2章 第16話「三年後の朝、変わったものと変わらぬもの」
――木が軋む細い音とともに、小屋の扉が押し開かれた。
ひんやりとした朝の光が、まだ温もりの残る薄暗がりをやわらかく切り裂いていく。
「……起きてる? 朝よ」
そっけない声。それでも、毎日変わらず聞こえる“日常”の音だった。
ちゃたろ〜は寝返りを打ち、背を向けたまま淡々と答える。
「……起きてる」
半ば凍えた空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと上体を起こす。
視界の端には、三年使い続けたライトメイスが、まるで番人のように寄り添っていた。
この三年間――
簡易治療所の手伝い。
薬草採取。
自警団の巡回。
“生活のために生きる”日々が、いつの間にか彼の血肉となり、どれも大きくないが確かな経験となって積み上がっていた。
「ほら、また寝ぐせ。薬草マニアなら髪のコンディションにも気を使いなさいよ……ま、どうでもいいけど」
ジト目で立っていた少女――受付嬢ルナは十五歳。
ティナの後任としてギルドに入ってきた新人だ。
辛辣な言葉とは裏腹に、どこか“言い慣れていない優しさ”が滲み出ている。
彼女はティナに可愛がられていたせいか、ティナとちゃたろ〜の距離感を妙に気にしていて、時折こうして棘を含んだ態度を見せるのだった。
(……朝から刺さるけど、これが彼女の普通なんだよな)
ちゃたろ〜は小さく息を吐き、身支度を整える。
村の景色は、三年前とは面影が変わっていた。
魔物の出没が増え、外部から冒険者が流れ込み、商人たちの往来は活気を帯び、人口も少しずつ増えている。
増築されたギルドは、いまや軽食の匂いも漂う“拠点”そのものだ。
昔の寄り合い小屋のような素朴さは薄れ、代わりに確かな“冒険者たちの街の中心”として脈動していた。
自警団詰所へ寄ると、ミナリスが柔らかな笑みで迎えてくれる。
「おはよう、ちゃたろ〜。ほら、今日の分」
差し出された保存食。
三年前と変わらない気配り。
ジョブレベルは十八となり、ますます隙のない立ち姿になったが、その奥にある気遣いはずっと同じだ。
「ありがとう。……最近また、毒牙ウルフが出てるって?」
「ええ。数は減ったけど、油断は禁物よ」
軽く拳で胸を小突かれる。
冗談めかしながらも、そこには確かな“心配”が宿っていた。
(……三年経っても、“完全な安全”なんてものは来ない)
ちゃたろ〜は静かに頷き、ギルドへ足を向ける。
ギルドへ入ると、掲示板には新たな依頼が貼られていた。
奥からひょこっとルナが顔を覗かせる。
そっけないのに、なぜか目だけはちゃたろ〜を追っている。
「そういえば今日、外部から冒険者が来るらしいわよ。なんでも薬草マニアで――」
「薬草マニア?」
「自称だけど、限りなくBに近いCランク。鑑定眼持ち。葉っぱの音で種類を当てるんですって……バカみたいよね」
ルナは鼻で笑い、ふいに視線を逸らす。
「……まあ、あんたも薬草マニアなんだから。話は合うんじゃない? 友達にでもなったら」
皮肉とも応援ともつかない言い方。
だが、その頬がわずかに赤く染まっていたのを、ちゃたろ〜は確かに見た。
「……会えるの、楽しみかも」
言った瞬間、ルナはぷいっと横を向いてしまった。
(……わかりやすい)
苦笑しつつ、ちゃたろ〜は外の光へ歩みを進める。
森への道すがら、屈強な影が声をかけてきた。
「おう、ちゃたろ〜!」
剣を担いだバルド。
三年前より逞しく、鋭く、そして誇り高い男に変わっていた。
いまや上位職――《デュエリスト》。
基礎レベル十五、ジョブレベル五。
村で最も信頼される剣士である。
「やあ、坊主……って言いたいところだが、今や自警団の顔だからな」
続いて姿を見せたミナリスが、柔らかく微笑む。
「今日も薬草? 本当に変わらないわね、あんた」
変わっていく村。
変わっていく人々。
──だが、ちゃたろ〜だけは変わらない“歩幅”で、確かに前へ進んでいる。
(……今日も、生き延びる)
その思いを胸に、森の奥へと足を踏み入れた。
その先に、新たな気配と新たな出会いが待っていることを、この時の彼はまだ知らなかった――。




