【外伝】滝行のすゝめ
【一】《その者、岩にて組む》
……その日、わたしは滝を見に行くだけのつもりだった。
軽い水属性の研究。
軽い地形の観察。
軽い森林浴。
誰にでもある、「ちょっと自然と向き合いたい日」というやつだ。
本当に、軽い気持ちだった。
ノートの見出しも、こうだ。
「滝周辺:湿度/水圧/音圧/魔力滞留の有無(軽く)」
(軽く……)
(軽く……?)
だが――そこには、岩の上で正座するルンナさんがいた。
「……えっ」
素で声が出た。
なぜ上半身裸。
なぜ滝。
なぜ岩座。
その筋肉美と禍々しき気配は、すでに何かの儀式じみていた。
しかも、姿勢が崩れていない。
正座って、普通は三分で足が死にますよね?
でもこの人、膝も踵も、滝の轟音に負けていない。
「水と……話をしてる」
「(えっ)」
「前よりもっと、水の力を借りられるようになりたい。だから……」
だから、岩の上で腕組みして滝の飛沫を浴びるんですか?
理屈としては理解した。
理解したことを悔やんだのも初めてだった。
わたしはつい、確認してしまった。
「……会話って、えっと、返事……あるんですか?」
「ある」
「(あるんだ……)」
あるって言い切るのが一番怖い。
存在しないはずの“水の返事”を、当然みたいに言うから。
その横で、ちゃたろ〜さんが黙って水筒を構えていた。
補給係なの?
本当にそれでいいの??
と思ったけれど、腕の角度が完全に“最適化”されている。
(これ、支援っていうより……給水の手順……)
ちゃたろ〜さんが、こちらを見もせずに言った。
「観測するなら、風下に立つな。飛沫が記録を濡らす」
「……はい」
最初の一言が、すでに“手順”だった。
やさしいのか無慈悲なのか、判断がつかない。
【二】《己を打て、水に打たれる前に》
数分後、ルンナさんは滝に向かって歩いていった。
その背に、誰も声をかけない。
……いや、本当にやる気なんです?
「…………」
岩を一歩ずつ踏み、ルンナさんは水の真下に立った。
ごごごごご――っ!!
轟音。落水。白い霧。
その中心に、ただ一人、仁王立ちする筋肉。
目を閉じて、両手を組んで、無言で耐える姿はまるで……
いや、むしろそれは神像。
もはや信仰対象だった。
わたしの頭の中で、観測者の脳が勝手に働き出す。
(落水圧:体重の数倍)
(呼吸:整ってる)
(姿勢:崩れてない)
(寒冷刺激:常人なら一分で震えが出る)
(でも、この人……震えが“水のリズム”に同期してる……?)
「……あの、わたし、帰っていいですか?」
声に出したら、現実味が戻る気がした。
「駄目だ。始めたのは本人だ。見届けるしかない」
ちゃたろ〜さんが即答した。
なんでそんなに冷静なんです?
あなたの方が怖いです。
しかも、続きがある。
「倒れたら、引き上げる。水は冗談を聞かない」
冗談じゃなかった。
急に“救助手順”になった。
わたしはノートに書いた。
「滝行:ルンナ=実施」
「ちゃたろ〜=救助係(既定)」
「オリーブ=証人(不本意)」
……この時点で、わたしの“軽い森林浴”は完全に死んでいた。
【三】《氷魔法より冷たい現実》
「パイセーン! それ、修行!? 私もやるやるやるーっ!」
突如、水音を切り裂いてララが乱入してきた。
……あ、もう嫌な予感する。
この人、思いつきが早い。
行動はもっと早い。
「おりゃあああっ!!」
そのまま勢いで滝に突っ込んだララは、三秒後には悲鳴を上げて飛び出した。
「うぎゃあああああ!? なにこれ!? 氷っ!? 氷!? 氷魔法!?」
「それは……ただの、山の水です」
「死ぬ! 冷えで死ぬってコレ! 何なの!?」
わたしはそっと肩をすくめた。
訓練とは、耐えるもの。
そして、察するもの。
だが、ララはララで立ち上がるのが早い。
震えながらも、歯をガチガチ鳴らしながら、もう一回やろうとしている。
「……ッ、でも! なんか分かった! 水ってさ、逃げないんだよね!」
「……え?」
「火って燃えるじゃん! バーッてさ! でも水って、ずっと“そこ”なんだよ! 逃げないで落ちてくる! だから……強い!」
意味、分からない。
分からないのに、妙に核心を突いてくるのが、この人の厄介さだった。
ちゃたろ〜さんが、淡々と止めた。
「ララ。今の体温で二回目はやるな。指が動かなくなる」
「え、えぇ……パイセン、やさし……」
「手順だ」
「……手順、かぁ……」
ララは少しだけ大人しくなって、焚き火の方へよろよろ移動した。
あの人、叱られるとへこむけど、守られるとちゃんと素直になる。
ずるいくらい可愛い。
なお、ルンナさんは滝の下で一切動かず。
ララの喧騒すら届いていない。
あれはもう“水”というより“境地”。
……いや、たぶん境地というより、単純に強靭。
強靭というより、意味が分からない。
【四】《それぞれの属性、そぞろ寒》
日が暮れる頃、ルンナさんはようやく戻ってきた。
水を滴らせながら、ふと――ほんの少しだけ口元が緩む。
「……ちょっとだけ、水と話せた気がする」
「(あ、ほんとにやりきったんだこの人……)」
わたしは、焚き火のそばでぐったりしたララの指を温めながら思った。
(属性って、精神論なのかも……)
ララが鼻をすすりながら言う。
「ねえオリーブ……水ってさ……冷たいのに、なんかさ……落ち着く……」
「……あなた、さっきまで死ぬって叫んでましたよ」
「死ぬって叫ぶときほど、落ち着きたいんだよ……」
それはそれで、分かる気がしてしまった。
悔しい。
「……ちゃたろ〜さんは、滝行とかしないんですか?」
わたしが聞くと、ちゃたろ〜さんは一拍だけ置いてから言った。
「滝は、属性と関係ない」
断言。無慈悲。でもちょっと安心。
ただし、そのあとが“手順の人”だった。
「だが、滝の音は集中を削る。戦闘中の聴覚ストレスに慣れる訓練にはなる」
「……やるんですか?」
「俺はやらない」
「……ですよね」
ルンナさんは再び真顔に戻ると、タオルを巻きながらぽつりと呟いた。
「今度は、風と話してみたい」
「(次は崖……ですかね)」
わたしは遠い目をした。
でも――その瞬間。
ルンナさんの剣の鞘が、焚き火の熱に反応したのか、かすかに結露した。
そして水滴が、すっと一本、刀身の方へ寄った気がした。
……気のせい?
いや、気のせいにしては、綺麗すぎた。
わたしは思わずノートに書いた。
「水付与:微増の兆し」
「本人の自覚:あり(“話せた”)」
「滝行の効果:因果は不明」
「ただし、本人の意思は明確に強化されている」
――誰も言わなかったけれど、その日以降、ルンナさんの武器に宿る“水の加護”は、わずかに強くなっていたという。
でも、きっとそれは滝行のおかげじゃない。
信じたからこそ、力が応えたのだ。
水属性も、属性以前に“意思”なのだと。
そして、あの滝の名は――
後に「ルンナ滝」と呼ばれるようになる。
……嘘である。勝手に今、名づけただけだ。
でも、たぶん。
このメンバーなら、そのうち本当にそう呼び始める。
それが一番怖い。




