を上げる。
見ると、ちゃたろ〜の影は靄の向こうで、確かにまだ歩いていた。
ただ、それだけだった。
何かを予感させるわけではない。
こちらへ向き直る気配すらない。
けれど――
「……不思議ね。あの背中、またすぐ戻って来そうに見えるのよ」
ティナの言葉に、ルナは静かに頷いた。
靄の向こう、遠ざかるだけの背中。
まだ小さく、まだ見える。
その“見える距離”だけが、二人に微かな温もりを残した。




