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ミッドナイト・フォーチュンテラー  作者: 藍内 射尾
閑話:盛夏の避難所

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盛夏の避難所

 七月下旬。夏休みに入って一週間が過ぎた。

 連日の猛暑日を記録する外の世界とは裏腹に、校舎の北側に位置する図書室は、ひんやりとした静寂に守られている。

 夏休み期間中も開放されているこの場所は、受験勉強に励む三年生や、行き場のない文科系部員たちにとっての避難所(シェルター)となっていた。


「……んっ、くぅ……」


 静謐な空気の中に、やけに艶かしい――いや、苦しげな唸り声が混じる。

 僕が視線を上げると、閲覧机の向こう側で、朝倉優子ちゃんが奇妙なポーズをとっていた。椅子に座ったまま上半身を極限まで捻り、さらに片足を高く上げている。手には英単語帳が握りしめられていた。


「……朝倉先輩」

 僕の隣で、原稿用紙にペンを走らせていた瀬戸しおりが、眼鏡の位置を直しながら冷ややかな声を上げた。

「脳への血流を促して集中力を高めようという意図は、生理学的には理解できます。ですが、ここでやるのはやめていただけますか。(ハウスダスト)が舞います」


「えー? だって、じっとしてると眠くなるんだもん」

 優子ちゃんは「ふぅー」と息を吐きながら、軟体動物のように体を元の位置に戻した。

「インターンで体動かしてばっかりだからさ、机に向かうと筋肉が『動かせ』って暴れ出すんだよ。これくらい許してよ、しおりちゃん」


「許容できません。私の呼吸器系と、原稿用紙の衛生状態に関わります」

 しおりは容赦なく切り捨て、再び手元の小説執筆に戻った。彼女は夏休み中、文芸部の部誌を完成させるために毎日ここに通い詰めている。


 僕は苦笑しながら、自分の夏休みの宿題――現代文のワークを閉じた。

「優子ちゃん、ストレッチもいいけど、周りの迷惑にならない程度にね。……それにしても、今日は人が多いな」


 ふと気配を感じて入り口の方を見ると、数人の生徒たちがこちらをチラチラと見ていた。

 男子生徒と女子生徒の二人組が、意を決したように近づいてくる。


「あの……晶センセ、ですよね?」

 男子生徒が、少し照れくさそうに声をかけてきた。


「……センセ?」

 聞き慣れない呼び名に、僕は眉をひそめる。


「あ、やっぱり! 噂通り、図書室にいるんだ」

 女子生徒の方が目を輝かせた。

「美術部のグループチャットで回ってきたんですよ。『夏休み中、図書室に行けば藤崎先輩が店を開いてる』って。晶センセに相談すれば、進路も恋もスッキリするって評判ですよ?」


「店を開いてる……?」

 僕は呆気にとられた。確かに期末テスト前、ここで優子ちゃんやしおりの勉強を見ていたけれど、それがいつの間にか「営業中」という噂に変換されて広まっていたらしい。


「えっと、今はただ宿題をしてるだけで……」

「えー、そうなんですか? じゃあ、また出直してきます! ……行こう、また明日だって」

「お、おう。邪魔してすいませんしたー」


 二人は残念そうに肩を落とし、それでもどこか期待を残した目で僕を一瞥して去っていった。


「……はぁ」

 僕は深い溜息をつき、椅子の背もたれに体を預けた。

 静かに宿題を片付けるだけの夏休みは、どうやら早くも終了したらしい。


「……明日からは、筆記用具だけじゃなくて、占術道具(しごとどうぐ)も必要かな……」


 僕が独り言のように呟くと、隣のしおりがペンを止めずにツッコミを入れた。

「完全に営業する気満々じゃないですか。需要があるからといって、公共の場を私物化するのは感心しませんね」


「私物化じゃないよ。……求められるなら、整理するのが僕の性分だから」

 僕はしおりの手元、何度も書き直された跡のある原稿用紙――白い布地(キャンバス)のような紙面をチラリと見た。そこには、彼女なりの「感情」を探す苦闘の跡が刻まれている。


「……瀬戸さん。その『悲しみ』の描写、無理に言葉で埋めようとしないで、少し空白を作って待ってみたら? 読み手がそこに、自分の感情を重ねる隙間ができるかもしれない」


「……余計なお世話です。……ですが、一考の余地はあります」

 しおりは不貞腐れたように言ったが、そのペン先は少しだけ滑らかに動き出したようだった。


 窓の外では、蝉時雨(せみしぐれ)が降り注いでいる。

 僕の静かな夏休みは、明日から少し騒がしくなりそうだ。




 次の日。僕は気が向いて、筆記用具と一緒にいくつかの占術道具(ツール)をバッグに詰め込み、美術室へと向かうことにした。

 なぜか、隣にいたしおりも当然のような顔をして付いてくる。


「……なんで先輩が美術部に? 昨日の今日で、そんなに節操なく営業範囲を広げるつもりですか」

「人聞きが悪いな。昨日部員たちが尋ねてきたしね。それに今の時期は美術部、一年で一番忙しいんじゃないかな――聖戦(コミケ)の準備で」

聖戦(せいせん)? 宗教戦争の類ですか。語彙の選択が不穏すぎますが、そもそも何故美術部員にまで先輩の存在が知られているんです?」


 僕はバッグを肩にかけ直しながら、美術室へと続く階段を上る。確かに、しおりの疑問はもっともだ。図書室の幽霊部員である僕と、油彩の匂いが漂う美術室には、本来接点などないはずなのだから。


「それはね、僕が一年の頃に美術部のサークル誌に協力したからだよ」

サークル誌()……? 美術部がそんなものを?」

「正確には、美術部の一部員が主宰している同人サークルだけどね。コミックマーケットで頒布する作品集に、僕がタロットカードのデザインアイデアを提供したんだ」


 階段を上りきり、廊下の突き当たりにある美術室のドアが見えてくる。

 中からは賑やかな声と、絵具や紙の匂い、そして独特の焦燥感(ねつ)が漏れ出していた。


「……よう。昨日は後輩が済まないな、藤崎」

 ドアを開けると、作業台の前で筆を走らせていた長身の男子生徒――天野貞明が顔を上げた。


「やぁ天野。別に宿題をこなしていただけだから問題ないよ。せっかくだから今日は出張しにきた」


 僕の姿を認めると、周囲で大きな画架(キャンバス)に向かっていた美術部員が何人かこちらに集まってくる。昨日図書室に来た二人組の姿もあった。


「(くいっくいっ)……結局、なんでこんなに人気なんですか、先輩」

 しおりが僕の袖を引っ張り、小声で囁く。


「別に僕が人気なわけじゃないよ。でも、答えはこれかな」

 僕はバッグから、使い込まれたタロットカードの束を取り出した。


「先輩のタロットカード……? 既製品じゃないんですか」

「これをデザインしたのが彼、天野貞明(あまのさだあき)なんだ」


 天野は照れくさそうに後頭部を掻いた。

「いや、デザイン原案は藤崎だよ。俺はそれを絵に起こしただけだ。大アルカナ(カード)の象徴を現代風にアレンジするって発想が面白くてさ。あれは一年の文化祭前だったか?」


「そう。僕が『もっと使いやすいタロットが欲しい』って言ったら、天野が『じゃあ描いてやるよ』って」

 僕はカードを一枚、しおりの前に提示した。『愚者』のカード――そこには、スマホ片手に崖から踏み出そうとする、現代的な若者が描かれていた。


「このカードが美術部のグループチャットで話題になってて」

 昨日の女子生徒が嬉しそうに言った。

「『晶センセが使ってる不思議なカード、実は美術部員の天野先輩が描いたやつだ』って。それで私たち、実物をもっと見たくなっちゃって」


「……なるほど。つまり先輩は、美術部の『聖戦』とやらに以前から加担していたわけですね」

 しおりは呆れたように眼鏡を押し上げた。


「加担っていうか……まあ、創作活動の一環だよ。整理屋としても、彼らの描くイメージを整理するのは興味深かったしね」


「そういうこと。で、藤崎。今日は何の用だ? まさか本当に『出張占い』か?」

 天野が面白そうに訊く。


 僕は占術道具を作業台の空いたスペースに広げた。

「せっかく来たんだ。悩みがあるなら聞くよ。創作の行き詰まりとか、進路の迷いとか――この時期の美術部なら、そういう(よど)みがあるだろ?」


「あー……実は、ちょうどいいタイミングかも」

 一人の部員が、すがるような目で手を挙げた。


 こうして、夏の美術室での即席占いセッションが始まった。

 窓から差し込む強烈な夏の日差しの中、僕は再び『整理屋』としての役割を引き受けることになる。


 しおりは傍らで、僕がカードを繰る手元を、まるで未解明の数式でも観察するような目で見つめていた。


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