序話 ママ上の眷属の人
ベッドが八台ある兵卒用の大部屋で、今日も一人で朝を迎える俺です。
……いったい、何故……。
記憶が改竄されてるとかでなければ、俺は、この物語の主人公であるはずのクロウ・クローは、広大な魔界の半分以上を征服した強国『魔皇国オブシディオン』の魔皇エルヴァイラの一人息子である、はず。
つまり皇子様だ。
千年前に母であるエルヴァイラを「ママ上」と呼んで怒りを買い、声を封印され聖界に飛ばされて以来ずっとそこで一人で戦っていた。
色々あって、頑張って聖界を滅ぼして。やっと最近魔界に帰ってきたと思ったら、今度は「まだ喋れぬとは情けない」と言われて魔皇国軍に一兵卒として放り込まれた。
ここは、そんな下っ端兵となった俺が過ごしていた部屋だ。
——つい先日、俺がママ上の息子であるという事実がオブシディオン中に知られたはずなのに。
Q:なんで俺はまだ、この部屋にいるんだろう。
A:ママ上が「どうせ人界に行くのだから、部屋なんぞ必要なかろう」と言ったから。
Q:ハブられていた頃ならまだしも、ベッドが八台もあるのに何故一人部屋のままなんだろう。
A:俺をハブりすぎた結果、みんな怖くて今更近寄って来れないから。
腫れ物に触る、とはまさにこのこと。
今の俺は、魔皇国軍で最も扱いづらい男になってしまっていた。
俺が歩くとみんな避ける。悲鳴を上げて逃げる者もいる。前より酷い。この間の式典の時に「皇子!皇子!」と盛り上がってた料理担当の兵卒とか、俺が食堂に行っただけで鍋の前から姿を消すようになった。おかげで、食堂にも行けなくなってしまった。配膳が止まるせいで、口には出さなくても周囲の空気が「この人、迷惑……」みたいな感じになるんだ。
俺、皇子なのに……。
皇子だよね?
誰が一人くらい、腰巾着みたいなのがついてもよさそうなのに…!
スタフネルに放流した元スリ、連れてこようかな。
仕方がないので食事は隠密の術を使って、夜中に食堂からこっそり残り物を盗ってきている。今朝のご飯は、ちょっとしなびた野菜の欠片と、硬いパンだ。味にこだわりがないタイプでよかった。
テーブルはないので、ベッドの上に布を広げる。「いただきます」と食べようとすると、そっと柔らかいパンが差し出された。
〈若、こちらをお召し上がりを〉
全身黒ずくめの装束に黒い仮面をつけた魔族が、俺の前で正座している。
ママ上の眷属の隠密の人だ。
表情筋が死んでるから顔には出てないだけで、俺の口からは心臓が飛び出しそうになっていた。
なんでこの人毎回、俺の気配感知を掻い潜ってくるの。どんだけ強いの。俺一応、千年以上生きてて聖界も滅ぼした大魔族だよ?自分に自信がなくなるから、やめて欲しいんだけど。
でもまぁ。
別に悪い人ではないので、焼きたての柔らかくて温かいパンを普通に受け取りもふりと口に入れた。
それを見た隠密の人の周囲に、ポンポンと花が咲く。イメージ的な花じゃなくて、実際に咲いてる。というか飛んでる。隠密の人が、懐から取り出した花を撒いてるからだ。魔界の花、目がついてて怖いからやめて?
ちょっと不思議なところはあるけど、古くからママ上の眷属をしてて、隠密の術とか色々教えてくれた彼、…多分彼…、のことは俺も嫌いじゃない。ていうかむしろ好き。優しくしてくれる人は皆好きだ。
体格は俺よりも一回り大きい。ハクラギよりも、少し大きいかもしれない。
『シノビ』という種族の『ノキザル』に属する一族の生き残りらしくて、ママ上が言うには、彼がシノビの最後の一人らしい。ちなみに最後の一人にしたのは、ママ上です。ジェノサイダー。俺も人のことは言えない。
年齢は、余裕で俺よりも上。彼に会うのも千年ぶりだった。
〈さ、お茶も飲みなされ〉
優しい。声は若く聞こえるけど、本当は相当なお爺ちゃんだ。
「これは飴ちゃんです。お腹が空いたらお召し上がりを」
飴ちゃんくれた。
〈濡れた布を持って来ております。顔を拭っておきましょう〉
いや、それはいい。
動き、はっや。
一瞬で距離を詰められて、腕を腰に回され顔を固定される。
ちょっと待って、今そこのドアをガチャッと
「クロウ、そろそろ時間——……」
ハクラギが。
白い刃が、宙を斬った。
強い力で腕を引かれ、後ろから抱え込まれる。
「何者だ」
鋭く、冷たい声が耳のすぐ近くから聞こえてくる。胸の前にある、血管が浮いた腕。
俺を後ろから片手で抱いたまま、ハクラギが刀を構えていた。
ぐっと力を入れられて、身体が密着する。
……お、隠密の人!いや、シノビ!さっき飛ばしてた花、俺にも飛ばして!!
あと職務柄、絵も上手かったと思うから描いて!この状況ちょっと描いて!お願い!!
〈それがしの気配にも気付かなんだヒヨッコが、吠えよるわ〉
なんで急にテンション変わってるの!ていうか、俺やママ上以外にはそんな口調なんだ!?知らなかった!
「何だと…」
ハクラギの声も怖い!でも怒ってるハクラギ、かっこいい!
これ、挟まれてるのが俺じゃなかったら、両方からの殺気で死んでるからね。二人ともよかったね、間が俺で。
ハクラギの一閃を難なく交わしたシノビは、刃が届かないギリギリの位置で影のように佇んでいた。表情は仮面に隠されてわからないけど、こっちも怒ってるのが伝わってくる。だから何で。
〈これから若のお側に侍ろうという者が、この体たらく。若よ、今からでも遅くはありませぬ。この者はお捨てになり——〉
シノビが、一歩下がった。
俺の前に出たハクラギがその切っ先を、二度太刀筋を読んだシノビへと向ける。
「避けるだけか?ヒヨッコの刃を」
〈……存外伸びる玩具ではないか。ちぃと撫でてやろう〉
ちなみに部屋にあった2段×4の八台のベッドは、衝撃だけで全部木屑になって床に散らばってます。俺のベッドなんですけど、それ。
時々もらえる休みの日に、二度寝三度寝を楽しんでいたベッドだったのに。
……腹立ってきたな。
俺はこんな時のためにと、最近になって常備したノートとペンを収納の術の中から取り出した。
サラサラと書き、二人に見えるように出す。
『これ以上ハクラギを挑発するなら、もう肩たたきしてあげない』
それを見た瞬間、シノビの身体から殺気が霧散した。
〈あいや!あいや、待たれい、若ッ!年寄りの冗談でござりまするゆえ!〉
嘘つけ。ハクラギが思ったより強かったから、ちょっと闘ってみようってなってただろ。
好戦的すぎるんだよ、魔族ってやつは。常に見た目のテンションが同じで、表情が一切変わらない俺を見習ってほしい。
千年かけて死んだ表情筋、全然元に戻らない。
この間、俺の眷属である『死んだ目四天王』、——眷属A:イケオジ騎士、眷属B:デカい黒犬、眷属C:少女人形、眷属D:聖王の元奥さん——を呼び出して、皆でノート囲んで話し合ってみたんだけど。彼らは俺にかけられた効果二千年延長バージョンの失音の術と、俺の死んだ表情筋のせいで自動的に全員目がどんよりしているとのことだった。
……そうだったのか。俺はてっきり、聖界の聖霊という立場から魔族の眷属に堕とされたことに対して、目が曇るほどの絶望を抱えてしまったんだと思っていた。聞いてみてよかった……。
そうノートに書いて伝えると、彼らは首を横に振り、眷属Dが達筆な文字を書いた。そこには、『我々は、自らの意思で堕ちたのだ。あなたの下に』と書かれていて。俺は、死んだ目四天王たちをギュッと抱いてしまった。
聖界での千年の最後に、俺は友人を得ることができていたらしい。
それに気付くことができてから、俺は堕ちる前の彼らの姿を思い出してもゲロを吐かなくなっていた。
俺とシノビのやり取りを見て危険がないと判断したのか、ハクラギが刀を鞘に収める。ヒュンヒュンって回して、パチっと収める動きがかっこよすぎて死ぬ。あと五億回くらい見たい。
こうして彼の姿を見るのも、式典以来だった。
あの式典の後、豆鉄砲で全身に穴が空いた鳩みたいな顔から戻ってこないハクラギを何とか現実に戻して。さすがに身振り手振りでは無理があったので、そこでようやくノートとペンを用意して意思疎通を行った。ちなみに場所はママ上の自室だった。俺の部屋が城にはなかったからだ。あと、ママ上の部屋には美味しいお茶があるから。
ママ上に『部屋貸して』と書いて見せると「別に構わんが、散らかすでないぞ」と言われたので、ハクラギの手を引いて連れて行った。ハクラギは「いや、無理無理。陛下の部屋に皇子と二人とか無理です」って敬語でずっと言ってたけど、ぶっちゃけ俺の方が強いから引き摺って連れて行った。
ママ上の部屋には、パパ上とママ上が睦まじく寄り添っている小さな絵が飾られている。ただし『とある、クソ忌々しい術の効果』によりパパ上の顔は塗りつぶしたような黒い穴になっていて、見ることはできない。ちなみに俺に連れてこられてちょっと諦めムードのハクラギに「陛下の隣に描かれている方は…?」と聞かれたので、『パパ上。冥界に封印されてる』と書いて答えたら絶句していた。なんでだよ、ハクラギだって、魔帝ノクルドと人界の聖女のハーフじゃないか。似たようなもんだよ。
座りたがらないハクラギを無理やりテーブルにつかせて、ママ上のカップを勝手に使ってお茶を出す。
そこで今後についても含めて色々と話をして。俺はハクラギから一つの約束を取り付けた。
それは、今までと同じ態度で俺と接すること、だ。
それはもう嫌がられて、最後まで渋られた。ついには「魔皇国の皇子であられる方に、そんな真似ができるはずないだろう!わがままを言うんじゃない!」と、普通に叱られた。ちょっと面白かった。
そんなハクラギを色んな角度から説得して、やっと何とか納得させることができた。
その後は、今日まで会わずじまいだ。
ハクラギは最高指揮官として、魔界を不在にする間の引き継ぎがあったし、俺も色々準備をしてたから、すれ違いの連続で顔を合わせる機会さえなかったのだ。
久しぶりのハクラギ成分だ。存分に味わいたい。さっきとか、守られちゃったしー。えへへ。かっこよかったー。
オブシディオン魔皇国軍最高指揮官と魔皇エルヴァイラの眷属の出会い頭の衝突は、ベッド八台という小さな被害で終わった。放っておけば兵舎周辺が更地になっていただろうから、止めてあげた俺は優しい。
そもそも原因が俺だった。
〈若、こちらにそれがし特製の七つ道具を収めた袋をご用意しました。人界でお役立てください〉
いつもの雰囲気に戻ったシノビが、小さな革袋を渡してくれる。
収納術をかけているらしく、中を覗くと、大きな物から小さな物まで色々と見えた。
……歯ブラシとコップがある。あれが七つの内の二つだったら嫌だな……。
歯ブラシが入った七つ道具の袋を差し出したシノビが、数歩下がり〈しからば、これにて〉と頭を下げる。
次の瞬間、目にも止まらぬ速さで姿がかき消えた。
だから、俺でも見えないの怖すぎるんだって。
千年経っても底が見えない魔族だなぁと思いながら貰ったばかりの革袋を自分の収納に片付けていると、ハクラギが何とも言えない表情をして俺の方を見ていた。
……あぁ。すっごく強いよね、あの人。移動距離と召喚時間の制限がなければ、あの人とママ上だけで魔界征服できるんじゃない?とさえ思う。
でもそんな顔しなくても大丈夫だよ。長く生きた魔族は、それだけで強いものだ。
だからまだ二百歳の若いハクラギが気にすることはない。
それを伝えたくて、ノートに書く。
『シノビは、ママ上の眷属の中で一番強くて一番年寄りだから。大丈夫、ハクラギも強いよ』
俺の言葉を見たハクラギは。
少しだけ困ったように笑って、それから俺の頭を撫でてくれた。
好きっ!




