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ミッドナイト・フォーチュンテラー  作者: 藍内 射尾
閑話:盛夏の避難所

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大アルカナと愚者の謎

大アルカナと愚者の謎


 美術室の空気が、少しだけ緊張を孕んだ。

 僕が占術道具を作業台に広げると、周りに集まっていた美術部員たちの視線が、一斉にタロットカードの束へと注がれる。キャンバスや画材の匂いが混じる室内に、妙な静けさが漂った。


 「じゃあ、誰か最初に占ってもらいたい人は?」

 天野が軽い調子で促すと、昨日図書室に来た男子部員が、少し躊躇いがちに手を挙げた。


 「……俺、いいですか」

 「もちろん。何を占いたい?」


 「進路のことで」

 彼は苦笑しながら後頭部を掻いた。

 「美大に行くか、普通の大学に行くか、まだ決めきれなくて。親は安定した道をって言うし、でも俺は絵を続けたい。天野先輩みたいに、自分の作品を世に出したいんです」


 天野が「おいおい」と照れくさそうに笑う。

 僕はカードを彼の前に差し出した。


 「シャッフルして。心を落ち着けて、自分の問いに集中しながら」


 彼がカードを受け取り、ぎこちない手つきで混ぜ始める。その間、天野が手元のスケッチブックをパラパラとめくりながら言った。


 「そういや藤崎、このデッキってさ、力が8番で正義が11番だろ。でも前に資料を漁ってたとき、逆のパターンも結構あったんだよな。どっちが正しいんだ?」


 「どちらも正しいよ」

 「……それ、答えになってるか?」


 「なってる」

 僕は軽く笑った。

 「タロットには複数の体系が並存してる。歴史が古いマルセイユ版では正義が8番、力が11番。僕たちが使ってるライダー版では入れ替わって、力が8番、正義が11番になってる」


 「なんで入れ替えたんですか」

 傍らに立っていたしおりが、メモ帳を取り出しながら訊ねた。いつの間にか観察モードから切り替わっている。


 「星占いの順番と同じ方が、占われる側もイメージしやすいから、というのが一つの理由だよ」

 「星占い……黄道十二宮ですか」

 「そう。獅子座が力のカードに対応して、天秤座が正義のカードに対応する。その順番で並べると、マルセイユ版では天秤が獅子より前に来てしまう。それが体系としてちぐはぐだった」


 しおりは眉をひそめた。

 「……先輩、それは随分と曖昧な理由ではないですか。体系を組み替えるならもっと厳密な根拠が必要なのでは」


 「むしろ曖昧じゃなきゃいけないんだよ」

 僕はしおりの方を向いた。

 「厳密さを求めるなら、それはもう占いじゃなくて統計学だ。タロットの象徴は、ぴったりはまらないからこそ、読む人と問いの間に余白が生まれる。その余白に意味が宿るんだ」


 しおりはしばらく何かを考えるように押し黙り、それからメモ帳に何かを書き付けた。反論は来なかった。


 男子部員がカードを混ぜ終え、差し出してくる。

 僕はそれを受け取り、三枚引いて横一列に並べた。スリーカードスプレッド――過去、現在、未来を示す基本の配置だ。


 「左が過去。君がここまで歩んできた道」

 一枚目をめくる。


 『愚者』。


 スマホ片手に崖から踏み出す少年の絵が現れた。天野が描いた0番のカード。


 「愚者……」

 男子部員が息を呑む。


 「悪い意味じゃない」

 僕はカードを指先で軽く押さえた。

 「愚者は0番。大アルカナの始まりであり、全ての可能性そのものだ。君は何も知らない状態から、純粋な情熱だけで絵の世界に飛び込んできた。それがここに出てる」


 「……そうかもしれないです。気づいたら絵を描いてて、気づいたら美術部に入ってた」

 「うん。それが愚者の旅の始まりだ」


 二枚目をめくる。

 『正義』。天秤とペンを持つ女性。


 「現在は正義。バランスと選択の時。君は今、二つの道の重さを測っている。どちらが正しいかじゃない。どちらを選ぶかは、君自身の価値観次第なんだ」


 「……はい」


 三枚目をめくった。

 『力』。少女が小さなライオンを優しく撫でている。


 「未来は力。内なる強さ、自制と優しさ。どちらの道を選んでも、君は自分の選択を信じて進む力を手に入れる。周りの声に流されない強さを」


 三枚のカードを見渡した。

 「愚者から正義へ、そして力へ。無邪気な飛び込みから始まって、今は冷静な判断の時。その先に、自分を信じる強さが待っている」


 男子部員はしばらくカードを見つめていた。やがて小さく息を吐いて、顔を上げる。


 「……ありがとうございます。なんか、整理できた気がします」

 「整理できれば十分だよ。答えは君が出すものだから」


 彼は少し晴れやかな表情で、天野の方を見た。

 「俺、美大受けます。親ともう一回ちゃんと話してみる」

 天野がニヤリと笑う。

 「おう。後輩が増えるのは大歓迎だぜ」


 僕がカードを回収していると、しおりがまた口を開いた。


 「……先輩、先ほどの愚者なんですが」

 「うん」

 「0番と言いましたが、このカードだけ番号の付き方が違いますよね。1番の魔術師から始まるのではなく、なぜ0から?」


 僕は『愚者』のカードを手に取った。


 「愚者は特殊でね。0番として旅の始まりに置く解釈もあるけど、22番として全カードの後ろに置く解釈もある。あるいは番外扱いで、どこにも属さないとする考え方も」

 「……どこにも属さない?」

 「22枚の外側にいて、全てのカードの間を自由に行き来する。そういうイメージだ」


 しおりは眼鏡を押し上げた。

 「どこにでもいて、どこにもいない……それは象徴として意図的にそう設計されているんですか? それとも後付けの解釈ですか?」


 「両方だよ」

 僕は笑った。

 「象徴ってそういうものだから。作った人の意図と、受け取った人の解釈が重なって、意味が育っていく」


 天野がスケッチブックを閉じながら言った。

 「俺も愚者を描くとき一番迷ったんだよな。どこにでもいる感じって、どう絵にするか」


 「でも上手くいったと思う」

 僕は天野が描いた愚者を見つめた。

 崖から踏み出す瞬間の、あの一歩。


 「スマホを持って飛び出す少年。現代の僕たちはいつでも愚者になれる。新しい一歩を踏み出す、その瞬間に」


 天野は少し照れたように首の後ろを掻いた。

 「象徴の意味を理解して描かないと嘘になる。でも、理解しすぎると絵が固くなる気がしてさ。自由が失われるっていうか」


 「バランスだよ」

 僕はカードを束に戻した。

 「象徴の本質を掴みながら、自分の解釈で自由に表現する。それが創作だ。占いも同じ」


 しおりがメモ帳のページを一枚めくった。

 何かを書いて、少し考えてから、また書き足す。


 「……小説も、同じかもしれません」

 独り言のような、小さな声だった。

 「感情という、形のないものを言葉で表現しようとするとき。本質を捉えながら、でも厳密にはなりすぎないで」


 僕は少し驚いてしおりを見た。

 彼女は相変わらず無表情だったが、メモ帳に落とされた視線には、何かを掴みかけた真剣さが宿っていた。


 窓の外では、蝉の声が降り注いでいる。

 美術室での占いは、まだ続きそうだった。


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