第21話「面接の温度」
面接室は、冬の井戸の底のように冷えていた。
窓のない石壁が光も温度も奪い、椅子を引く小さな音さえ、わずかに反響する。
ちゃたろ〜は静かに椅子に座っていた。
十三歳の体つき。細い肩。まだ少年の輪郭を残した顔立ち。
だが、その眼差しだけは違った。ときに大人より深く、ときに老人より静かで、部屋の空気そのものを測っているようだった。
正面には、書類を整えるギルド男性職員。
その隣には、ティナが真っ直ぐに座っている。
普段の穏やかな笑顔はない。受付嬢としての柔らかさを外し、面接官としての顔を作っている。
それでも、指先だけはかすかに強張っていた。
(……この空気、嫌いじゃない。けど、重いな)
職員が書類を置く。
「では、上位職《メイス盾》への申請面接を開始します」
淡々とした声が、石壁へ吸い込まれていった。
最初に口を開いたのはティナだった。
「ちゃたろ〜。……どうして《メイス盾》を?」
短い質問。
だが、その響きはただの確認ではなかった。
私が知りたい。三年間見てきた私が、ここで確かめたい。
そんな温度が、静かに混じっている。
ちゃたろ〜は迷わない。
「死なないために。死なせないために」
ひと呼吸だけ置いて、続けた。
「……死ななければ、どうとでもなる」
部屋の空気がわずかに沈む。
ティナの眉が、ほんの少しだけ揺れた。
「それだけ?」
「それが一番大きい」
「夢や、なりたい自分は?」
「生き延びた先で考える」
あまりにも淀みがない。
答えを用意していたのではない。最初から、その順番でしか物事を考えていない声だった。
職員が紙に何かを書きつける。
ペン先の音がやけに大きく響いた。
「では、実務判断を確認します」
男性職員が顔を上げる。
「前衛が崩れ、後衛に負傷者が二名。敵はまだ一体残っている。あなたが《メイス盾》として現場にいる場合、何を優先しますか」
「敵の進路を切る」
即答だった。
「治療ではなく?」
「進路を切らない限り、治療しても次が出る」
「負傷の程度によっては?」
「致命傷ならなおさら前を止める。全滅したら意味がない」
職員が再びメモを取る。
ティナはその横顔を見た。
冷たい判断。正しい判断。けれど、その正しさは、誰かを切り捨てる覚悟と隣り合っている。
彼女はわずかに唇を結び、次の問いを重ねた。
「……大切な人を守りながら戦うことになったら?」
ちゃたろ〜の視線が、わずかに動く。
それでも答えは変わらない。
「守る」
「どうやって?」
「前に立つ。それが《メイス盾》だ」
「守れなかったら?」
その問いだけ、少し速かった。
ティナ自身も、それに気づいていた。面接官の順序ではない。感情が、ひとつ先に出た問いだった。
ちゃたろ〜は静かに答える。
「……その人の意思を継ぐ」
部屋が冷える。
「俺が生きている限り、そこで終わらせない」
ティナの指先がぴくりと震えた。
(なんで)
胸の奥が痛む。
(どうして十三歳で、そんな答え方ができるの)
喪失を知っている者の答えだった。言葉だけではなく、その裏に沈んでいる時間ごと、そうだった。
男性職員ですら、すぐには口を開けなかった。
沈黙が落ちる。
長い。
長すぎる沈黙のあと、ティナが息を吸う。
その目はもう、完全な面接官のものではなかった。
「……じゃあ、もうひとつだけ」
声が少し低くなる。
「あなたのそばに、あなたのために命を懸けようとする人がいたら?」
職員が一瞬だけ視線を上げる。
それが想定された質問ではないと、誰にでもわかる間だった。
ティナは続けた。
「その人が、自分で選んで、あなたの背中に立とうとしたとしても……置いていくの?」
石壁の向こうまで静かになる。
ちゃたろ〜は揺れない。
揺れないまま、答えた。
「必要なら、置いていく」
間髪入れない答え。
ティナの表情が、ほんのわずかに崩れた。
傷ついた、というより。予想していた痛みを、やっぱりそのまま受け取った顔だった。
「……そう」
それでも、声は折れなかった。
「じゃあ、置いていかれる側は?」
ちゃたろ〜は初めて、少しだけ目を伏せる。
長くはない。けれど、今まででいちばん短い沈黙があった。
「……見送る権利くらいは、ある」
ティナの喉が詰まる。
泣きそうなわけではない。泣いてはいけない場所だからだ。
ただ、胸の奥のどこかを、正確に突かれた気がした。
彼女は小さく息を吐き、ようやく微笑む。
「ほんと……そういうところ、変わらないのね」
その声は、面接官ではなく、ずっと前から彼を知っているひとりの少女のものだった。
男性職員が、静かに紙を閉じる。
「以上で面接を終了します」
形式を取り戻すような声だった。
「申請者ちゃたろ〜に対し、上位職《メイス盾》への推薦を発行します」
ちゃたろ〜が立ち上がる。
ティナもようやく背筋の力を抜いた。
「……おめでとう。合格よ」
その声は少し震えていたが、温度は確かだった。
「ありがとう」
ちゃたろ〜は一礼し、扉へ向かう。
扉に手をかけた、その時。
「ちゃたろ〜!」
ティナの声が、背中を追った。
彼は振り返らない。
ただ、肩越しに短く返す。
「……なに?」
ティナは一度だけ目を閉じ、それから言った。
「旅立つその時は、ちゃんと挨拶に来なさい」
短く息を吸う。
「置いていくなら……せめて、見送らせて」
一瞬だけ、ちゃたろ〜の動きが止まる。
石の部屋よりも、その沈黙の方がずっと冷たかった。
やがて、彼は小さく答える。
「……もちろん」
扉が閉まる。
面接室に残ったのは、書類の匂いと、言葉にならなかったものの重さだけだった。
廊下に出た瞬間、ちゃたろ〜は胸の奥が妙に重いことに気づいた。
(……刺さったな)
ティナの問い。声の震え。最後の一言。
どれも、軽くはなかった。
けれど。
遠くの通路から、明るい声が弾んだ。
「ちゃたろ〜さん! 合格したんですか!? やったぁー!」
ルナだった。
その声だけで、胸の重みが少しだけ軽くなる。
(……救われる声だ)
同じ頃、別の宿。
ウソヤクは布団の上に転がりながら、天井を見ていた。
「……あんな張りつめた面接、俺が入ったら三秒で追い出されてたな」
ひとりごちて、薄く笑う。
「でも、あいつ本当に強えな。何がどう転んでも、あれは“選ばれる側”だ」
月光が差し込む窓から、夜風がゆっくりと襟を揺らしていた。




