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■ 第8話:刻まれる「世界再構築」のカウントダウン

 窓一つない地下の第4会議室は、紫煙と、世界そのものが誰かの手によって「概念消去」されるかもしれないというコズミック・ホラーの重圧に押し潰され、完全な静寂に支配されていた。

 無機質な空調のモーター音が、ジジッ……ジジッ……と、まるで時限爆弾のタイマーのように、冷酷なリズムを刻み続けている。

 宇宙のソースコードから【Delete(削除)】のコマンドを解読し、敵国を歴史ごと消し去る概念兵器。超大国同士が繰り広げる、神の権力を巡る血みどろのチキンレース。

 七海悠太は、パイプ椅子からずり落ちたまま床に這いつくばり、自分の両手を必死に見つめていた。自分が今、確かに存在しているという物理的な証拠を、狂ったように確認し続けている。

「……皆さんの絶望的な妄想を遮るようで恐縮ですが、決定的な【矛盾】を提示させてもらいます」

 氷室司が、冷めきったブラックコーヒーの紙コップを長机に置き、銀縁眼鏡のブリッジを中指で静かに押し上げた。

 彼は手元のタブレットを操作し、巨大モニターに新たなデータ群を投射する。

 そこには、地球に到達している「深宇宙レーザー光通信」の信号強度と、周波数の波形を示す精密なスペクトル解析図が映し出されていた。

「もし、その光通信が御子柴さんの言う通り『世界を書き換えるためのプログラム言語』であるならば、データの送信は一定のパケット量で、安定して行われるはずです。しかし、データを見てください」

 氷室の細い指がタブレットのキーボードを叩き、波形の一部を赤く拡大表示する。

「この数年間、地球に降り注ぐ光の信号強度は、常に一定ではありません。およそ72時間周期で明滅を繰り返し、しかもその【振幅(エネルギー量)】が、毎月0.001パーセントずつ、規則的に増大し続けているんです」

 氷室は、勝ち誇ったように会議室の全員を冷徹に見回した。

「これは、デジタルなデータ通信の波形ではない。超新星爆発の末路である『パルサー(中性子星)』や、ブラックホールが物質を飲み込む際に放つ『クエーサー』の断末魔……つまり、極めて自然な【天体物理学的現象】に過ぎません。徐々に強さを増す明滅など、プログラムではなく、星の自然な脈動の証拠です。誰も世界を書き換えようなどとしていませんよ」

 データと天文学の絶対的な法則。

 星の明滅は、システムのコードではなく、ただの宇宙の自然現象であるという、氷室の強靭な論理の盾。

 しかし、その言葉を聞いた轟大吾の巨体が、ビクンと大きく震えた。

 轟は、分厚い両手で自分の顔を覆い、深く、重い溜息を吐き出した。

 タクティカルジャケットの背中が、呼吸のたびにギュッと軋む音を立てる。

「……氷室。お前は『民間の通信インフラ』しか見ていない。軍事サイバー戦における、最悪のハッキング・プロトコルを知らないから、そんな暢気なことが言えるんだ」

「軍事サイバー戦……? この波形がですか?」

 氷室が怪訝な表情を浮かべる。

「ああ。敵の強固なシステムを完全に乗っ取り、OSそのものを強制的に書き換える時、ハッカー部隊はいきなり大容量のプログラムを送りつけたりはしない」

 轟は、自らの暗号化端末を操作し、サイバー軍の極秘マニュアルの一部を巨大モニターに割り込ませた。

 そこには、氷室が提示した「星の明滅」と全く同じ、徐々に振幅を増していくデジタル波形の図が映し出されていた。

「これを見てみろ。これは【強制同期シンクロ・ピン】と呼ばれる攻撃手法だ。ターゲットのシステムに対して、最初は微弱なパルス(信号)を定期的に送り、徐々にその電圧と頻度を上げていく。……これは、ターゲット側のクロック周波数を、攻撃者側のペースに強制的に【同調】させるための準備段階なんだよ」

「……っ!! 波長を、同調させる……!」

 氷室の顔面から、スッと血の気が引いていく。

「そうだ。氷室、お前が『星の脈動』だと信じているその明滅は……宇宙の創造主が、地球というターゲット・サーバーの環境を、アップデートに耐えうる状態へと強制的に【最適化】するための、恐るべきセットアップ作業なんだよ!!」

 轟が、長机を両手でバンッ!と叩きつけた。

「振幅が毎月増大しているだと!? 当たり前だ!! それは自然現象なんかじゃない! 創造主が、地球というシステムに『本命の実行プログラム(ペイロード)』を叩き込むための、【秒読み(カウントダウン)】が進行している証拠なんだよ!!」

「カウント、ダウン……!!」

 七海が、床に這いつくばったまま、悲鳴のような声を上げる。

「ええ、神話の時代から、終わりは常に『音』と『光』によって告げられてきたわ」

 密室の空気を撫でるように、烏丸玲奈の艶やかな声が響いた。

 彼女はゆっくりと立ち上がり、長い黒髪を指先で弄りながら、モニターに映る波形をうっとりと見つめた。

「氷室さん。ヨハネの黙示録に記された、世界の終末のプロセスを知っているかしら? ……神の前に立つ七人の天使が、順番に【ラッパ(トランペット)】を吹き鳴らすの」

 烏丸は、透き通るような白い指先で、徐々に大きくなる波形のグラフをそっとなぞった。

「第一のラッパで血の混じった雹が降り、第二のラッパで海が死に、第三のラッパで星が落ちる。……そして、最後の第七のラッパが鳴り響いた時、神の国が到来し、古い世界は完全に滅び去るわ」

 烏丸は妖しく微笑み、その漆黒の瞳で氷室を射抜いた。

「古代の預言者たちは、宇宙から届く『徐々に信号強度を増していく強制同期のパルス』を、スピリチュアルな感性で受信し、それを天使が吹き鳴らす【終末のラッパの音】として解釈したのよ。……今、私たちに降り注いでいるこの光の明滅は、間違いなく世界の終わりを告げる、最後のラッパの響きなのよ」

「ククク……ハハハハハ!!!」

 突如、密室に地鳴りのような笑い声が響き渡った。

 御子柴健だ。

 彼はスーツの内ポケットからジッポライターを取り出し、カチン、と火をつける。

 深く吸い込んだ紫煙を天井に吐き出しながら、彼はギラギラと血走った目で立ち上がった。

「見事だ、轟! 烏丸! これで超大国どもが、あれほど狂ったように暗殺と情報統制を急いでいる【真の理由】が完全に暴かれたぜ!!」

 御子柴はホワイトボードの前に飛び出し、黒のマーカーで『光のパルス(ラッパ)』と書き、そこから巨大な矢印を引いて、『【強制フォーマット(初期化)】』と赤のマーカーで激しく書き殴った。

 ダンッ!!と叩きつける乾いた音が、地下室の空気を震わせる。

「氷室! お前はさっき、大国が概念兵器を作ろうとしていると言ったな! 違う!! 奴らはもう、ハッキングなんて悠長なことをしている余裕はねえんだよ!!」

「余裕が、ない……!?」

 氷室がタブレットを握りしめ、身を乗り出す。

「そうだ!! 奴らは、宇宙から届く光の波形を解析して、絶望的な事実に気づいちまったんだ!!」

 御子柴が、黒のマーカーでホワイトボードをドスンドスンと激しく叩く。

「この光通信は、兵器の設計図でも、一部の物質を書き換えるパッチでもねえ!! 創造主が、愚かな人類によってバグだらけになったこの地球というサーバーを、根こそぎクリーンアップするための【OSの再インストール】……すなわち、世界全体の『工場出荷状態への初期化ファクトリー・リセット』なんだよ!!!」

「……っ!! 世界の、初期化……!」

 轟が、顔面を蒼白にしながら呻いた。

「そうだ!! 創造主は、人類に管理者権限を渡す気なんて最初からねえ!! 強度を増し続ける光の明滅は、地球の物理法則を強制終了させるためのカウントダウンだ!!」

 御子柴の血走った眼光が、密室の全員を射抜く。

「あの光の振幅が【100パーセント】に達し、第七のラッパが鳴り終わった瞬間!! 本命の【実行コマンド】が地球を包み込み、俺たちの肉体も、ビルも、山も、海も!! すべての素粒子がいったんバラバラの『光のデータ』へと還元され、真っ白な虚無へと消去デリートされちまうんだよ!!!」

「ああっ……! ああああああっ……!!」

 七海悠太が、両手で自分の頭を強く抱え込み、床の上でのたうち回った。

「俺たち……! ミサイルで殺されるわけでも、誰かに支配されるわけでもなく……ただパソコンの【フォーマット】みたいに、ある日突然、世界ごと綺麗サッパリ消されちまうって言うのかよ……!?」

 七海の脳裏に、夜空から降り注ぐ不可視のレーザーが、世界を青一色の「ブルースクリーン」に染め上げる悍ましいヴィジョンがフラッシュバックする。

 自分たちの人生も、記憶も、悩みも。すべては「バグ」として処理され、何の感情も伴わずに機械的に消去されていく。

「俺たちの空は……! 星が綺麗なんじゃなくて、世界を吹き飛ばすための【超巨大な時限爆弾】のタイマーが、ピカピカ光って点滅してるだけだったって言うのかよおおおっ!!」

 迫り来るシステムのリセット。

 人類には抗う術のない、宇宙規模の強制終了。

「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」

 七海悠太の魂を引き裂くような絶叫が、窓のない地下室の壁に叩きつけられた。

 無機質な空調のモーター音が、まるで世界の終焉に向けて、最後のカウントダウンを無慈悲に進め続ける巨大なサーバーの駆動音のように、低く、重苦しく鳴り響いていた。

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