表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/56

第19話「その視線の先には」

 森からの帰り道。


 夕暮れが木々の影を長く引き伸ばし、鳥の声は少しずつ高みへ遠ざかっていく。昼間は鮮やかだった葉の色も、今は夕陽の赤を吸い込み、森全体がひとつの大きな呼吸をしているようだった。


 ちゃたろ〜は肩にかけた薬草袋を軽く揺らしながら、隣を歩くルナへ問いかけた。


「……で、結局あいつ、どうだった?」


「ウソヤクさんですか?」


 ルナは足元の落ち葉を、わざと音を立てるように踏みしめた。ぱり、と小さな破裂音がして、それからくすりと笑う。


「すごく悔しそうでした。……でも、楽しそうでもありました。『また面白くなりそうだ』って、帰り道ずっと言ってましたよ」


「そっか」


 ちゃたろ〜はどこか納得したように目を細める。


「じゃあ、そのうち“今度は負けない”って言いに来るな、あいつ」


「言いそうですね……絶対」


 ルナの笑い声は、森の静けさに溶けて広がる。その横顔には、安堵と、ほんの少しの誇らしさが混じっていた。


 ちゃたろ〜は歩を緩め、肩の薬草袋の口を確かめる。中には、今日の依頼の要――銀煙花をはじめとした薬草が、丁寧に収められている。


 袋をひとまとめにして、彼はルナの前に差し出した。


「これで任務完了だ。ギルドに届けておいてくれる?」


「はいっ、了解です!」


 ルナは両手で袋を受け取り、ぎゅっと胸の前で抱きしめた。その仕草は、まるで大切な宝物を預かった子どものようで、見ている側の息を少しだけゆるめる。


(……重さ、ちゃんとある)


 これだけ持って帰ってきた。

 それだけの事実が、布越しに伝わってくるようだった。


 そんなことを思いながら、ルナは袋の布越しに薬草の匂いをそっと吸い込んだ。


 グレイハウス村のギルド支部は、夕刻特有のにぎやかさを帯びていた。


 冒険者たちが報告を終え、酒場へ流れていく前のざわめき。金属が触れ合う音、笑い声、少し疲れを含んだ溜息。


 その中心で、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべて立つ女――ティナがいた。


 扉が開き、ちゃたろ〜とルナが入ってくる。


 ティナは手元の帳簿から顔を上げ、その姿を認めて少し目を丸くした。


「……あら。随分早く戻ってきたわね。ケガはしてない?」


「平気」


 ちゃたろ〜はいつもどおりの短い返答をしながら、木札をカウンターに置いた。


 その表面に刻まれた数字を見て、ティナの表情が一瞬止まる。


「……ちょっと待って。これ……“20”?」


「今日、達成した。報告と……上位職申請に来た」


 まだ幼さを残した顔立ち。けれど、その声音と目の奥には、他の冒険者と変わらない“戦場の色”が混じっている。


 ティナは感心とも、少しの寂しさともつかない光を目に宿し、ゆっくりと目を細めた。


「ふふ……やっぱり早いわね。じゃあ、上位職の申請用紙、用意するから少し待ってて」


 彼女はカウンター下から数枚の書類を取り出し、さらさらと羽ペンを走らせながら続ける。


「……それにしても、抜け目ないわね。実地試験と面接があるって、もうわかってるんでしょ?」


「まあ、ね」


 ちゃたろ〜は肩をすくめ、書類を受け取る。上から下まで目を通しながら、淡々と記入し始めた。


(たかが20。されど20)


 死なずに積み上げた日数の重さくらいはある。


 その裏側で、彼だけの時間感覚が静かにずれていく。周囲の人間が“成長していく速度”と、自分の内側に流れる“変わらなさそうな何か”との、わずかな差。


 それに、まだ名前はつけない。


「じゃあ言うまでもないけど……実地試験の担当は――」


「バルド、だろ?」


 ティナのペン先が止まる。


 きょとんと目を瞬かせ、それから苦笑混じりに肩をすくめた。


「ほんとに……見ずに当てるんだから。はい、正解。バルドが試験官。あの人、自警団の顔だもの。腕試しできる機会、大好きよ」


「“好きそうだ”って思っただけだよ」


 ちゃたろ〜はあっさりと言う。


 横で話を聞いていたルナが、思わず声を上げた。


「バルドさんって、村で一番の実力者じゃ……? わたし、あの人に勝った人、見たことないです」


「だろうね」


 ちゃたろ〜の返答は揺れない。


「だから試験相手になる。本気で殴って、本気で見てくれる相手じゃないと、意味がない」


「うわぁ……やっぱり怖いです。でも……なんか、ちょっとワクワクもします」


 ルナは胸元で手を組み、不安と期待をないまぜにした表情を見せた。


 ティナはその横顔をちらりと見て、少しだけ柔らかく微笑む。


「心配しなくても大丈夫よ。少なくとも、あの子が“今なら受ける”って思ったなら、無茶な時期ではないってことだもの」


「ティナ……」


 ちゃたろ〜は返事をしなかった。


 ただ木札に触れ、静かに息を吐く。


(“居場所”をもらってしまった分、ここで立ち止まるって選択肢は最初からない)


 夜。


 村の片隅に建つ、ちゃたろ〜の小さな小屋。その裏庭に、星明かりとランプの光が重なり合っていた。


 物干し台代わりの横木には、縄に束ねられた薬草がいくつもぶら下がっている。夕方に採ったばかりの葉が風に揺れ、かすかな甘い香りを漂わせていた。


 ちゃたろ〜は指先で葉の裏をなぞり、乾き具合を確かめる。


「……よし。これなら明日には使えそうだな」


 そう呟いたところで、背後から柔らかな足音がした。


 振り返ると、ランプを手にしたティナがいた。ゆらめく灯りに照らされて、長く伸びた影が地面をなぞっていく。


「夜更けまで作業してるのね」


「まあね。こうしてると、落ち着くから」


 ティナは彼の隣まで歩み寄り、ランプを高く掲げた。灯りが薬草の束を照らし、葉脈の一本一本まで浮かび上がる。


「……ちゃんと風の通り道、考えて干してるのね。日が強すぎると香りが飛ぶって前に言ったの、覚えてた?」


「忘れないよ。役に立つことは、だいたい忘れない」


「そう。……そういうところ、昔から変わらないわね」


 ティナの声には、懐かしさと少しの安堵が混じっていた。


「変わらない、か」


「ええ。私から見たら、ずっと“ちゃたろ〜のまま”。でも、だから安心できるのよ。この村が少しずつ変わっていっても、あなたは“ここにいる”って思えるから」


 そう言って、ティナはそっとちゃたろ〜の肩に手を置いた。


 押しつけがましくもなく、頼り切るでもなく、ただ“そこにいること”を確かめるような、ごく自然な触れ方。


 風が二人の間を抜け、薬草の匂いと土の匂いを運び去る。


 言葉は続かない。


 だが並び立つ二人の距離は、外から見れば“かつてを共有した者同士”の近さだった。


 その光景を、少し離れた場所からじっと見つめている影があった。


 ギルドの裏手の陰。ランプの光が届かないところで、ルナがそっと息を殺している。


(……やっぱり、ティナさん、近いなぁ)


 ちゃたろ〜の肩に置かれた手。当たり前のように並んでいる二人の背中。何気ないやり取りのはずなのに、どうしてだか胸の奥がざわざわと落ち着かない。


(別に、変な意味じゃないはず……なんだけど……)


 ティナとちゃたろ〜の時間は、自分が知らない“最初の頃”から続いている。それを頭ではわかっているのに、視界に入るたび、どこかそわそわしてしまう。


 ルナは小さく唇を噛み、ランプの明かりから一歩退いた。


(……わたしなんて、まだギルドに入って一年ちょっとだし。あの二人と比べること自体、変だよね。わかってるのに……)


 理解と感情がうまく重ならず、胸の中で小さな波紋だけが、じわりと広がっていく。


 踵を返し、その場を離れようとした――そのとき。


 村はずれの木陰。もっと遠く、月の光と闇の境目に、もうひとつの影が潜んでいた。


 木にもたれ、腕を組んでいる男。羽飾りを揺らしながら、レンジャー特有の鋭い目で、ちゃたろ〜、ティナ、ルナの位置関係を順に眺めていく。


「……ふむ。薬草の匂いだけじゃなくて、空気の匂いもだいぶ濃いな」


 男――ウソヤクは、小さく笑った。


「ま、俺は採取役であって、色恋の案内人じゃないんだけどな」


 軽く口笛を吹くと、ウソヤクは森の闇へと身を沈めた。


 足取りには余裕と、これからの展開を前にした妙な楽しさが漂っている。


 夜風が吹き、縄に吊された薬草がさらさらと鳴った。


 その音は、まだ誰も知らない“次の変化”の前触れのようでもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ