アケーシュの埋葬
魂や存在に関するうんちく再び。
魔導師となったレギの思索にお付き合いください……。誰にでも理解できる内容ではないと思います。神智学とか人智学という言葉が出る本を読んだ事がある人ならなんとなく理解できるかもしれません。
鬱蒼とした森の入り口は、月が照らす雪景色から、暗い魔窟へと通じる裂け目を思わせた。
命を失った少女の体を抱えながら、その闇へと足を踏み入れる。冷え切った体を包む森の冷気は、俺の魂までも凍らせる死の気配を漂わせていた。
だがその感覚は、俺の生命力が限界近くまですり減っている為の、幻覚に似たものだと理解していた。
上位存在となったディオダルキスが与えてくれた死の力を利用して、自らの肉体をその怨念の送り込む憎悪で強化していたのだ。本来なら霊体に損害を受け、思考は狂気の波に呑まれて人格を失っていてもおかしくはない。
死導者の霊核を取り込んでいる俺には防げたが、あの力を利用しようとする魔術師が居るなら、細心の注意を払って対処しなければ怨念に精神を侵され、人間性を消失した怪物に成り果てるだろう。
殺人衝動に溺れた殺人鬼になるだけでなく、あるいは肉体をも変質させて、文字通りの怪物になる可能性もあった。
「もう二度と、あの力を頼りたくないものだ」
復讐と死を司る神の力のお陰で、俺はディオダルキスとシグンという二つの幽鬼兵を新たに手にしてしまった。
それは俺の中にあった魂の記憶から作り出されたものだった。死導者の力を使えば幽鬼兵も作り出せる事は、可能性としては理解していた。
この力を利用すれば、無尽蔵に死者の記憶から幽鬼兵を作り出せる。──当然それだけの魔力や霊質を用意しなければならないが──
森の奥に向かいながら、木々の間を歩き続けた。針葉樹の多い場所は地面が剥き出しになっており、雪はなかったが、場所によっては霜が降りていた。
「そろそろいだろう」
俺は次元転移魔法を使用する為に集中した。
右目の痛みが魔法への集中を邪魔していたが、なんとか魔法を構築し神霊領域へ移送した。
淡い光に包まれて神霊領域に来ると、俺はまず芝生の上にアケーシュの亡骸をそっと置き、円匙(シャベル)を取りに行く。
すでに体力の限界を迎えていた。目眩がし、片方だけになった視界がぼやける。
それでもなお俺は円匙を手にすると、水晶の様な花を咲かせる花畑の中に穴を掘り始めた。
花の一部をどかして横長の穴を深めに掘る。
気力を振り絞ってその作業を始めてから、かなりの時間が経過した。単純作業のかたわらで今後の事について考えようとして、俺は穴掘りの作業を一時中断し、神霊領域を東へ──モーゲンの町がある場所の近くに移動させる事にした。
そこのギルドで死霊術師の討伐に失敗した事を報告し、仲間たちは全滅したと告げるのだ。
もちろん嘘で塗り固めた報告をするのだが。
魔導人形に神霊領域を移動させるよう指示を出し、庭園の中央に向かわせた。
薬草栽培をしていた人形が歩き出すのを見て、俺は再び穴を掘る作業に取り組んだ。
この作業を魔導人形に任せる訳にはいかなかった。
アケーシュの遺体を埋葬するすべての行程は俺が為さなければならない。そう決めていた。
彼女の信仰していた神とは違う系統の神だろうが。この神霊領域は世界を監視、あるいは傍観している上位存在に関わる領域なのだ。地上の俗的な神ではない、本物の──ある種の疑念は尽きないが──神が遣わした、高次の霊的な領域なのである。
「アケーシュの霊魂が、神にもっとも近い場所にゆけるようにな」
俺のささやかな願いを彼女はどう思うだろうか。自らの命を奪った者がする慈悲を、もしかすると彼女は拒絶するかもしれない。
ここに彼女の遺体を埋葬するというのが自己満足に過ぎないとしても。アケーシュがそれを望まないとしても。それでもこの行為は、俺が彼女に対してできる最大限の詫びなのだ。
そうして時間をかけて穴を掘ると、穴の底に上等な絹の布を敷き、その上にそっとアケーシュを横たわらせた。直接土を被せるのは躊躇われたので、彼女の上にも絹の布をそっとかけてから、手で土を彼女の足に乗せていった。
下半身に土を被せると一旦その場を離れ、手を洗ってから花を摘みに行く。花壇はすでに地上の花が植えられ、それらが魔導人形の手によって色鮮やかに咲いていた。
花壇はいくつかあり、薬草や香草が植えられている花壇もある。
俺はそうした物を一つ一つ丁寧に採取し、神々の花である水晶の花弁を持つ花もいくつか採ってそれを花束にすると、アケーシュの胸元に置いた。
「さようなら。アケーシュ」
少女の上に土をかけていく。両手でそっと、時間をかけて丁寧に。彼女との別れを惜しむように。
彼女が埋葬された盛り土の上に、よけておいた水晶の花を植え直す。
こうしてアケーシュの墳墓を飾ると、盛り土のてっぺんに大きな宝石の原石を立てて置いた。さらにその周りに水晶や宝石の原石を配置する。
たくさんの石と花で飾られた墳墓を作ると、俺はその場を離れ、丘に向かう途中で────意識を失った。
* * * * *
泥濘に沈み込むような感覚に溺れ、俺は闇の中に静かに落ちていった。
苦痛から、苦悩から解放される闇に落ちてゆく。
俺の霊魂は肉体から一時的に遊離し、自らの内部に向かって落ちていった。
意識はぼんやりとしていたが、それが内在的な意思の本質部分なのだと理解するわずかな時間。曖昧だった闇の中に、小さな光が見えてきた。橙色に燃える火。そのすぐそばに立っていた。
目の前には焚き火があり、その周囲には無限の闇が広がっていた。
その薄暗い闇を照らし出す炎の近くに数人、数十人の人影が座り込んでいる。
それらは俺が手にかけたレファルタ教の連中だ。
大男のバルザーや騎士団長。多くの兵士や神官の姿があったが、アケーシュの姿がない。
ここは間違いなく死者の領域であり、俺の身近に居た者たちの霊魂が集う場所であるはずだ。にもかかわらず、彼女の姿がどこを探しても見つけられなかったのである……
「どういう事だ」
彼女が生きている事はあり得ない。間違いなく死んでいた。しかし────
周囲に居る死者の霊魂は焚き火を見つめてじっとしている。彼らには自我はなく、もともとの霊魂の一部がここにあるようなもので、それらは魂の影のようなものなのだ。
死によって切り離された霊的な力の一部がこの領域に集められ、死導者の力に取り込まれる。
そもそも人間の魂は、いくつもの体を持っているのだ。
物質的な肉体に重なるようにある霊体の他にも、魔力体や幽体など、異なる次元世界との繋がる役割を持つ霊的な体が存在する。
それらを貫く一本の存在の中心。それが魂なのだ。
複合的な霊的総体を一つに纏めている力。何層にもなる次元の層を貫く一本の柱。あるいは幹。それが魂であり、存在の根源的な中心である。
魂自体に意思がある訳ではなく、魂とは存在の根源としてただ在るのみなのだ。
そこから意思が誕生する原因はおそらく「生命」にある。
この存在の中心であるものとは、あらゆる世界と結びつくがゆえに、それは世界そのものとなる。
生命に触れた存在の柱は、意思を宿すものを顕現させる。──生存と進化という生命の法則に当て嵌めた結果、自我という精神の形態が形成される──それが生き物が自我を持つ理由だと思われる。
下位世界と上位世界の決定的な差異である生命による生と死の循環は、そこに生存するものに個体としての自我と、種族としての意思(無意識)領域を重ね合わせて有する「精神」を獲得させる。
精神は外部の世界に触れ、それによって自らを形成する。それゆえに物質界にある精神は(根源的には)上位世界とも繋がりを持ってはいるが、多くの場合そこから遠く離れてしまう。
高次元に繋がる存在の根源は、その上位世界から遠ざかった分だけ、その周囲に余分な汚れを纏う。それが地上の肉体ともなれば、精神的なものと肉体的本能との背反する志向の狭間で分裂し、無駄な軋轢や束縛を負うのである。
多くの者が頼みにする宗教は、大抵この高次元の説明に腐心し、曖昧な表現や表象(象徴)で示そうとするのだが。それが万人にとって共通する(霊的な)なにかであるという保証も得られず、やがては地上世界にそれが到来するなどという盲信に変わるのだ。
立ち返るべき正道を見失った者は地上に自らの安住の地を求め、それが結局のところ争いを生む。
彼らは当然、下位世界の中に留まって自我を失うのだ。
下等な自我(感情、欲望に染まった精神体)は上位世界に還る事はない。下位世界の中で自我は消滅する。
けだし、下位世界で上位世界の観想に努め、上位世界の理に触れた者は、上位世界へ至る扉を開く鍵を手に入れる可能性がある。──錬金術師レァミトゥスのように──
そう考えると、アケーシュが死者の領域にある焚き火の周りに居なかったのは、彼女の霊魂が下位世界の楔から自由になれたという事なのだろうか。
あの少女は実は優れた魔導師で、存在の根源的法則に精通していたのだろうか。それで転生を果たすか、あるいは上位世界への昇華を……
いやいや、それはないだろう。
いくらなんでもあの危機感のない少女が優れた魔導師であるはずがない。
魔導の道は危険に満ちた道である。精神的、霊的な破滅を経験した達人も居る。
その世界で彼女が生きてきたとは考えづらい。
なら────、
彼女の姿が見えない理由について臆測を広げ始めたところで、もう一つの問題を思い出した。
その直後、その問題との接点が残されているのを感じた。それどころか、その存在がある高次元領域へと通じる扉が開いているのを知った。
繋がりを維持しているのはこちらではない。
つまり招いているのだ。自分の領域へ来る事を。
「罠──という訳ではないだろう」
わざわざそんな真似をするような存在ではないはずだ。こちらに敵意があるなら、とっくにこちらに攻めて来ているだろう。
「いいだろう。会いに行ってやる」
むろんいつでも逃げられるよう手段を構築しておくが。
ディオダルキスを取り込んだ、復讐と死を司る上位存在。それはあらゆる世界と繋がる神霊。人間の否定的な部分に関わる上位存在。怨念と憎悪の権化とでも言うべきもの。人類の生み出したそれらの感情の集合体。
「復讐者の神」を名乗っていた魔神ファギウベテスのような欺瞞的な神ではない。本質的な権能を有する、本物の上位存在なのだ。──ファギウベテスは個人的な復讐心を利用する魔神であったが、復讐の神は復讐心を抱く者すべてにとっての神なのだ。
「鉄器創幻」の魔法を入手する際に召喚した神霊に近い存在。
究極的な力の根源。
それには理想も理念もない。
ただ在るがままなのだ。
その力が世界にとって必要かどうかなど、神霊には関係がない。
それは存在しているようで、存在するのではない。総体として″在る″というのは、明瞭にして不明瞭な、具体性の得られない超感覚的な領域での在りようなのだから。
この神霊と対話をしたというのは俺の意識での出来事であり、神霊からすると、相手の意思を間借りしたようなものに過ぎず。その瞬間に神格として現れるのは、俺の意識が投射したもの。ある意味それは、鏡の様に反射して見せたものに過ぎないのである。
俺は闇に包まれた死者の領域から魔術領域に移動した。
そこで準備を整えると、復讐の神が存在する領域へ侵入する為の扉を開放した。
今後細部に手直しが必要になるかもしれませんが、現在の自分ではこれが限界。
こうした表現は解釈する側の手に委ねられる部分があまりに大きく、語弊誤謬の温床になっているものですので、あまり真剣に考え過ぎないようお願いします。




