終話 これだから魔族ってやつは
表向き、サンクトリアには何の変化もなかった。
朝を迎えた人々は、毎日同じように家の窓を開け掃除をして、隣人たちと挨拶を交わす。そして「我らに尊き御方のご加護があらんことを」とお互いの幸せを祈り合う。
市場には新鮮な野菜や果実が並び、肉が吊るされている。甘い、焼き菓子の香り。通りを走る子どもたちと、それをたしなめる母親の声。
大神殿の方から、鐘の音が聞こえてくる。朝の祈りの時間だ。
店の呼び込みをしていた者も、通りを歩いていた者も、皆大神殿に向かって一斉に手を合わせる。「我らに尊き御方のご加護があらんことを」と。
祈りが終わると「真実を知った自分たちは幸せだ。他の国の者が気の毒でならない」と囁き合い、最後に「尊き御方が、きっと世界をお救いくださるだろう」と締めくくって日常へと戻って行く。
信仰に満ちた国らしい、平和で、どこか異常な一コマ。だけど、それを指摘する者はどこにもいない。
……ただ、明らかに今までとは違っている点もあった。
まず、街を見下ろすエリシウムヴェイルの巨大な石像があった場所が、何もない更地になっていた。何人かが集まって話をしているのを聞いた限りでは、今後そこは祭り用の広場になるらしい。
それから、各家庭にあった祈りの像たちも、全てゴミと一緒に捨てられ、焼却されていた。
像を通じてブチ切れてる気配が伝わってきたけど、プライドだけは高い連中なのでしばらくは大丈夫だろう。直接介入なんてしたら、エリシウムヴェイル自身が他の神に「盤上の駒を一つ落とされただけで、ムキになってるよ」と笑われてしまうからね。ご愁傷様。
サンクトリアの住民たちは、結果だけを言えばナイトメアの能力により間接的に俺の支配下に収まった。
彼らは『自分たちをおぞましい偽りの存在から解放してくれた尊き御方』を信仰している。ちなみに誰も、尊き御方の顔は知らない。あの日大神殿の正門に集まっていた人間たちも、平伏してたから俺やハクラギの顔は見てないし。何より俺自身、自分を崇拝させる気がないから、謎のままだ。
ただナイトメアとなったあの女の子が「尊き御方は、この世で最も美しく!慈悲深き方です!」と住民たちに力説しまくってくれたので、なんかすっごくキラキラなイメージが定着していた。これ幸いとハクラギに押し付けようしたら、「自分で蒔いた種だ」と御方役を代わってもらえなかった。わりと全身黒ずくめな俺だけど、キラキラしてて大丈夫?
国とか別にいらないので、ここの管理は全てあの子に任せることにしている。当初の予定とは違うけど、戦力ダウンにもならないから、これはこれで良し。俺から見ると強くないナイトメアも、人界のレベルで考えると相当な脅威だ。防衛面でも、今のところ問題はない。神人クラスでさえなければ、一人で対処できる。
彼女の役割は、サンクトリアを『正常な街』として機能させること。外部から見た時に、何も起きていなかったと信じさせるほどに。
今まで通り旅人や冒険者を受け入れて、経済を回させる。人が集まる場所には、情報も集まりやすい。そうして得た情報の中から、必要なものが俺に渡されるようになっている。
国の中心が大神殿なのは、変わらず。大聖堂から大神殿と名前を変えてきたので万魔殿とかにした方がいいのかもしれないけど、さすがに怪しすぎるからやめた。
女の子には頑張ってもらって、ハクラギのためにここを美味しい物がたくさんある街にしてもらおう。楽しみにしてるからね、と伝えたら「世界一の食の国にしてみせます!」と鼻息荒く返された。期待しておく。
先を急ぐ旅でもないので、リセットされた限定解除用の魔力が再チャージされるまでのんびり過ごす。
嬉しい誤算というか、ちょっとした朗報だったのが、サンクトリアが俺の手に堕ちたことで街にいる間はペナルティが緩和されて過ごしやすくなっていたことだ。なのでチャージもそこそこ順調。明日か明後日には満タンになるから、それから出立する予定。
この辺の効率を考えると、今後も一つ一つ国や街を堕としていく必要があるな、と感じる。
ちなみに。俺がピアスに魔力をチャージしている間、ハクラギは食べ歩きを満喫していた。好きなだけ食べなさい。大丈夫、ヘソクリとして魔皇国の城をちょっと削ってエクリプスコアの結晶を何個か持って来てるから。人界だと良いお値段するんだよね、この石。
今日も張り切って屋台へと向かったハクラギを見送って、昨日までのことを何となく思い出しながら、俺は高台のベンチで空を見上げていた。
風が気持ちいい。
太陽は、結構眩しい。
あんなに眩しいのに、夜になると見えなくなるんだよね。どこに行くのかな。不思議だなぁ。
「クロウ!たくさんオマケしてもらったぞ!」
ハクラギがお団子が入った袋を抱えてこちらに走ってくる。オヤツの妖精すぎる。
この場所は、今日もひとけがない。
隣に座ったハクラギが、袋から一つ一つ出して見せてくれた。
「どれが食べたい?先に選ぶといい」
……うーん、どれ食べても同じだから、好きに選んでくれていいんだけど。
そう思っていると、フワリと優しい香りが鼻先を掠めた。
茶色いタレがかかった団子がある。お団子屋さんが言ってたな。みたらし、だっけ。これでいいや。みたらし団子を指さすと、ハクラギは串に刺さったそれを一本とって笑顔で俺に差し出してくれた。
「ほら、口を開けて」
えっ、いやそんな。
完全にデートじゃないですか、これ。遠慮なんてしないよ?
一口で食べるには大きいそれに、ぱくりとかぶりつく。
感触くらいはわかるけど——……。
…………あれ?
「どうした?」
無表情ながらも俺の様子が違うことに気付いたのか、心配そうに覗き込んでくる。
俺はモグモグしながらノートを取り出し、一言だけ書いた。
『あまい』
「……ははっ、そうか」
ハクラギの目が、優しく細められる。みたらし味のお団子を一度袋に戻すと、今度は緑色と桃色の団子の二本を取り出した。
「こっちがヨモギで、こっちは……ちょっと待ってくれ」
俺の前で、桃色の団子の玉を半分くらい食べる。モグモグと咀嚼して、「うん」と頷く。
「イチゴだな。クロウ、目を閉じてどちらを食べたか当ててみないか?」
なんだその可愛すぎる提案。もしかしなくても、俺の味覚が戻って来てることを、嬉しく思ってくれてる?
当てる当てる。ガチで当てにいく。
目を閉じて、あーん、と待っていると口の中にお団子が入ってきた。
「…………ん、……?」
待て。
これイチゴ味だけど、お団子じゃないぞ。
俺の口内を一周した熱くて厚い何かが、スルリと唇から離れていく。
目を開けると、お団子を持ったままのハクラギがいた。
「何味だった?」
「……イ、イチゴ…?」
あ、喋れた。
「正解」
笑ったハクラギが、手にしていたお団子をあっという間に串だけにする。俺が頭の上に『?』マークをつけている間に、みたらし以外のお団子を全部一人で食べてしまっていた。
食後用に買って来ていたらしいお茶をズズッと啜り、「美味かった」と満足そうにしている。
それから俺を見て、「ちゃんと責任を取るんだぞ?」と言った。
……責任?
何のだろう。
もう話せなくなっているので、伝わるように首をかしげる。
幸い、俺の疑問は伝わったらしい。
その証拠に、ハクラギは。
ちょっと俺が見たことがない、色気のある顔で笑って。
「二百歳の若造を本気にさせた責任だ」
指の背で、俺の首から頬にかけてを滑るように撫でた。
知らない痺れが、背中から腰へと走る。
反射的に下がろうとした身体が、力強い腕に捕えられた。
「最初は私よりも随分年下に見えたから、もう少し育つまではと遠慮をしていた。ところが実際は私よりもずっと年上で、陛下のご子息。身分差もありすぎるから、身を引くつもりでいた。……それなのに、お前ときたら」
この時の俺は、自分たちの根本的な性質について思い出していた。
魔族は、強くて美しいものにどうしようもなく惹かれる。
だけど俺はそれ以上にハクラギの——……、
「お前を知って、お前に触れて、お前を感じて。……なぜ私が平気でいられると思うんだ。隠して、いたのに」
ハクラギの目に、俺が見たかった熱が宿る。
なんで。
そんな顔、今まで一度だって俺の前で見せたこと。
「惹かれないはずないだろう。こんなにも強く美しく、…悲しくて優しい魂に触れて、愛おしく感じない方が……どうかしてる」
俺がハクラギに対して想っていた気持ちが、目の前の唇から紡がれる。
「だから、もう遠慮はしない。私も魔族だからな。……欲しいものは、必ず手に入れる」
再び、唇が塞がれる。
ただし、今度は味わうというよりも彼の中の聖力を与えるために。
「…………クロウ、それでいいな?」
掠れた声で問われ、俺は。
「……も、もちろん…です」
と何故か敬語で答えていた。
へ、変だな……。当初の予定では、ハクラギに対して『超美形の年上(俺)に迫られてクラクラな年下』作戦を実行するはずだったのに……。
なんで俺が、クラクラしてるんだろう。
「ありがとう。……では、もう少しお前の声を聞かせてくれ」
顔が近づいて、くる。
マ、ママ上。
俺に人界征服の命令を出してくれて、本当にありがとう。
新婚旅行、楽しんでくるね。
……ちょっと今、熱出そうだけど。




