第六話 味方は多い方が良い
夜になって、街へと繰り出した。
回復したハクラギが空腹を訴えたからだ。よく食べるね。寝る子は育つ。どんどん食べなさい。
俺はパンに肉と野菜を挟んだものを食べた。
そう言えば、お茶以外でハクラギの好きな食べ物ってなんだろう。
噴水がある広場のベンチで、隣に腰を下ろして山盛りの丼をかきこんでいるハクラギに質問を書いたノートを見せた。
「好き嫌いはないが、食べ物は味がはっきりしてて濃いものが好きだな。……私が茶を好む話は、したことがあったか?」
聞かれて『見てたから分かる』と書くと、ハクラギの顔がポンと赤くなった。
あっ、待って、今のそういう意味だけど、そういう意味じゃなくて。ハクラギがお茶を飲んでホワホワしてる時の顔を見てるのが、好きだから。
ほんと、やめて。千歳すぎてこんな甘酸っぱい気持ちとかいらないから。
表情筋、死んでてよかった。
「……少し、顔が赤くなってる」
——えっ!?
慌てて顔をペタペタ触る。
まだ照れた様子だったハクラギが、「ははっ」と声をあげて笑った。
「しかし人界とは不思議な場所だ。一つ下の階層の魔界はアレなのに、ここは随分と平和で……恵まれているように見える」
夜風を受けながら、ポツリとハクラギが呟く。
魔術灯の下を歩く人間たちの顔は明るく、楽しそうだ。
彼の言う通り、見ている分には人界は魔界よりはずっと平和で、太陽もあって、食べ物や水がたくさん手に入る。散策がてらの情報収集でも、国同士の小競り合いはあっても、魔族みたいに皆殺しを選んだりするのはごく稀だ。そんな真似をすれば、後世にまで残る残虐な行為として忌み嫌われるらしい。
でもそうした人界の平和も、上位存在の介入を知っていれば見え方が変わってくる。
マンドラゴラの畑の世話をするのと同じだ。枯れないように肥料を与えて、増えすぎないように間引きして。種だけ残して収穫する。
そう伝えると、ハクラギは納得しながらも道端に落ちてるブラックウルフの糞を見る時の目で、街の正門前に坐す巨大な石像を見上げていた。
人間側から見れば、『生きている間だけなら』今のままが幸せなんだろう。
収穫された後どう調理されたか、なんて。転生したら記憶に残ってないみたいだし。
食事を終え、街の地理を知ろうとひとけのない高台へとやってきた。
サンクトリア自体は、そう大きな国じゃない。だから人界最初の拠点として、俺はここを選んだ。ハクラギのお母さんの故郷でもあるしね。
街道に沿って、灯りが並んでいるのが見える。
空には、星と丸い月。
これらは神々が「そうあれ」と造ったのか。それとも、人間がこの景色を望んだ結果なのか。
ぼんやり見ていると、ママ上がなぜ太陽を欲しているのか、わかるような気がした。
「……ヘッヘッヘッ、こいつぁ奇遇だな、美人さんよ」
……お前、ふざけんなよ。俺の哀愁が秒で台無しになっただろ。
振り返ると、一昨日神人にビビって逃げ出した、二代目『ヘッヘッヘッ』こと、ヘッチョ(マッチョなヘッヘッヘッだからだ)がニヤニヤしながら近づいてくるところだった。ちなみに今、ハクラギはオヤツを買いに行ってる。可愛すぎる。どれだけ俺を虜にしたら気がすむのかな、あのイケメンは。
そんな可愛いハクラギとは真逆のヘッチョは、周囲を見て俺が一人だと確認するとすぐ側までやってきた。わぁ、お酒くさい。
「ちょうど良かった。女を買う手間が省けたぜ」
性欲のことしか頭にないのか、こいつ。
「脱ぎな、まずはオレのデカモツをしゃぶってもらおうか」
あー、もういいや。
……死ね。
指先をくるりと回す。ヘッチョの足元に魔法陣が描かれ——。
その体が、綺麗に縦に割れた。
少し遅れて、人間一人くらいなら飲み込めるサイズの犬の頭が地面から出てくる。
二つになった人間を飲み込んだ犬は、「割れてて食べにくいんですけど」とでも言いたげな顔で再び魔法陣へと消えていった。ごめん、俺のせいじゃないよ。
ヘッチョがいなくなった俺の視界に、ものすごく無表情のハクラギが抜刀したまま立っている。説明しようかなと思ったけど、問題を起こした当人はもう死んでるから、ハクラギの足元に落ちているオヤツ入りの袋を拾いに行った。
さらばだ、ヘッチョ。人間だから、数百年後にまた会うこともあるだろう。
袋を拾い上げて、はやく食べよう?と書いて可愛く首を傾けると、ハクラギはようやく笑って刀を鞘に収めてくれた。
俺たちが泊まる宿にあの女の子がやってきたのは、空に浮かぶ月が半分くらいの形になった頃。
ある晴れた日の、午後のことだった。
「わたしなんて見向きもしてなかったのに、あの日からルミエル様によく話しかけられるようになってしまいまして……。飽きられるまで普段通り過ごしていたら、遅くなってしまいました。すみません」
いいよ、いいよ。半月なんて、魔族からしたら瞬き以下だ。あちこち観光もできたしね。
それに、慌てずに考えて行動できる子は好きだ。
「あの飴も、ありがとうございます。立場上どこにいても声をかけられるのですが、口に入れたら皆わたしが見えなくなったみたいで。あ、今食べ終わりました」
アイテムを使った隠密くらいなら俺やハクラギにはわかるから、宿に着いた彼女を普通に迎えに行った。
部屋に招き入れて、今度は俺がお茶を淹れる。ハクラギがやりたがってたけど駄目。ハクラギにお茶を淹れる権利は、たとえ本人でも渡さん。
今日は巫女としての役目がないのか、女の子は普通の少女の服装をしていた。薄い黄色のワンピースがよく似合っている。俺は美しいものが好きだけど、可愛いものも好きなんだ。
俺が淹れたお茶を飲んで「美味しいです」と喜んでくれる。うん、良い子。ハクラギも「とても美味しい」と言ってくれた。えへへ、やったー。
お茶を飲んで一息ついたところで、本題に入る。
彼女からは、まだいくつか聞きたい話が残っていた。神人に邪魔されたせいで中断してたけど、結果としてあれはあれで良かったんだろう。
なぜなら、お茶を飲んだ女の子は、ハクラギをじっと見つめて「あの力が消えてる」と言ったからだ。そしてそれはどうやら彼女の中で何かを決意させるのには、充分な材料らしかった。
「……あの、こんな話をして、頭のおかしい娘だと思われるかもしれないんですけど……」
お茶が入ったカップに目を落とした女の子が、少し震える声で言う。
重大決意をして緊張してるところ悪いけど、そこは大丈夫だと思う。何故なら、ここにいるのは人界を征服しにきた魔皇エルヴァイラの子と、魔皇国軍最高指揮官のコンビだから。我ながら、これすんなり信じられる人がいたら逆に心配になるレベルのアレ。
なので『大丈夫』と書いて見せたら、女の子は泣きそうな顔をして笑った。
「……この街は、わたしが生まれる前までは『聖都』だったはずなんです」
それは、彼女の『異能』が生んだバグのようなものだった。
ターシャ・キリエは、身寄りのない子どもとして修道院で育った。
まだ産湯にも浸かっていない状態で、孤児院の門の前に置かれていたらしい。もちろん彼女自身両親の名前などわからず、ただ一度だけ、産まれたばかりの自分を抱き上げてくれた女性の顔は不思議なことに覚えているとのことだった。
「幼い頃はわたしも、皆と同じようにここは神都サンクトリアだと信じていました。神々の一柱エリシウムヴェイル様の加護がある、素晴らしき神の都だと。……ですが、わたしが巫女として力を授かった日。長い長い夢を見たのです」
それは、一人の女性の追体験のようだった、と彼女は語った。
女性は、神都ではなく聖都サンクトリアの大聖堂で聖女として生きていた。周囲には同じような聖女と、約二百年前に魔界へ行き魔帝ノクルドを倒した大聖女と同じ色を持つ勇者たちがいた。
聖霊に愛された者たちは特別な力を得られるが、慈悲深く愛に寛容な聖霊たちは聖女たちの処女性を重要視しなかった。女性も、一人の男を愛し、腹に子を授かっていた。
ある日女性の足元に、魔法陣のような模様が浮かんだ。吸い込まれたかと思うと、突然見知らぬ場所へと連れて来られた。
「そこは、とても美しく、煌びやかな宮殿でしたが……、足元には顔見知りの聖女や勇者の死体が散乱していました。辺りは一面血の海で……、大聖堂にあった聖騎士デーヴァレイン様の像によく似た男性が聖女を守りながら、金色の装束の人と戦っているのが見えました」
女性は何が何だかわからず、とにかく逃げようとした。
だがその瞬間、彼女の身体は内側から弾け飛び、中にあった小さな光が金色の装束の何者かに吸い込まれていったのだと言う。
「……わたし、は。床に落ちた肉の中にいました。女性が、…おそらくわたしの母が最期の力で守ってくれたのでしょう。血溜まりの中で産声を上げるわたしを、抱き上げてくれた美しい女性がいました。泣きながら何度も謝って、『聖界は、ようやく滅びる。人界へ送ってやろう』と。わたしを温かい力で包み、修道院へと送ってくれました」
夢から目覚めた女の子は、自分の中の『異能』が開花していることに気が付いた。
熱を出して寝込んでいたらしい彼女に、皆が声をかける。
エリシウムヴェイル様の御力が強かったのだろう。神都サンクトリアだからこそのご試練だよ。おめでとう。
彼女は、それを。
——嘘だと、見抜いた。
神都サンクトリアなど、少し前まで存在していなかった。この街にいたのは、聖女と勇者だ。それなのに何故、と混乱した。
「しかし周囲には相談できませんでした。誰もそれを知らないのです。疑ってもいないのです。優しかった人たちが、急に見知らぬ生き物のように見え始めました」
そしてさらにしばらくすると、彼女の目には奇妙なものが映るようになった。
「修道院長の頭の先から小さな芽が出ていて、その根っこが頭部に張り巡らされているのが見えるようになりました。……吐き気がするほど、怖くて。大神殿に巫女として務めるようにと呼ばれた時は、正直ホッとしました。ですが、そこにいる神官たちの中にも、修道院長と同じ頭になっている人がたくさんいたのです」
想像するとかなりグロい。俺でも声が出てたら「わぁ」くらいは言ったかもしれない。眷属Cも似たような術を使えるけど、それを手当たり次第やってるって感じだな。
というか成長するとそんな感じになるのか。抜いてよかった。
「調べていくと、あの芽はルミエル様が祝福として触れた相手に植え付けているのだとわかりました。あいつ、ほんとキモい。……ごめんなさい、ちょっと言葉遣いが乱れました。それからは、芽が植えられた人たちを数えてみたりしていたのですが、どんどん増えていくので……」
なるほど。
それが良かったかどうかは、さておき。聖界で産まれた彼女は、少なからずあの場所に満ちていた力を無意識のうちに取り込んでいた。それが『嘘を見抜く』異能と合わさることで、歴史の改竄という事実に気付いたというわけか。そしてさらにその力は、『偽りの思考を植え付ける』信仰の芽の存在をも彼女に気付かせた。
大変だっただろうなぁ、一人で。人間だから見た目的にまだ二十年も生きてないんでしょ?俺がそのくらいの時って、まだバブバブ言ってたんじゃない?
えらいえらい、と頭を撫でる。女の子が驚いた顔で「この話、信じてくれるんですか?」と聞いてきたので、うんうんと頷いた。嘘がわかる彼女には、俺の肯定が本物だとわかったんだろう。感極まったように、ギュッと手を掴まれた。
おぉ、別に嫌じゃないぞ。この子ほんとに魔界へ連れて帰りたいな。
無理ですね。知ってる。
「……ますます気味の悪い連中だな。神官の中にも芽を植えられている者が多くいると言っていたが、実際、数はどのくらいなんだ?」
「そうですね。まず神殿には、政治や祭事を取り仕切る神官、祈りを捧げる巫女。それからサンクトリアを警備している兵隊さんたちとは別に、大神殿を守る神兵と呼ばれる人たちがいるのですが。それぞれに第一位から第七位までの位があります。わたしが見てきた限り第四位以下の人たちには芽は生えていませんでした。位が上がるほど人数は少なくなりますので、割合的には二割ほどかと。それでも数百人います」
「……少なくはないな」
多分今ハクラギは、全員を斬り終えるまでの時間を考えていたな。
信仰の芽の最終目的が何かはわからないけど、普通の信徒とは違う役割があることは確かだ。俺が神の立場なら……、何もない時は適当に信仰させて、有事になったら敵を殲滅するための捨て駒ボンバーにでもするかな。いや、俺はしないけどね。自分で戦った方が早いし。盤上で駒遊びをしている連中だったら、そう言う手を好むだろうって話。
しかし、大神殿に数百人。儀式で増やされた庶民捨て駒ボンバーたちもいることを思うと、街としての機能を維持したままでサンクトリアを手に入れるのは少し難しいかもしれない。
「あの芽は、取り除くことはできないのでしょうか。ハクラギ様はそれをなされたのですよね?」
「俺たちはかなり事情が特殊でな。俺の母譲りの力と、クロウの卓越した魔術操作による合わせ技でできたようなものだ。それにあの芽を自分で抜いてみてわかったが、育った状態でどうにかしようとしたら、確実に死ぬだろうな」
「そんな……!……そう、ですか」
そうなんだよ、ごめんね。痛みに慣れてる俺たちでさえ、結構キツかったから。あれが少しでも成長したら、まず人間には耐えられないと思う。植え付けられている人の中に助けたい相手とかいたのかもしれないけど、そこは諦めてもらうしかないだろう。
「でもお二人に話せて良かったです。巫女として目覚めて何年も経ちますから、夢の記憶も随分と薄くなってきていて……。最近では、やっぱりわたしの方がおかしいんじゃないか、なんて思ってたんです。……でも、わたしが間違ってないんだとしたら、いったい誰が何のために……」
その疑問の答えを何も知らない人間に語って聞かせるには、ノートのページが足りない。申し訳ないけど、しばらく謎のままでいてもらおう。
とりあえず直近の課題は、この女の子をどうするか、だ。歴史がおかしいです、頭から芽が生えている人がいます、というだけで「なので街ごと魔族のものにしちゃってもいい」なんて絶対ならないだろうし。ママ上じゃないんだから。
彼女が今回俺たちにもたらした利益を考えると、この街がどうなったとしても生存は決定事項だ。働きには報いる、それが俺のポリシー。
であるならば、ここで味方として引き入れておきたい。
眷属Dこと、聖王の元奥さんの出番かな。
俺はノートに書いた文字を、女の子に見せた。
『誰が何のためにかは、まだ君には言えないけど。君に会わせられる人はいるよ』
右手をスッと横に上げて、指先で円を描く。
俺がかつて聖王の宮殿で見た、たくさんの勇者や聖女たちの死体。あの中に女の子の母親がいたのなら、赤ん坊を抱き上げたのは間違いなく——……。
〈赦して…赦してたもれ……〉
眷属Dは元々音を操る聖霊だった。だから俺が声を封印されていても、練習して周囲の音を集めて声のようにできるようになったと、ついこの間言っていた。
地に着くほどに長い黒髪が、サラサラと揺れる。彼女の白い頬には、絶え間なく涙が流れていた。
〈罪深き我ら……、人間を弄び、利用し、味わう……。なんと……なんと醜きことか……〉
近づいてきた眷属Dが、驚いている女の子をそっと抱きしめる。
〈そなた……あの時の聖女の子じゃな……。よう育ったのぅ……。安心せよ、そなたの母君の仇は、クロウ様がお討ちなされた。……ほんに、すまなんだ〉
抱きしめられた女の子が、声すら出せずに「あなたは……」と問いかける。
〈わらわは、ガリョウビンガ。神々により人間の記憶からは消されたが、……人界に歌を与えた聖霊である〉
「知って、る……。母さんが、よく、…ガリョウビンガ様を讃える歌を……お腹の中にいるわたしに……」
女の子が、声をあげて泣き始める。
今は黒い髪となった歌の姫は、涙に震える小さな体を、ずっと抱きしめていた。
次回第七話『一番の脳筋は俺という可能性』は5月29日更新です。




