■ 第2話:超大国の電磁シールドと、歪められた夜空
地下の第4会議室を包む空気は、冷気と紫煙が乱雑に混ざり合い、異様な緊迫感を孕んでいた。
無機質な空調のモーター音が、低い低周波を響かせながら、閉ざされた空間を震わせ続けている。
宇宙から届く光通信が、この世界の物理法則を塗り替える【天地創造のソースコード】であるという御子柴の狂気的な仮説。
しかし、氷室司は震える手で紙コップを掴み、中身の冷めきったコーヒーを飲み干すと、すぐに論理的な防壁を再構築した。
「……御子柴さん、あなたのオカルト的妄想には付き合いきれません。あまりにも基礎科学を無視している」
氷室はタブレットのキーボードを激しい音を立てて叩き、巨大モニターの画面を切り替えた。
そこには、地球の周囲を覆う幾重もの大気圏と、磁気圏の三次元モデリングが表示される。
「百歩譲って宇宙からその『ソースコード』なる光線が照射されているとしましょう。ですが、地球には厚い大気層があり、電離層があり、絶えず変動する雲があります。レーザー光のような直進性の高い光学通信は、大気の揺らぎや水蒸気によって容易に【散乱・減衰】してしまう。世界を書き換えるほどの大容量データを、地上から正確に捕捉することなど、物理的に不可能です」
氷室は、勝ち誇ったように銀縁眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「大気という絶対的な障壁がある以上、地上での同時傍受など成立しません。超大国が巨大なアンテナを建てているのは、単に大気圏外の軌道上にある自国の軍事衛星と、高効率な通信を行うためです。自然の摂理が、あなたの陰謀論を否定しているんですよ」
「……いや、それはどうかな、氷室」
轟大吾が、低く押し殺した声でその指摘を遮った。
彼は腕組みを解き、タクティカルジャケットのポケットから一枚の熱線グラフィックデータが転送された私物端末を取り出した。
「お前の言う『自然の摂理』とやらは、すでに軍事力によって【捻じ曲げられている】としたらどうする?」
「大気を、捻じ曲げる……?」
氷室の眉が、不快そうに跳ね上がる。
「数年前から、アラスカの高周波活性オーロラ調査プログラム、いわゆる『HAARP』の周辺宙域や、アジア・欧州の軍事重要拠点の上空で、奇妙な現象が観測されている」
轟は端末を長机に滑らせ、モニターに赤外線レーダーの解析図を拡大投影した。
「特定の超大国の上空だけ、大気の密度が完全に一定に保たれ、雲や水蒸気が不自然に排除された【真空に近い光の光路】が形成されているんだ。これは、高出力のマイクロ波と超電導磁場シールドを組み合わせて、大気そのものを物理的にコントロールしている証拠だ」
轟は長机を拳でドスン!と叩き、身を乗り出した。
「大気が揺らぐなら、その揺らぎを軍事技術で強引に静静止させればいい。奴らは、深宇宙から届くその『特定の光』を一粒たりとも逃さないために、地球の空に巨大な【レンズ】を嵌め込んでいるんだよ!!」
「地球の、空に、レンズ……」
七海悠太が、呼吸を忘れたように口を半開きにしたまま、長机の上に身を乗り出した。
「ええっ!? じゃあ、僕たちが毎日見上げている天気や雲も、本当の自然じゃなくて、国がその光をハッキリ見るために【改造した偽物の空】かもしれないってことですか……!?」
「その通りよ、七海くん。現世の空は、すでに書き換えられているの」
烏丸玲奈のひんやりとした声が、震える七海の背中を這うように響いた。
彼女はゆっくりと歩を進め、長い黒髪を揺らしながらホワイトボードの前に立つ。その指先が、空調の風に触れて微かに揺れた。
「世界中の神話にはね、天を覆う【巨大な結界】の記述が必ず残されているわ。北欧神話のスカイ・ドーム、東洋の天網……。古代の人々は、天そのものが『何かを遮断し、同時に何かを受け入れるための装置』であることを知っていた。大国が今やっていることは、神話のテクノロジーの再現に過ぎないのよ」
烏丸は妖しく微笑み、その美しい瞳で氷室を見つめた。
「彼らが大気を制御してまで作り出した『光のトンネル』。それは、宇宙の創造主が放つ神聖なレーザーを、人間の傲慢な手で効率よく搾取するための【生体解剖のメス】のようなものよ」
「ククク……ハハハハハ!!!」
突如、会議室の壁を震わせる御子柴の狂笑が炸裂した。
彼は咥えていた煙草の灰を携帯灰皿に乱暴に落とすと、ホワイトボードに描かれた地球の絵の周りに、激しい筆致で幾重もの格子状の線を書き殴った。
「素晴らしいぜ、轟! 烏丸! これで超大国どもが隠蔽している【第二の欺瞞】の正体が完全に繋がった!!」
御子柴は黒のマーカーをホワイトボードに突き立て、歪んだ笑みを浮かべた。
ダンッ!!という鋭い衝撃音が、密室の全員の鼓膜を打つ。
「氷室! お前は通信の減衰を心配していたな! 違う!! 奴らは減衰を恐れているんじゃない! 他国よりも一秒でも早く、一ビットでも多く【天地創造のコード】を自国のシステムにダウンロードしようと、地球の空を切り刻んで奪い合っているんだよ!!」
御子柴の血走った眼光が、驚愕する氷室を捉える。
「なぜアメリカ、中国、ロシアが、あれほど仲が悪いくせに、大気制御の軍事技術だけを裏で共有し、同時に空を捻じ曲げている!? 答えは一つだ! あの深宇宙からの光通信は、地球全体が一丸となって『巨大な受信球体』にならなければ、パケットが断片化して【解読エラー】を起こしちまうからなんだよ!!」
「解読、エラー……!?」
氷室の持つタブレットの画面が、彼の指の震えに合わせて細かくブレた。
「そうだ!! 奴らは世界規模の【電磁シールド網】を張り巡らせ、夜空そのものを巨大な『光のハードディスク』に変えちまったんだ!」
御子柴はホワイトボードの地球をマーカーで激しくバツ印で塗りつぶしながら咆哮した。
「俺たちが『異常気象だ』『温暖化だ』と騒いでいる天変地異の正体は、すべて大国が宇宙のコードを受信するために空を歪めた【副作用】なんだよ!! 奴らは、全人類の気候や環境を人質に取ってでも、宇宙の設計図を手に入れ、世界の『次の神』になろうとしているんだ!!!」
「ああっ……! ああああああっ……!!」
七海悠太が両手で頭を抱え、パイプ椅子から崩れ落ちるように床に膝を突いた。
「僕たちが『今日は晴れてよかったな』とか言ってたあの空すら、ただの【受信装置】だったなんて……! 天気予報も、雲の動きも、全部奴らが宇宙のプログラムを盗むために弄くり回した結果だったのかよ……!!」
見慣れた夜空の瞬きは、大国によって歪められた光の檻。
世界を創り直すコードを貪るために、地球の空そのものが巨大な兵器へと改造されていた。
「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」
七海悠太の魂を引き裂く悲鳴が、コンクリートの壁に虚しく反響する。
無機質な空調のモーター音は、まるで捻じ曲げられた大気の悲鳴を代弁するかのように、一段と冷酷に、そして重苦しく地下室に響き渡っていた。




