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ミッドナイト・フォーチュンテラー  作者: 藍内 射尾
夕立の分岐点

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雨上がりの再会、あるいは鴉の休息

 雨上がりの再会、あるいは鴉の休息


 五月も終わりに差し掛かり、夜の空気はいよいよ湿り気を帯びてきた。

 今夜の光が丘公園は、夕方に降ったにわか雨のせいで、重たい土の匂いに包まれている。


 「……ん。ちょうどいい温度だ」


 僕は新しく組み込んだ冷蔵ユニットから、冷え切った瓶入りの炭酸水を取り出す。トランクの駆動音は驚くほど静かで、夜の静寂に溶け込んでいた。


 並木道の入り口から、二つの人影が近づいてくる。

 あの日と同じダボついたパーカーを羽織った少女と、彼女の背中を支える母親だった。少女は僕の前で立ち止まると、少し照れくさそうにフードを脱いだ。


 「……お兄さん、これ。お礼」

 彼女が差し出したのは、市販の焼き菓子の小さな袋だった。

 「お母さんと話したよ。バラバラになっても、やり直せるって、少しだけ……少しだけ思えたから」


 「ありがとうございます。大切にいただきますね」

 母親に促され、少し晴れやかな顔で去っていく少女。その背中を見送りながら、僕はあの日トレイに残った「氷の芯」を思い出し、自分の胸の中にある決意を再確認していた。


 「……さて」

 菓子袋をトランクに仕舞おうとした時、並木道の奥から、場違いなほど洗練された気配が近づいてくるのに気づいた。


 カツン、カツンと、アスファルトを叩くヒールの音。

 街灯の下に現れたのは、夜の公園には不釣り合いな、都会的な服を着こなした女性だった。

 長い髪を無造作にまとめ、気だるげに周囲を見回す瞳には、強い意志と、それを上回る濃い疲労が沈んでいる。


 彼女は僕のトランクと、ローブ姿の僕をじろじろと眺めると、ふっと片方の口角を上げた。

 「……なるほど。あのアナログとデジタルの二枚舌……ママが、わざわざ『光が丘に面白いのがいる』って自慢してた理由が、少しだけ分かった気がするわ」


 その声を聞いた瞬間、僕の脳裏に、先日紫師匠の事務所で見せられた配信の音声が重なった。アンニュイで、どこか他人を突き放すような、けれど耳に残るアルトの声。


 「その声……。SRCの、黒鴉モリガンさん……ですか?」

 僕が問いかけると、彼女は少し意外そうに眉を上げた。

 「あら、生身の私を見ても気づくなんて。あのアバターを被ってない私を見分けるのは、ママか、よっぽどのマニアくらいだと思ってたけど」


 「先日、紫師匠に……いえ、ママに。無理やり皆さんの配信を見せられたんです。『自慢の家族』だって、すごく嬉しそうに話していましたから」


 僕は彼女に向き直り、藍色のローブの裾を整えてから、静かに一礼した。

 「はじめまして。紫師匠の教え子で、ここで『整理屋』をしています。……藤崎 晶といいます」


 「……丁寧ね。ママの教育が行き届いてるのか、あんたの素行がいいのか」

 彼女――モリガンは、毒づきながらもどこか満足そうにベンチに腰を下ろした。

 「いいわよ、晶。私も今は、ただの『疲れた社会人』としてここに座ってるだけ。名乗りなんて、ただのタグ付けに過ぎないしね」


 彼女は背もたれに深く頭を預け、湿った夜空を見上げた。

 「……ねえ、整理屋。あんたのところは、中身の詰まってない空っぽなデータでも、並べ替えてくれるのかしら?」


 その言葉は、配信での彼女の「強さ」とは裏腹に、ひどく脆く響いた。

 僕は何も言わずにトランクを開け、特別に冷やしておいた、混じり気のない炭酸水にライムを絞って差し出した。


 「お代は結構です。師匠の身内からお金を取ったら、後で何を言われるか分かりませんから」

 僕は冗談めかして言いながら、彼女の前にグラスを置いた。

 「ただ、もしよろしければ、少しお話を聞かせてください。……その方が、あなたの『整理』も早そうです」


 モリガンは薄く目を開け、僕が差し出したグラスを黙って受け取った。

 その指先が、冷たいグラスに触れて微かに震えているのを、僕は見逃さなかった。

 モリガンの瞳に、初めて見る『脆さ』が宿っていた。




 「――はい、それじゃあ始めるわよ。今夜は雑談の予定だったけど、予定変更。ちょっとした│重大発表アナウンスがあるから、耳の穴かっぽじって聴きなさい」


 光が丘の夜風に吹かれたあの日から、数日後。

 SRC専用スタジオのモニターに、アンニュイな表情を浮かべた│黒鴉の女神モリガンのアバターが映し出される。画面を埋め尽くすのは、彼女の登場を待ちわびた数万人の│信徒リスナーたちのコメントだ。


『きたああああ!』

『重大発表? ついに運営と喧嘩か!?』

『どうせまたエグい企画だろ、震えて待つわ』


 「喧嘩? 滅相もない。私はあの│女王スカアハを隠居させて、私がこの│影の国《SRC》の全権を握るその日まで、忠実な│一番弟子《プロデューサー志望》として尽くしてあげるわよ」

 モリガンは鼻で笑うと、画面の端に「GEAS」の文字を躍らせた。

 SRCの伝統にして、演者を縛る絶対的な│誓約ゲッシュ


 「今夜のゲッシュはこれよ。――『私は一ヶ月以内に、SRC内の│疲弊したデッド・データを完全に再生させ、同時接続数十万を達成する』。……もし達成できなかったら、│スカアハ《ママ》の前で一時間の│公開土下座ドゲザ・ストリーミング。プラス、一週間、ママの│雑用係サーバントに完全降服する。……いい? 『プロデューサーになりたい』なんて夢は全部捨てて、一生ママの靴を磨いてお茶を淹れるだけの│出来損ない《パシリ》に戻るってことよ」


 画面が、かつてない速度で流れ始めた。

『土下座配信一時間www』

『モリガンのプライドが粉々になる罰ゲームで草』

『プロデューサー権を賭けた大勝負かよ、熱いな』


 「……再生させるメンバー? 決まってるじゃない。最近、たるみきってるあの二人よ。……│寝落ち常習犯クーと、│素直になれない氷の戦士アイフェ。あいつらを徹底的に鍛え直して、私の│最高傑作マスターピースに仕上げてあげる。これが成功したら、ママも私を│運営側プロデューサーとして認めざるを得ないでしょうしね」


 モリガンは椅子の背もたれに深く体重を預け、どこか投げやりで、けれど熱い光を宿した瞳でカメラを見据えた。


 「具体的なプランを言うわよ。まずクー。あいつの『弟キャラ』は武器だけど、今のままじゃただの│愛玩動物ペットよ。二十四時間耐久配信を完走できる│不屈の精神メンタリティを叩き込む。……アイフェは、あの無駄に高い│氷のプライドを一度ぶち壊して、リスナーを文字通り『溶かす』ような、本気の│姉貴分アネゴへ進化させるわ。……一人で潰れるくらいなら、使える駒を最強に磨き上げる。それが私の│鴉の戦略レイヴン・ストラテジーよ」


 コメント欄には、対象となった二人のファンからの悲鳴と、それ以上の期待が渦巻いていた。

『アイフェのデレを公式で見れるのか!?』

『モリガン様マジで鬼軍曹』


 「……ふん。あいつらが這い上がってこれたら、私の負担も少しは減るでしょうしね。……それに、最近ちょっと気になる│白紙の才能ニューフェイスも見つけちゃったし。……まあ、そっちはまだ、私の│秘密の切りシークレット・カードだけど」


 モリガンは一瞬だけ、占いでもらった「白樺」の言葉を思い出した。

 公園のベンチで見た、あの少年の静かな瞳。そして、彼が守ろうとしていた、あの「空っぽ」で、だからこそ何色にでも染まる可能性を秘めた少女の気配。

 (……あの子を私が│プロデュース《育成》できれば、面白いことになるんでしょうけど。……今はまだ、あの整理屋が手放さないわよね)


 「さて、能書きはここまで。今夜はこれから、震えて眠っているであろうクーを逆凸で叩き起こして、強制的に│契約成立ゲッシュ・コンプリートさせてあげるから、覚悟しなさいよ」


 配信の終了間際、モリガンは手元の端末を操作し、一通のメッセージを送った。

 宛先は、光が丘の「整理屋」。


『お代は、私の│再生リザレクションで払ってあげる。……失敗してパシリに戻る私を見たくなかったら、せいぜい祈ってなさい。――Morrigan』


 端末を放り出し、彼女は再び、戦場という名のマイクに向き直る。

 五月の重たい湿気を吹き飛ばすような、│鴉の挑戦者《プロデューサー志望》としての咆哮が、深夜のネットの海に響き渡った。


 その頃、公園でトランクを閉じていた晶は、届いた通知を見て小さく苦笑した。

 「……失敗なんて、する気がないくせに」


 空を見上げれば、月はすでに雲に隠れ、雨の予感だけが色濃く漂っていた。


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