第17話「森の鼻はどちらに?」
朝露がまだ地面に残り、森が静かに呼吸をしている時間帯だった。
ちゃたろ〜は膝をつき、指先で草の葉の裏をそっとなぞる。水滴がこぼれて光を弾き、細い茎は彼のわずかな圧でも折れずにしなる。
「……やっぱり、この辺りはリマノ草が育ちやすい。湿度と日照の兼ね合いがいいな」
低い呟き。
根元に傷をつけぬよう丁寧に土を戻し、ちゃたろ〜は軽く腰を上げた。
(……今日の森は静かだ。風も弱い。魔物の気配は薄い)
そのとき――
ぱたぱた、と軽い足音。
それは森に似つかわしくない速度で近づいてくる。
「ちゃたろ〜さん……!」
振り返ると、ショートマントを揺らした少女――ルナが、木々の合間から姿を見せた。
肩で息をつきながらも、目に浮かぶのは確かな安堵。
「無事で……ほんと、よかった……」
「どうしたんだ、ルナ?」
「ギルドから安否確認です。……一人で森の奥って、普通は戻ってこない人のパターンですから」
そう言いながらも、その声音には自分でも気づいていない優しさと心配が混ざっていた。
「慣れれば、そうでもないよ」
ちゃたろ〜が平然と答えると、ルナの頬に薄い色が差す。
「……ほんと、噂通りなんですね。“何考えてるかわからないけど頼りになる”って」
「褒められてるのかどうか微妙だな」
「わ、私は……その、ちゃんと頼りにしてますから」
慌てて言い足し、視線をそらすルナ。
その仕草をちゃたろ〜は穏やかに見つめた。
(……こうして心配してくれる相手がいるのは、悪くないな)
そんな小さな感情が胸の底で静かに波紋を広げる。
だが次の瞬間、茂みがざわりと揺れ、空気が変わった。
「おっと、噂の本人はここにいたか!」
草を押し分けて姿を現したのは、羽飾りを揺らした青年だった。
軽い足取り、陽気な笑み。背中には矢筒、腰には短剣、肩には大きな薬草袋。
――目が輝いている。
しかも、妙に警戒心がない。
「初めまして。“薬草マニアのちゃたろ〜”くんだろ?」
「どこでその呼び名を?」
「ギルドだよ。最近話題だぜ。“子どもなのに薬草を知り尽くしてる変わり者”ってな」
ルナの眉がぴくりと上がる。
「子ども扱い……っ」
青年は胸を張り、誇らしげに名乗った。
「俺の名はウソヤク。レンジャーをやってる」
「名前の時点で信用ならないわね……」
ルナがぼそっと刺すが、ウソヤク本人は気にした様子もなく、むしろ嬉しそうに笑った。
「名前は気にするな。薬草に関しては嘘も偽りもない」
「名前に偽りがあるけど」
ちゃたろ〜の静かなツッコミ。
ルナの「ほんとそれ……」という小声。
それでもウソヤクは満面の笑みだ。
「さて――ここからが本題だ」
ウソヤクは矢筒を軽く叩き、薬草袋を揺らす。
「俺は“薬草マニアの相棒”を探してる。本当に相棒にふさわしいかどうかは……試してみなきゃわからん」
「試す、って……何を?」
ルナは警戒の色を深め、ちゃたろ〜の前に半歩出る。
(……守られてる?)
ちゃたろ〜は内心少し驚いたが、顔には出さなかった。
ウソヤクの声が、森に吸い込まれる。
「シンプルだ。“誰が先に、より正確に銀煙花を見つけ出せるか”」
「銀煙花……!」
ルナが驚いたように息をのむ。
「この辺りに……?」
「らしいぜ。ギルドにも依頼が出てる。薬草マニアなら避けて通れないだろ?」
挑発的だが、敵意ではない。
遊び心と、本気の興味が混じった眼差しだった。
ちゃたろ〜はしばらく彼を見つめ、静かに言った。
「……いいだろう。ただし、俺は勝負より“生きること”を優先する」
「ははっ! その答えを待ってた!」
ウソヤクの笑い声が弾け、森の空気が少し軽くなる。
ルナは二人の間で揺れる空気を見つめながら、小さく囁いた。
「ちゃたろ〜さん……気をつけて。彼、ただの変人じゃない気がします」
「大丈夫。こういうのは、得意だから」
ちゃたろ〜の掌が木札を握りしめ、森の匂いを深く吸う。
三年前と変わらない静けさ。
けれど、その中に立つ彼は、もう同じではなかった。
こうして、ちゃたろ〜とウソヤク。
銀煙花をめぐる静かな競い合いが、森の奥で幕を開けた。




