第15話 建てます
職人の名前はゴードンといった。
五十代くらいの、がっしりした男だった。
手が大きく、指が太く、どう見ても長年建築をやってきた体をしていた。
アイルに連れられて来た時、珠里を見て少し目を細めた。
「……依頼主は、あなたですか」
「そうです」
「若いですね」
「よく言われます」
「何を建てたいんですか」
「ライブハウスです」
ゴードンが繰り返した。
「……ライブハウス」
「はい」
「どんな建物ですか」
「音楽を聞くための専用の建物です」
「音楽なら広場で——」
「屋根が必要です」
「屋根なら普通の建物に——」
「音が響く設計にしたい」
「音が響く、というのは」
「壁の角度と素材で音の広がり方が変わるので」
ゴードンが少し黙った。
「……それは建築の話ですか」
「建築の話です」
「どこでそれを」
「前にいた場所で学んだことです」
ゴードンがアイルを見た。
アイルが「ご依頼内容はそのままお聞きください」と言った。
珠里は紙を取り出した。
図を描き始めた。
ライブハウスの内部構造だった。
ステージの位置、客席の配置、音響のための壁の角度。
出入口の場所、荷物の搬入経路。
ゴードンが覗き込んだ。
「……これは」
「ライブハウスの設計図です。大まかなものですが」
「これは劇場では?」
「劇場より小さくて、もっと近いです」
「近い?」
「客とステージの距離が近い。それが大事なんです」
「なぜですか」
「近い方が届くから」
「……音がですか」
「音も。でもそれだけじゃなくて」珠里が言った。「演者と客席の空気が一つになるには、距離が近い方がいい」
ゴードンが図を見た。
「……変わった建物ですね」
「見たことないと思います。この世界にはまだないので」
「この世界に?」
「気にしないでください」
ゴードンがまた図を見た。
「……作れます」
「本当ですか」
「見たことない建物ですが、設計として理解できます。ただ」
「ただ?」
「音響のための壁の角度というのは、やってみないと分からない部分があります。試行錯誤が必要です」
「それで構いません」珠里が言った。「一緒に考えながら作りましょう」
ゴードンが珠里を見た。
「……依頼主がそう言ってくれると助かります」
「細かい部分は任せます。でも譲れないことが三つあります」
「聞きましょう」
「ステージと客席の距離。音響。収容人数は二百人以上」
「二百人」
「最低ラインです」
「……広い建物になりますね」
「それが問題ですか」
「費用がかかります」
「資金は用意します」
ゴードンが頷いた。
「……見積もりを出します。三日後に」
「ありがとうございます」
三日後、見積もりが届いた。
珠里はその数字を見た。
目が少し細くなった。
……高い。
チェキビジネスだけじゃ全然足りない。
エレノアさんの支援が必要だ。
珠里、アイル、ゴードンの三人で向かった。
* * *
応接室に通されると、エレノアが見積もりを眺めた。
「……これが必要な費用ですか」
「はい」珠里が言った。「支援していただけますか」
「構いません」エレノアが言った。「ただし、一つ条件があります」
「聞きます」
「設計に口を出させてください」
珠里が黙った。
「音楽の場所を作るなら、それに相応しい佇まいがあるべきです」エレノアが言った。「壁の装飾、入口の設計——」
「装飾は要りません」
「でも品のある空間には——」
「品じゃなくて音が大事です」
「音楽を楽しむ空間には、見た目も——」
「見た目より音響です」
エレノアが珠里を見た。
珠里がまっすぐ返した。
ゴードンが二人の間で固まっていた。
「……少し、説明してもらえますか」エレノアが言った。
「なぜ装飾が要らないのか」
「ライブハウスは音楽を聞く場所です」珠里が言った。「壁の装飾に気を取られたら音楽に集中できない。内装はシンプルな方がいい」
「でも貴族の方々も来られる場所でしょう」
「貴族も庶民も、中に入ったら同じです」
「同じ?」
「同じ音楽を聞く人間として、同じ空間に立つ。それがライブハウスです」
エレノアが少し黙った。
「……面白い考え方ですね」
「そうですか」
「貴族も庶民も同じ、とは」エレノアが言った。「私の周りにそういうことを言う人間はいませんでした」
「ライブハウスがそういう場所なので」
「……では装飾は諦めます」エレノアが言った。「ただし入口だけは譲らせてください」
「入口?」
「来た人間が、ここで何かが始まると感じるような入口にしたい。それだけです」
珠里は少し考えた。
「……それは構いません」
「ありがとうございます」
ゴードンが小さく息を吐いた。
「……話がまとまりましたか」
「まとまりました」珠里が言った。
「……では設計を進めます」
その夜、全員に建設開始を報告した。
場所は《黄昏亭》だった。
マスターに話して、閉店後に場所を借りた。
久しぶりに全員が同じ場所にいた。
「建設が始まります」珠里が言った。「三ヶ月後に完成する予定です」
「三ヶ月!!」ノノが言った。「長いですか!!」
「普通の工期だよ」
「待てます!!絶対待てます!!でも長いですね!!」
「長いね」
「完成したらどうなるんですか!!」
「音楽を聞ける場所ができる」
「ルシアスさんが歌う場所!!」
「そう」
「毎日来ます!!」
「毎日は多い」
「毎日来ます!!!!」
「……来ていいよ」
アルトが前に出た。
「愁さん」
「なに」
「そこで演奏できますか」
「できる」珠里が言った。「アルトとソプラも」
「やった!!」アルトが言った。「ソプラ!!」
ソプラが無言で頷いた。
「三ヶ月で仕上げます!!絶対!!」アルトが珠里に言った。
「仕上がりますか」
「仕上げます!!今のソプラとの感じなら絶対いける!!」
「ソプラは?」珠里が聞いた。
「……やります」ソプラが言った。
「声が小さい」
「……やります」
「もう少し」
「……やります」
「信じていいですか」
「……やります」
珠里はソプラを三秒見た。
「信じる」
ソプラが少し目を細めた。
それだけだったが、珠里には十分だった。
クロムが腕を組んで立っていた。
「……建設中の警備が必要だ」
誰も頼んでいなかった。
「クロムさん」珠里が言った。
「なんだ」
「ありがとうございます」
「………………業務だ」
「業務?」
「………………建設中の現場は治安が悪くなりやすい」
「そうですか」
「………………そういうものだ」
アイルが珠里に小声で言った。
「……クロムさんも業務って言いますね」
「うん」
「……仲間ですね」
「うん」
マスターがカウンターで杯を磨きながら、全員を眺めていた。
珠里が気づいて声をかけた。
「マスター」
「なんだ」
「最初に約束したこと、覚えてますか」
「何の話だ」
「上手くいったらまたここで歌わせるって」
マスターが手を止めた。
「……覚えてる」
「ライブハウスができたら、ルシアスをここでも歌わせます。客を連れてきます」
「……今でも十分客は来てるが」
「もっと来ます」
マスターが鼻で笑った。
「……好きにしろ」
珠里は笑った。
それが、この人なりの「ありがとう」だと分かっていた。
解散した後、珠里とアイルが残って仕上げの話をしていた。
建設スケジュール、資材の調達、エレノアへの報告。
やることを一つずつ整理していた。
そこへ、扉が開いた。
ギルドの使者だった。
アイルが立ち上がって受け取った。
文書を読んだ。
表情が変わった。
「愁さん」
「なに」
「依頼が来ました」
「戦場の?」
「……はい」アイルが少し間を置いた。「ただ、今までとは規模が違います」
珠里がアイルを見た。
「どのくらい」
「複数の街に被害が出始めています」アイルが言った。「ギルド連合で大規模な討伐隊を組む話が進んでいます。そこに吟遊詩人の帯同を、正式に要請したいと」
「ギルド連合」珠里が繰り返した。
「はい。今まで対応してきた討伐とは、比べ物にならない規模です」アイルが言った。「今まで戦ってきた魔物とは、別格だそうです」
「クロムさんも参加する?」
「……クロムさんが、取りまとめ役として参加するそうです」
珠里が黙った。
テーブルの上の設計図を見た。
三ヶ月後に完成する予定の建物の設計図を。
——行かないといけない。
でも帰ってこないといけない。
ライブハウスが完成する前に帰ってくる。
「アイル」
「はい」
「ライブハウスの建設、進めておいて」
アイルが珠里を見た。
「……受けるんですね」
「受ける」
「危険です。今までとは別格だと——」
「帰ってくるから」珠里が言った。「ライブハウスが完成するまでには、絶対帰ってくる」
「……根拠は」
「私の目」
アイルが少し黙った。
「……今回は、目じゃなくて」アイルが言った。「帰ってくると、約束してください」
珠里はアイルを見た。
いつもと少し違う顔をしていた。
業務でも同志でもない、ただのアイルの顔をしていた。
「約束する」
「……本当に?」
「本当に」
アイルが文書を閉じた。
「……分かりました」アイルが言った。「建設、進めておきます」
「ありがとう」
「業務です」




