【外伝】オリーブ視点妄想回《パイセンの年上》
――知ってしまった。
ララさんは、ちゃたろ〜さんより三歳年上。
その情報は、朝食のときにごく自然に落ちてきた。
宿の食堂で、パンをちぎっていたララさんが、何気なく言ったのだ。
「え、あたし? パイセンより三つ上だよ」
「…………えっ」
声が出た。
わたしの口から、勝手に。
ララさんはケロッとしている。
ちゃたろ〜さんも、いつも通り水を飲んでいる。
ルンナさんは、いつも通り無関心の顔で、いつも通り水を飲んでいる。
(嘘でしょ……?)
わたしの脳内で、紙が燃え始めた。
今まで書いてきた“人物相関の整理”が、端から崩れていく音がする。
ララさんは、ちゃたろ〜さんのことを――
「パイセン」
って呼んでいる。
パイセン。
先輩。
年上に使う呼び名では、ない。
普通は。
(いや、例外はある)
(例外はあるけど……)
わたしの脳は、例外の棚を全力で引き出し始めた。
勝手に。止められない。
【妄想1】《実力先輩制度(暫定)》
(なるほど。実力が上なら、年齢は関係ない)
ララさんは火力職。
才能はある。でもムラがある。詠唱が乱れる。叫ぶ。
ちゃたろ〜さんは盾。
安定。手順。成立。無言。勝手に世界が整う。
(つまり、彼女にとっての“先輩”は社会制度ではなく……戦場制度)
わたしはノートの端に書いた。
「敬称=年齢基準ではなく役割基準」
書いた直後、気づいた。
(でも……ララさん、平気で“おりゃああ!”って突っ込む)
(役割基準の人が、あんなに自由に生きてるわけが……)
ララさんは、年上だ。
年上なのに、年下を先輩と呼ぶ。
しかも照れがない。迷いがない。音が大きい。
(これは……かなり高度なメンタルの技術)
【妄想2】《敬称の裏にある“負けの自覚”説(崩壊)》
(もし、ララさんが“年上としての顔”を持っていたら……)
年上。
年上というのは、経験がある。責任がある。大人っぽい。
――たぶん。
でもララさんは、いつも叫ぶ。
泣きそうになる。笑う。転ぶ。立つ。叫ぶ。
そして叫びながら、結果として全員を生かす。
(年上っぽさ、どこ……)
ここで、わたしの思考が嫌な方向へ飛んだ。
(年上なのに、戦場では一番不安定)
(だから……先輩って呼んで、寄りかかって……)
胸が、きゅっと縮んだ。
ララさんの軽口が、急に“痛み隠し”に見えてしまう。
(だめだ。妄想。証拠がない。わたしは観測者)
そう思った瞬間、横から現実が刺さる。
「パイセン、パン一個いる?」
「……いらない」
「えー、食べなよ。倒れたら困るし」
(……寄りかかってない)
(むしろ世話焼いてる)
わたしの妄想、三秒で破綻した。
【妄想3】《ギルド提出用・敬称問題(最悪)》
でも、わたしの脳は止まらない。
(ギルドがこれを知ったらどうする?)
ギルドは、形を好き好む。
形が成立した瞬間に、責任を乗せてくる。
“年上が年下を先輩と呼ぶ”
――この事実は、形として扱われたら危険だ。
(「隊内序列が不自然」)
(「指揮系統に混乱の可能性」)
(「精神的依存の兆候」)
(「ちゃたろ〜への権威集中」)
嫌だ。
嫌すぎる。
わたしは脳内で、勝手に会議室を開いていた。
仮面のセフ=ユステが、紙をめくる音。
ギルド幹部が、抑揚のない声で言う。
「確認する。火力職ララは、盾役ちゃたろ〜を“パイセン”と呼称している」
「はい。年齢はララが上です」
「……関係性に異常は?」
(異常って言うな――!)
わたしは心の中で叫んでいた。
誰にも聞こえないのに。
【妄想4】《“パイセン”が禁止される未来(地獄)》
(もし、禁止されたら……)
ララさんは、ちゃたろ〜さんのことを何と呼ぶ?
「ちゃたろ〜さん」
→ 丁寧すぎて、彼女の喉が死ぬ。
「ちゃたろ〜」
→ 近すぎて、逆に照れて死ぬ。
「盾さん」
→ 何それ。職名で呼ぶのやめて。怖い。
「異端の盾」
→ だめ。ギルドが喜ぶ。最悪。
「ねえ」
→ 全部“ねえ”になる。会話が崩壊する。
(無理……)
わたしは、本気で青ざめた。
そして、気づいた。
(わたし、何を心配してるの……)
年齢?
敬称?
序列?
そんなものより、今までの戦いの中で、彼女が何度も言ってきた言葉がある。
「パイセン、いくよぉッ!!」
あの叫び。
怖いから叫ぶ、って言っていた。
でも、叫びは“仲間に伝える手順”でもあった。
(呼び名って……手順なのかもしれない)
【現実】《答え合わせ(本人に聞けないやつ)》
わたしは、結局、本人に聞けない。
「どうしてパイセンって呼ぶんですか?」
なんて、聞けるわけがない。
聞いた瞬間に、空気が“成立”してしまう。
成立したら、ララさんはきっと照れる。
照れたら、次の戦闘で叫べなくなるかもしれない。
(……だめ。叫びは大事)
そう思っている時点で、わたしも相当おかしい。
そのとき、ララさんがわたしを見て、首を傾げた。
「オリーブちゃん、さっきから顔こわいよ? なんかあった?」
「……いえ、何でも……」
言いかけて、止まった。
止まったけれど、わたしは口を滑らせた。
「……ララさんって、ちゃたろ〜さんより年上なんですね」
「うん。三つ上」
ケロッ。
本当にケロッとしている。
わたしは思い切って、次だけ言った。
「……それなのに、パイセンって……」
ララさんは一瞬だけ考えて、肩をすくめた。
「え? だって、あの人さ」
一拍。
目が、まっすぐになる。
「戦場で“先に立つ”じゃん」
……それだけだった。
年齢じゃない。
上下じゃない。
役職でもない。
ただ、“先に立つ”。
その言葉が、妙に綺麗に胸に落ちた。
ララさんはすぐにいつもの顔に戻って、笑った。
「年上とか年下とかさ、迷宮だとあんま関係なくない?
生きて帰ったやつが、先輩。ね?」
(……この人、意外と深い)
深いのに、深く言わない。
だから、強い。
わたしはノートを開いて、一行だけ書いた。
「パイセン=敬称ではなく、合図」
「合図は、恐怖を手順に変える」
書いて、顔が熱くなった。
自分がちょっと恥ずかしい。
そのとき、ちゃたろ〜さんが、いつも通りの声で言った。
「……飯、食え。今日は動く」
「はーい! パイセン!」
ララさんが叫ぶ。
いつものやつ。
それがあるだけで、空気が少し軽くなる。
……やっぱり、呼び名は手順だ。
そしてわたしは思う。
(ギルドに“年齢”は報告しなくていい)
(報告すべきは、手順だ)
(この手順が、私たちを生かしている)
わたしはパンを一口齧った。
甘い。
地獄のあとに食べるものは、いつだって少し甘い。
「……今日も、がんばろう」
小さく呟くと、ララさんがにやっと笑った。
「おっ、いいね! オリーブちゃんも今日からパイセン呼び?」
「呼びません!」
即答した。
即答したのに、ララさんは嬉しそうに笑う。
「ウケる。真面目すぎ」
真面目で何が悪い。
そう言い返したかったけど、言い返す前にちゃたろ〜さんが淡々と言った。
「……行くぞ」
「はーい、パイセン!」
……うん。
このままでいい。
わたしの妄想は全部ボツ。
でも、ひとつだけ残す。
(ララさん、年上なのに、ちゃんと“先に立つ背中”を認められる人なんだ)
それ、たぶん、すごく強い。




