第14話「静寂の森、揺らぐ予兆」
任務の朝は、いつもと同じように始まった。
ちゃたろ〜は木札と簡易装備を整え、ギルドの裏口から森へ向かう。村人たちが朝の準備をしている気配を背に受けながら、静かな道を歩いた。
(……生活が回り始めている。悪くない)
数週間前まで“外の子ども”だった自分が、いまは依頼をこなし、村で名を呼ばれ、日替わりの任務まで任されている。
それは奇跡ではない。積み重ねた結果だ。
ギルドにいた見習いの少年が、今日も声をかけてきた。
「ちゃたろ〜さん、おはようございます! この前の野犬退治、ほんとすごかったって……!」
茶化す者、噂する者、遠巻きに観察する者。そのどれもが“外様”ではなく“村の一員”としての眼差しに変わりつつあった。
(……居場所って、こうしてできるのか)
ほんの少し胸が温かくなる。
今日は単独任務だった。
東側の森――初めて薬草採取をした場所。毒牙ウルフと遭遇し、生き延びた“原点”の場所でもある。
森へ入った瞬間、空気が変わった。
湿った土の匂い。ひやりとした空気。木漏れ日。耳を澄ませば、小鳥の声と、葉擦れの音。すべてが生きている気配で満たされていた。
だが、そのどれもが“前と同じ”ではない気がした。
「……森が、静かすぎる」
ちゃたろ〜は足音を抑え、慎重に歩みを進める。十歳の身体は軽い。しかしその中身には、他人とは異なる“長い時間”の感覚があった。
静寂の中で、違和感が薄く震えている。
(……前に来たときより、匂いが濃い)
スウィートリーフの群生地へ近づく。膝をつき、草をかき分けようとした――その瞬間。
――バキッ。
枝が折れる乾いた音。
自分が踏んだわけではない。
(……誰か。いや……“何か”だ)
ちゃたろ〜は息を止め、体を低く伏せた。森が、一瞬だけ呼吸を止めたかのように感じられた。
風下から漂う鉄臭さ。生き物の皮脂に混じる、甘い腐敗の匂い。
(……生きた獣ではない。この匂いは――)
そっと木陰へ目を向ける。
灰色の毛並み。湿った鼻先。きらりと光る牙。
(……毒牙ウルフ。やっぱり出たか)
前に遭遇した個体かどうかはわからない。だが、危険度は変わらない。
ちゃたろ〜はゆっくりと左手を地面に添え、視界から死角を作る。呼吸を最小限に抑える。
(逃げれば助かる。依頼は捨てることになるが、それで死ぬよりはましだ)
喉の奥に小さな苦味が広がる。視線の先には布袋がある。中には薬草。今日の依頼だ。
(けど、ここで毎回逃げるだけじゃ、この先も同じだ)
逃げること自体は間違いじゃない。生きるためなら、むしろ正しい。
だが、逃げるだけでは足りない局面が、確実に近づいている。
(……俺は生き延びたい。そのために、できることを増やす)
毒牙ウルフの耳が動いた。
湿った鼻先が、こちらを向く。
緊張が火花のように弾けた瞬間――
「ガルルルッ!!」
獣が地を蹴る。
影が跳ぶ。
迫る牙が光を飲み込み、森の色が一気に変わった。
同時に、ちゃたろ〜の身体も反応していた。
逃げるのではない。
生き残るために、最短の動きを選ぶ。
(ここだ――!)




