番外編 こんなに大人なんて聞いてない
なんということでしょう。
俺のハクラギが大人すぎる……!
「一緒に入りたいんじゃなかったのか?」
言ったけど。言いましたけど。
サンクトリアのちょっと良いランクの宿の一室。その浴室の扉の前で、真っ昼間から謎の攻防をする俺たち。
この度、小一時間ほど前に互いに想いを確かめ合った二人です。
あの後。
俺の声が聞きたいなんて言ったくせに、全然喋らせてもらえないまま、唇がふやけそうになるまで貪られて。なんだかフワフワした気分になってしまった俺は、子どものように手を引かれてそのまま宿に戻ってきた。
ハクラギってキスが上手いなぁ、とか。そういえば二百歳って魔族でもそこそこの年齢だな、とか。手を繋いだままだ、とか。色々考えながら部屋に入ったら、繋いでいた手を離されて。急に離すなんてひどい、とハクラギを見たら。
上半身、脱いでて。
え?脱いでる?なんで?
唐突すぎて意味がわからないところに「両手、上げて」なんて言われたら、混乱したまま従ってしまうわけで。
俺の、見習い魔術師に毛が生えたみたいな安っぽい服の上半分が、すぽんと脱がされて。
そして今、浴室の前で攻防をしているわけなのです。
いや、さすがにわかるよ!?
俺だって、千年以上生きてる魔族。今から俺たち、というかハクラギが何をしようとしているのかくらいは理解できる。逆にわからなかったら、不安になるレベル。
けど、ほら。
俺たちまだ、交際ゼロ日じゃないですか…!
俺を浴室に引き込もうとするハクラギに必死で抵抗しながら、片手でノートを取る。最初にかなり大きめに『嫌じゃないんだよ』と書いた上で、続きを綴る。
『こういうのって、デートして、ご飯食べて、手を繋いで、キスをして、という順番があるのではないでしょうか?』
ノートに書かれた文を、ハクラギがまじまじと見る。ちなみに俺の片腕を掴んだままだ。
「何度も共に出かけて食事をしたのは、お前にとってデートではなかったと」
しょんぼりと言われて、俺は勢いよく首を横に振った。
デートです!
誰がなんと言おうと、あれはデートです!
「一晩中、お前を胸に抱き眠った夜。手を繋いでいたように思うが……」
ちょっと語弊がある言い方だけど、言われてみれば確かに繋いでたー!
ハクラギの手、おっきくて大好き!
「……口付けが、足りなかったか?」
いえ!充分です!なんなら、まだちょっと脚に力が——。
ちょ、待っ……。
「……、…ハク、ラギ」
「あぁ、足りなかったのか。それはすまない。早く宿に戻りたくてな」
肌を晒した厚い身体に閉じ込められる。俺の息ごと、食べられる。喰らう黒王なんて名を持つ俺を食べてしまえるなんて、ハクラギはすごい。お腹壊さないかな。踊りキノコの成分、残ってない?
「……待っ…、お、俺……」
なんとか合間を見つけて伝えようとするけど、またすぐ塞がれる。力、つっよ。なんで?俺の方が魔族としては強いはずなのに。
駄目だ、このままだと頭が捨て駒ボンバーみたいになってしまう!
け、眷属!誰でもいいから!ちょっと出てきて!!
指先でクルリと円を描く。指定する時間がなかったから、誰が来るかは割とガチャ!
〈……私が出ると別の誤解を招きそうで嫌なんですが〉
ハクラギの首元に、鈍色の刃が当てられる。
側に、全身を黒い甲冑で覆った騎士が立っている。
眷属Aこと、デーヴァレインだ。
俺の眷属の中で一番強い、元聖騎士。
〈他の者では荷が重いでしょうから、仕方なく出て来ました〉
何故かフルフェイスの兜姿だったので表情はわからないけど、声は明らかに不服そうだった。
〈次は来ませんから、自分で解決してください。……それと、リンフォードも落ち着け。この方は千年、聖界でお独りだった。それを忘れるな〉
いいな?と念を押して再び魔法陣へと帰っていく。
……眷属に叱られてしまった。一応主人なのに。デーヴァだから、別にいいけど。
それに、第三者の介入があったことでハクラギも少し冷静になってくれたようだった。すまない、と謝って拘束を解いてくれる。
喉の圧迫感も、また戻ってきた。俺はさっきノートに書いた『嫌じゃないんだよ』の部分をもう一度見せて、指でなぞる。
本当に、嫌じゃないんだ。
……ただ、なんていうか。
さらさらと、ノートに書く。
『恥ずかしい』
「……、お前、それは……」
それを見たハクラギが、片手で顔を覆い天井を仰いだ。獣人じゃないはずなのに、唸り声が聞こえてくる。
どうしよう。
呆れられてしまったんだろうか。
今頃になって、ちょっと後悔している。いい歳した魔族として、大人な態度を見せるべきだったのかもしれない。
ハクラギの望みは、年上の俺が叶えなければ。
よし!頑張るぞ!
スパッと下を脱いで、一緒にお風呂に入るんだ!元々、この宿を取った時は、そのつもりだったんだから!
『嘘。ごめん、今脱ぐ』
それだけノートに書いて見せて、ズボンに手をかける。
こういうのは、勢いが大事だ。
せーので。
……あれ?
表情筋が死んでるはずなのに、顔がすごく熱い気がする。
だ、大丈夫!いける!下着になってもママ上の普段着よりは、布面積も広いし!
目を閉じて、一気にずり下ろすべく手に力を入れる。
そこに、ハクラギの手のひらが重ねられた。
「……無理をさせた。目を開けてくれ」
言われて、固く閉じていた目をゆっくりと開く。間近に見えたハクラギの表情は、少し困っているような笑顔だった。
優しく、頭を撫でられる。
「デートをして、一緒に食事をしよう。人界には、まだ多くの国や都市がある。観光しながら堕として行くのも悪くない」
ロマンチック&物騒、というよくわからない謎のフレーズが浮かぶ。人界征服も忘れていない、忠臣の鑑だ。
それに、その提案が俺を想ってのことだとすぐにわかった。
ハクラギは、本当に優しい。
それは多分、万人にじゃなくて、自分の懐に入れた者限定なんだろうけど。
まぁ、魔族だしね俺たち。人間みたいに「みんなで助け合おう」みたいな精神は、あんまりない生き物なのです。弱肉強食、弱い者は強い者に従う。それが基本。そして強い者にはより多くの選択肢がある、というだけの話。
床に落ちた服を拾い上げたハクラギが、俺の分を渡してくれる。飾り気のないそれを着ると、部屋にいつもの空気が戻って来たように感じられた。
「魔界には海がないから、海産物というものを食べてみたい。クロウは、何か見たいものは?」
ハクラギが、自分の服を着ながら問いかけてくる。
えっ、俺?
……うーん。最初の目的地はハクラギのお母さんの故郷にするって決めてたけど、後は特にないかな。
あっ!そういえば、シノビから貰った餞別の袋の中に地図らしき物があった気がする!
収納術で作った空間に片付けていた小さな巾着を取り出して、覗いて確認してみる。クルクルと巻かれ、紐で縛られた羊皮紙を見つけた。余談だけど魔界の羊は全身が鋭い毛で覆われていて、猛スピードで突進してくる結構危険な生き物だ。オブシディオンでは、皮毛と肉を獲るために飼育されている。
紐を解き小さなテーブルに広げると、黒いインクで描かれた一枚の絵が出てきた。
かなりざっくりではあるけど、森や山があって、歪な形の枠で囲まれた場所に国の名前が書かれている。
「……これは、人界の地図か」
そうそう。見た感じ、ちょっと古いやつだけど使えるはず。
絵の四方は全て『海』と表記されていて、真ん中にどーんと菱形をした陸地がある。人界にある、ただ一つの大陸。周辺に小さな島がたくさんあるけど、大陸と名前が付いているのはこれだけ。実にシンプル。正直この世界を作ったのは、想像力に乏しい奴だと思う。箱庭の中のオモチャに冒険心は必要ない、ってことかな。
地図を見ながら、まずはサンクトリアを探す。
……あった。
菱形の下の、とんがり部分だ。こんなに隅っこなの?仮にも神都を名乗ってたんだから、もっと真ん中にあってほしかった。あっ、でも近くに海に面した国があるっぽい。ここならハクラギが言う海産物が食べられるのでは?
ここ、と伝えるように国を指差して、地図を覗き込んでいたハクラギを見る。
「それは海産物を食べたいと言った私の希望だろう。お前が行きたい場所は?」
俺が行きたい場所かぁ。改めて聞かれても、ないんだよね。全部手に入れたらママ上にあげよう、くらいしか考えていない。だから、ハクラギの希望通りに行くのが一番なんだけど。
ノートに書いて、見せる。
『ハクラギが美味しいもの食べてるとこが見たい』
本当に、これだけ。
単純な、俺。
それなのに、何故かハクラギはまた片手で顔を覆って天井を見上げた。
「……可愛すぎる」
こういう時って、俺が「えっ?何か言った?」ってなってハクラギに「何でもない」ってごまかされるのが様式美だとは思うんだけど。魔族は聴力にも優れてるので、普通に聞こえてる。
『俺、かわいい?』
問いかけると、「可愛すぎて心配になる。よく魔皇軍の中で無事に過ごせたな」と言われた。
そう言えば、伝えてなかった。眷属Bこと黒くて大きな犬……じゃなくてフェンリルが、俺のお仕置きの証拠隠滅係だったこと。
こんなに美形で、しかも軍にいた頃は魔皇の罰を受けて声を封じられていると思われていた俺に、血気盛んな魔族たちが手を出してこないはずがない。だからしょっちゅう嫌がらせをされたし、俺を性欲の捌け口に使おうとする連中も大勢いた。ママ上みたいに普段から絶対王者みたいなオーラがあれば良かったんだけど、聖界に長くいすぎて逆に力を見えなくする技術が磨かれてしまったから。一言で表現するなら、あの頃の俺はまさに『飢えた狼の群れに放り込まれた羊』状態だった。
というようなことを書いて伝えると、ハクラギの顔がめちゃくちゃ冷たくて怖いものになった。
「……その者たちの名前や顔は覚えているか?」
残念ながら覚えていない。
だって、もういないし。
『全員、犬のご飯にしたから忘れた』
たとえ襲う側からは、飢えた狼の群れに放り込まれた羊、に見えていたとしても。本当に羊だなんて、誰も言ってないのに。勝手に人を弱いと思い込んで襲っておいて、「助けてくれ」なんて泣かれても困る。
勘違いをいちいち訂正するのも面倒臭くて放っておいたせいで、そこそこの人数を片付けてしまったような気がするけど。それでも、魔皇軍の総数から考えたら微々たるものだよ。
ノートの文字を読んだハクラギも、「なら、いいか」と、あっさり納得してくれたみたいだった。
「では次の目的地は、この国にしよう。楽しみだ」
犬に食べられた兵たちの行く末なんてまったく気にしていない爽やかな笑みに、胸がキュンとなる。
はぁ、かっこいい。この顔が毎日間近で見られるなんて、人界征服って最高だよ。食べ歩き感覚で侵略の順番を決めてるところなんかも、ハクラギらしくてすごく可愛い。
美味しい物がある場所は、できるだけ形を残して征服していくとしよう。ターシャ・キリエみたいな子を増やして、堕とした国を任せていくのも良いかもしれない。
ママ上からは期限の指定もなかったし、百年くらいかければ徒歩でも全部食べ歩けるんじゃないかな。
なんか、やる気が出て来たぞ。
一人で気合を入れていると、またハクラギが天井を仰いでいた。
可愛すぎて、申し訳ない。
……なんて思ってると、ぐいっと身体を引き寄せられた。
「……、今日何回か思ったんだけど。……上手いよね、キス」
「それは光栄だな」
「千歳以上年上のお兄さんとしては、へこむ……」
「そういえば、何歳なんだ?」
「……秘密」
俺の返答に、触れ合う位置にあったハクラギの唇が息だけで笑ったのがわかった。
「なるほど。では、舌で確かめるとしよう」
——ひえっ……!大人……!
心の中で小さく悲鳴をあげたものの、逃げるつもりなんてさらさらなく。
俺はまたしても、二百歳の若造の大人の技を、味わう羽目になったのであった。
お読みいただき、ありがとうございました。




