■ 第6話:人類の遺伝子に仕込まれた「受信アンテナ」
窓一つない地下の第4会議室は、特権階級と超大国による「物理的な暗殺網」という血生臭い真実によって、吐き気を催すほどの重苦しい空気に沈んでいた。
無機質な空調のモーター音が、ジジッ……ジジッ……と、まるで時限爆弾のタイマーのように焦燥感を煽り続けている。
宇宙から降り注ぐ光通信の正体に気づいた天文学者たちが、次々と口を塞がれ、社会から消去されているという事実。
七海悠太は、パイプ椅子の上で膝を抱え、ガタガタと小刻みに震えながら虚空を睨みつけていた。もう、夜空を見上げることすら、死に直結するタブーなのだ。
「……待ってください。御子柴さん、轟さん」
氷室司が、長机の上に置かれた冷めきったブラックコーヒーを一口啜り、銀縁眼鏡の奥で冷徹な光を放った。
彼は懐から取り出したマイクロファイバーの布で、タブレットの画面についた指紋を執拗に拭き取りながら、静かに口を開く。
「あなた方の言う『大国が光を独占している』という仮説は、情報統制の観点からは理解できます。ですが、根本的な【生物学的な矛盾】を完全に無視している」
氷室の指先がタブレットを滑り、巨大モニターに人間の眼球の構造と、DNAの二重螺旋モデルの画像が投射された。
「仮に、宇宙からのレーザー光が『世界を書き換えるソースコード』だったとしましょう。パソコンやサーバーなら、光ケーブルを通じてデータを受信し、システムを書き換えることができます。しかし、私たち【人間】はどうですか?」
氷室はレーザーポインターを取り出し、モニターの眼球の網膜部分を赤く照らし出した。
「人間が光を感知する器官は『眼』だけです。網膜に当たった光の粒子は、ただの電気信号に変換されて視神経を通り、脳の視覚野で『映像』として処理されるに過ぎない。……人間の身体には、光信号をデータとして読み込み、細胞やDNAに直接書き込むような【光学ドライブ(受信機)】など備わっていません!」
氷室は、勝ち誇ったように眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ただの光の明滅を見ただけで、人間の肉体がプログラムのように書き換えられるなど、生命科学の基本法則に反しています。人間は機械じゃない。宇宙からどんなデータが降ってこようと、私たちの肉体には、それを受信する『アンテナ』が存在しないんですよ」
唯物論と生物学の絶対的な壁。
人間はデジタルデバイスではない。光のデータを見たところで、それが遺伝子に干渉することなど物理的にあり得ない。
しかし。
その論理の壁をすり抜けるように、烏丸玲奈の艶やかな、そしてひんやりとした笑い声が密室に響いた。
「ふふっ……。氷室さん、あなたは本当に『目に見える臓器』の機能しか信じないのね」
「何ですって?」
氷室が、不快そうに眉をひそめる。
烏丸は黒いヒールを鳴らしてゆっくりと立ち上がった。
彼女は透き通るような白い指先で、自分の額の真ん中――眉間の少し上のあたりを、トントンと軽く叩いた。
「氷室さん。人間の脳の奥深く、ちょうど両目の奥の交差点にある【松果体】という小さな器官を知っているかしら?」
「松果体……睡眠ホルモンであるメラトニンを分泌する内分泌器ですね。それが何か?」
氷室が怪訝な顔で答える。
「ええ。でも、古代の神秘主義者や哲学者デカルトは、この松果体を『魂のありか』、あるいは【第三の眼】と呼んで特別視していたわ」
烏丸は妖しく微笑み、モニターの眼球の画像を指差した。
「実はね、生物学的に見ても、松果体には網膜と同じ『光を受容する細胞』の痕跡が残っているのよ。爬虫類の一部には、今でも頭頂部に光を感じる【頭頂眼】を持つものがいるわ。……なぜ、脳の奥深くにあるはずの器官が、光を感じる構造を持っているのかしら?」
「それは……進化の過程の名残、いわゆる痕跡器官に過ぎません」
氷室が早口で反論する。
「本当にそうかしら?」
烏丸の静かな問いかけが、密室の空気を凍りつかせた。
「古代の神々……つまり創造主は、人間を泥から創り出す時、いつか来る『世界の上書き保存』に備えて、人間の脳内に極秘の【生体光学レシーバー】を仕込んでいたとしたら? ……普段はただのホルモン器官を装いながら、宇宙から『特定の波長のレーザー光』を受けた瞬間にだけ起動する、隠されたアンテナをね」
「……っ!! 人間の脳内に、創造主が仕込んだ受信機……!」
七海が、自分の額を押さえながら怯えた声を漏らす。
「軍事的な観点から見ても、烏丸の言う通りだ」
轟大吾が、分厚い両腕を組みながら、地を這うような低い声で唸った。
彼の巨体を包む黒のタクティカルジャケットが、呼吸のたびにギュッと軋む音を立てる。
「氷室。お前は『光がDNAを書き換えるなどあり得ない』と言ったな。……だが、軍事医療の世界では、それはすでに【実用化されたテクノロジー】なんだよ」
「実用化、だと……!?」
氷室の持つタブレットが、カタカタと震え始めた。
「ああ。ここ数年、DARPA(国防高等研究計画局)が莫大な予算を注ぎ込んでいる【オプトジェネティクス(光遺伝学)】という分野を知っているか?」
轟は自らの端末を操作し、巨大モニターに極秘の実験映像を投射した。
そこには、頭蓋骨に極細の光ファイバーを埋め込まれた実験用のネズミが映っている。青い光が照射された瞬間、ネズミは突然狂ったように走り出し、光が消えるとピタリと止まった。
「光に反応する特殊なタンパク質を遺伝子に組み込み、外部からの『光の照射』だけで、脳神経の発火や細胞の振る舞いを完全にコントロールする技術だ。……氷室、軍はすでに【光を使って、生物の肉体と精神を直接ハッキングする手法】を確立しているんだよ!」
「光で……生物を操る……!」
氷室の顔面から、完全に血の気が引いていく。
「ククク……ハハハハハ!!!」
突如、密室に地鳴りのような笑い声が響き渡った。
御子柴健だ。
彼はスーツの内ポケットからジッポライターを取り出し、カチン、と火をつける。
深く吸い込んだ紫煙を天井に吐き出しながら、彼はギラギラと血走った目で立ち上がった。
「見事だ、烏丸! 轟! 創造主が人類に仕掛けた【最悪のバックドア】の正体が完全に暴かれたぜ!!」
御子柴はホワイトボードの前に飛び出し、黒のマーカーで『人間の眼』と『松果体』を描き、そこからDNAの螺旋へと矢印を引いた。
そして、その全体を『端末』という文字で大きく囲み込んだ。
「氷室! お前は人間には光学ドライブがないと言ったな! 違う!! 俺たち人間そのものが、宇宙のソースコードを受信し、自動的に自己を書き換えるように設計された【自律型の生体端末】だったんだよ!!」
「人間そのものが……端末……!」
氷室が弾かれたように身を乗り出す。
「そうだ!! 七海! お前に聞く!!」
御子柴の血走った眼光が、パーカー姿の青年を射抜く。
「は、はいっ!?」
「人間はなぜ! 満天の星空や、夜空に煌めく光を見て『美しい』『ずっと見ていたい』と感動するような【美意識】を持っていると思う!?」
「え……? それは……綺麗だから、ロマンチックだから……」
七海が戸惑いながら答える。
「ロマンチックだと!? 笑わせるな!!」
御子柴が、黒のマーカーでホワイトボードをドスンドスンと激しく叩きつける。
ダンッ!!と叩きつける乾いた音が、地下室の空気を激しく震わせる。
「美しいから見るんじゃない!! 『見つめさせるために、美しいと感じるように脳をプログラミングされている』んだよ!!」
「……っ!!」
轟の巨体が、戦慄に大きく震えた。
「気付いたようだな、轟!! 昆虫が光の罠に引き寄せられるのと同じだ! 創造主は、アップデートパッチである『光通信』を地球に照射した時、人間が自発的に空を見上げ、その光を網膜の奥深く――松果体にまでしっかりと【ダウンロード】するように、俺たちの遺伝子に『星空を美しいと感じるトラップ』を仕込んでいたんだよ!!!」
「星空への感動が……ダウンロードを促すための、罠……!」
烏丸が、自らの両腕を抱きしめるようにして、恍惚と囁く。
「そうだ!!」
御子柴が悪魔のような笑みを浮かべて咆哮する。
「俺たちが夜空を見上げて『綺麗だな』と魅入られているその瞬間! 目から入り込んだ宇宙の光は、松果体のアンテナを直撃し、人間のDNAの塩基配列をダイレクトに書き換えているんだ!! 大国どもはそれに気づいた! だから一般市民が夜空を見上げて、勝手に【次の世界の人類】へとアップデートされるのを防ぐために、観測所を潰して空から目を逸らさせようとしているんだよ!!!」
「ああっ……! ああああああっ……!!」
七海悠太が、両手で自分の目を強く覆い隠し、床の上でのたうち回った。
「俺……! 疲れた夜とか、ベランダに出て、何時間もボーッと星空を眺めて癒やされてたことがあった……!!」
七海の脳裏に、夜空の瞬きが、自分というパソコンの画面に表示された「ダウンロード中…」というプログレスバーの明滅だったという悍ましいヴィジョンがフラッシュバックする。
自分が美しいと感じていたその感情すら、神という名のプログラマーが仕掛けた「画面から目を離させないためのウイルス」だったのだ。
「俺は……俺の脳みそは! 星を見るたびに、どこの誰とも分からない宇宙のバケモノが書いた『得体の知れないプログラム』を、無防備にインストールさせられてたって言うのかよおおおっ!!」
美しさという名の、絶対的なハッキング。
人間の肉体そのものが、世界を書き換えるための生きた受信機として設計されていたという絶望。
「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」
七海悠太の魂を引き裂くような絶叫が、窓のない地下室の壁に叩きつけられた。
無機質な空調のモーター音が、まるで人類の松果体に不気味な光のプログラムを書き込み続ける、見えないサーバーの駆動音のように、低く、重苦しく鳴り響いていた。




