第11話「買い出しと、胸のざわめき」
夕焼けが村を赤く染め始めた頃、ギルドの扉がきしりと音を立てて閉じた。
今日の任務を終え、ちゃたろ〜が宿に向かおうとしたその背に、かすかな呼び声が届く。
「ちゃたろ〜さん!」
振り向けば、ティナが息を少し切らしながら駆け寄ってきた。頬がほんのり赤く、胸元に大きな紙袋を抱えている。
「……あのっ、その……少しだけ、付き合ってほしいんです」
言葉が迷子になり、目が泳ぐ。普段の仕事の時のしっかりした顔とは違う。十六歳の少女らしい戸惑いが、そこにあった。
ちゃたろ〜は静かに頷く。
「いいよ。どこへ行けばいい?」
「えっと……その、買い出しです。ギルドで使う材料の補充を頼まれてて……ひとりより、ほら……二人いたほうが、ね?」
言いながら、なぜか自分でも照れてしまうのか、言葉が小さくなる。
ちゃたろ〜は首を傾げただけだった。
村の通りは、夕暮れの色に染まっていた。
店先から漂う香辛料の匂い。果実の甘酸っぱい香り。パン屋のかすかなあたたかい匂い。生活のにおいが満ちている。
ティナは袋を抱え直しながら、横目でちらちらと彼を見る。
(……本当に、十歳なんだよね?)
人混みでも動じず、道の真ん中で喧嘩する商人たちにも眉ひとつ動かさない。歩幅は小さいはずなのに、堂々としていて、まるで彼だけ別の時間を歩いているように見えた。
「……疲れてないですか? 今日、初任務だったし」
「平気。怪我もしてない」
その声は、あたり前のように落ち着いていた。村の大人と話しているような静けさ。それがティナの胸を少しだけざわつかせる。
「そ、そう……ならよかった」
言葉に反して心拍は速い。何がこんなに胸を落ち着かなくさせるのか、ティナ自身にもまだ分からなかった。
果物屋でリンゴを買い、雑貨屋で油紙を買い、最後に小さなパン屋へ寄った。
焼きたての甘い匂いが漂い、窓の奥では職人が生地をこねている。
「……美味しそう」
つい漏れた言葉に、ちゃたろ〜が店内をじっと見つめた。
「買っていく?」
「えっ? ……でも、私、今日のお小遣いもう……」
ティナは慌てて袋の中を探るが、小銭はわずかしか残っていない。そんな様子を横目で見て、ちゃたろ〜は店主に声をかけた。
「パン、これひとつ」
淡々と差し出された銀貨。店主は「はいよ」と笑いながら紙袋を渡す。
ティナは目を丸くした。
「えっ……あ、あの、だめ! 受け取れないよ、それ!」
「大した額じゃない。今日の分の礼だよ」
「礼……?」
「いつも受付で助けてくれてるし。任務のフォローもしてくれた」
ちゃたろ〜は、それだけ言ってパンを差し出した。
ティナは受け取りながら、胸にそっと手を当てる。何かが、確かに脈を打っていた。
(……そういう言い方、ずるいよ)
二人は大きな噴水の前で足を止めた。陽が沈みかけ、空は藍色へと溶け始めている。
ティナが袋を抱え直し、ぽそりと呟く。
「……ねぇ、ちゃたろ〜さん」
「なに?」
「あなたって……本当に、十歳……?」
風が吹き、ちゃたろ〜の首元の木札が揺れた。
彼は答えない。否定も肯定もしない。ただ静かに空を眺めている。
しばらくして、ぽつりと言った。
「……俺は、多分。みんなと“同じ時間”では、生きてない」
「え……?」
「いつか、俺は変わらないまま。みんなが歳をとっていくかもしれない」
夕暮れの光が、その横顔を淡く照らす。それは、年齢では測れない静けさをまとった瞳だった。
ティナは言葉を失った。胸の奥に、名前のつけにくい痛みが広がる。
(……そんな言い方、ずるいよ)
離れていく未来を、想像してしまった。
ティナは紙袋をぎゅっと抱きしめ、無理に笑った。
「……じゃあ、今だけでも。ちゃんと、同じ場所にいてよ」
その声はかすかに震えていた。
恋と呼ぶにはまだ曖昧で、でも“ただの受付と冒険者”では片づけられない何かが、そこにはあった。
ちゃたろ〜は少しだけ目を細め、静かに答えた。
「……必要なら、そばにいるよ」
その一言が、ティナの胸にそっと灯を落とした。
ギルドへ戻る帰り道。夕暮れは夜へと変わり、街灯がぽつぽつと灯る。
二人の影は、寄り添うでも離れるでもなく、ただ並んで伸びていた。
その距離はまだ遠い。触れもしない。けれど──確かに、互いを意識し始めていた。




